18『Be my friend』
あれから翌日。
日が昇っている午後3時、チェーン店のカフェ。
お昼時が過ぎ、学生がノートにペンを走らせ、おじいさんが珈琲をズズッと啜る。決して騒々しくなく、且つ閑散としていない休日の昼下がりらしい店内。
私と寧々はテーブル席で隣り合わせに座り、人を待っていた。
ウィーンと自動扉が開く機械音が、やけに大きく鼓膜を揺らす。
近づいてくるシャツの私服姿の男性には、あの日見たスーツの後ろ姿が重なった。
「すいません、待たせてしまいましたね」
丁寧で無機質な声で、その男性は私たちに声をかけて対面に座る。
40代前半かそれくらいだろうか。ぶっきら棒だが誠実そうな人だ。身だしなみは清潔感があり、レンズの分厚いメガネは理知的な印象を受ける。
「いえ、とんでもないです。一応確認させていただきたいのですが、松浦さんでお間違いないですか」
松浦さんは静かに頷く。
相手は目上の人だ。畏まった態度で臨む一方で、相手が女子高生をお金で買うような相手だということは念頭に置いておく。
そう、この人は寧々のパパ活相手であり、何度も寧々を買っている人だ。
一見はまともそうだからといって中身までそうとは限らない。急な音信不通でストーカー化するよりかは、しっかりここで話をつけた方がいい。
「貴女は先日電話の時の井村さんでいいですか」
「えぇ、松浦さんと寧々のことに部外者の私が首を突っ込むのは不快かもしれませんが……」
「いえ、理解しています」
眼鏡をクイッとあげながら彼は答える。
その理解とは、何への理解なのだろう。私のような第三者が首を突っ込まざるをえない事態であると「理解」しているからそう言ったのなら、正直どの口がそれをと少しムッとする。
そう思ったのも束の間だった。
「っ……!」
席に座ってまだ1分も経っていない。
「本当に、申し訳ないことをしました」
テーブルに額をぶつけそうな程、松浦さんは深く頭を下げた。
それには私も寧々も面食らった。今回はコチラが頭をさげざるを得ない状況に発展することも考えられたからな。
「電話を受けた時からわかっていました。全て僕の意思の弱さが原因です。井村さんに、何より寧々さんに多大なご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ない」
女子高生相手にする謝罪ではない。深々と頭を下げたまま、全面的に彼は自身の非を認めた。
「松浦さんが謝ることじゃないよっ。ワタシが、パパ活なんて始めなければ……!」
今日初めて、寧々が口を開いた。
「いいえ、寧々さん。全て僕が悪いのです」
「そんなこと……ッ」
「寧々、松浦さんの言う通りだ」
私からの同意に、松浦さんの肩が緊張からかピクリと動く。
「松浦さん、顔をあげてください。話ができませんので」
再び顔を見せた彼は、覚悟を決めた様子でありながら少し弱々しく見えた。
「一応お伝えしますが、私も寧々も松浦さんを責め立てるためにお呼びした訳ではありません。ただ、寧々と今後会わないで欲しいとお願いしに来ただけなんです」
「……ッ、……」
彼は返事を渋った。
「謝罪はいらないです。ただ一つ約束してください。金輪際、寧々には関わらないと」
多くは求めない、これだけでいい。相手が下手に出ようが強気に来ようがそれは変わらない。
この人が本当に理解しているなら、この要求は飲んでくれるはずだ。
「……一年程前に、妻と離婚したんです」
松浦さんは神妙な顔つきで口を開いた。
「妻の浮気が原因だったのですが、娘の親権は奪われ、妻は娘を連れて海外に引っ越してしまいました」
「……」
「娘は僕の人生にとって宝のような存在です。そんな娘と引き離された傷心の中で、寧々さんと出会いました」
「つまり、娘さんと寧々を重ねて見ているってことですか」
「隠さず言えば、その通りです。寧々さんと話していると、娘との時間を取り戻しているような気がするんです。……これは僕の弱さです。――それでもどうか、お願いします」
またしても、彼は深々と頭を下げた。
「もう少しだけ、寧々さんと会わせては頂けないでしょうか」
今度は謝罪としてではなく、懇願として。
「誓って手を出すような真似はしません。月に一度だけでも構いません。お金も今まで以上にお支払いします。ですので、まだ、もう少しだけ、……寧々さんと会わせては頂けないでしょうか」
淡々と聞こえるその言葉の節々に、涙を飲むような切実さが垣間見える。
「……」
私は、寧々の親でも姉でもない。ただの友達。それ以上でも以下でもない。
だから私には、寧々と松浦さんが会うことを止める権利なんて何処にもない。私の言うことなんて無視してしまえばいい、そんなこと松浦さんもわかっているはずだ。
なのに、これほど頭を下げて私に許しを乞うのは、彼が誠実であるからこそなのだろう。
認めざるを得ない。この人は間違いなくマトモだ。
あのクソ野郎とは違う。良識ある真人間だ。
だからこそ――許せないとも思ってしまう。
「先日、寧々がパパ活相手の男性に襲われました」
「ッ!?」
松浦さんが勢いよく顔を上げ、心配の籠った目で寧々を見た。
この人は真に、寧々のことを思っているのだとわかる。
「未遂には終わりましたが、最悪なことも有り得る状況でした」
最悪の詳細は言うまでもないだろう。
「松浦さんの身の上には同情しますが、私はもう二度と寧々を同じような目には遭わせたくありません。言っている意味は、わかりますよね」
「ッ……、はい」
私はアンタを信用していない。暗に、そう伝えているのだ。
確かに、今のこの人はマトモだろう。今は娘として見ているだけかもしれない。だがそれが、今後もそうであり続ける保証はない。
娘のように見えても、実際は娘ではない。いつの日か一人の女性として見るかもしれない。
その後の関係の発展が、寧々が成人した上で寧々が合意の元で行うならそれは構わない。だけど、そうではなかった時のことを私は考えている。
「大人同士でパパ活するならまだ構いません。それは当人同士の問題で片付けられますから。――けど寧々は高校生なんです。まだ子供と言われる年齢です。それを考えてください」
言葉に抑揚をつけず、怒りを押さえ込み平静を装って話す。
厳しい言い方をするけど、濁して遠回しに伝えることではない。
松浦さんは他人で、寧々は友達なのだ。友達のためなら私は他人を切り捨てる覚悟がある。
「ッ……ムゥちゃん!」
寧々が決心したように立ち上がる。
「わ、ワタシもう、危なくなるようなことしないしっ、これからは気を付ける! ムゥちゃんに心配かけるようなこと絶対しないから……わ、ワタシからもお願――ッ!」
「ダメだ」
本人が大丈夫と言ってるから大丈夫、という問題ではないんだ。
未成年がパパ活をするのは、当人同士を不幸にしかねない。片方ではない、同士が。
「寧々、今の関係を続けるのは松浦さんにとっても危険があることなんだ」
松浦さんを真に心配している訳ではないが、寧々の為にもこれは話しておこう。
「松浦さんが女子高生にお金を払って会っているなんて周りが知ったら周囲はどう思う」
「そりゃあ最初は誤解されるかもしれないけど、説明すればいいよっ! ワタシと松浦さんとの間にそういうことはないって……!」
「赤の他人にならそれでもいいかもしれないけど、松浦さんの職場にもそう話すの?」
「そ、それは……」
「松浦さんの友人には、身内には、なんて説明するんだ」
「でも! 松浦さんの事情を話せばわかって――」
「松浦さんがそのせいで職を失っても同じことが言えるか?」
「ッ――!」
「友人や身内から縁を切られる事態になっても、同じことを言うのか。無理でしょ。だから身勝手な同情心で動いちゃダメだ」
寧々は顔を悔しさで歪ませ、渋々腰を下ろす。
これでは、私は悪者みたいだな。まぁそれでもいい。
「松浦さん」
寧々に向けていた視線を彼に戻す。
「どうか寧々のことを考えてください。松浦さんなら彼女の将来を考えた決断をしてくれると信じています」
松浦さんは明らさまに顔には出さなかった。だがそれでも、心の傷が表情に滲み出ているように見えた。
やはりマトモな人だ。そんな人だからこそ、寧々の将来を壊しかねない決断をしたのが許せなかった。
未成年とのパパ活というのは、それだけリスクのあることなんだ。
「わかり、ました」
少ししてから、彼は英断した。
◇
『寧々視点』
松浦さんはいい人だ。
マジメそうで、ちょっと固いとこもあるけど、変なことは絶対にお願いしてこない人だ。
他のパパ活相手では、エッチまではいかなくても、パンツ見せてとか胸触らせてとかエッチに近い事を要求してくる人もいた。勿論全部断ってたけど、思えば山岸さんは度々そういう要求をしてくる人だった。
けど松浦さんにはそれどころか、そういったエッチな目で見てくることさえなかった。
それどころか、何処か幸せそうな顔でワタシの話を聞いてくれていた。
ワタシはそれが、なんでなのかは知らずにいたけど、娘さんがいたからだったんだ。
松浦さんは自分のことをあまり話さない人だから、奥さんと離婚していることも、結婚していたことすらも知らなかった。
今日のことがなければ、知らずにお別れするところだっただろうな。
カフェを出た時、日は少し傾いて辺りはオレンジっぽくなっていた。
カフェ入口前から少し離れた場所で、お別れの前に少しだけ松浦さんと二人で話したいと、ムゥちゃんには少しだけ席を外して貰った。
「あっ、あの松浦さん、これ」
ワタシ鞄から取り出した封筒を松浦さんに差し出す。
「これは?」
「今まで、松浦さんから貰ったお金。全部、返します」
松浦さんだけじゃなくて、パパ活で貰ったお金はほとんど使ってない。お金が目的じゃなかったし。
だからワタシなりの精算の気持ちとして、全部返そうと思って今日持ってきていたんだ。
「いえ、それは受け取ってください。今まで寧々さんの時間を取らせた迷惑料とでも思ってください」
「迷惑だなんて、思ってないっ……です」
「それでも君の時間を奪ったことには変わりありません。それに君が危険な目に遭ったことは、僕にも責任がないとは言いきれませんから」
「……っ」
頑なに受け取ろうとしてくれず、松浦さんは優しく封筒をワタシに押し返した。
「改めて、申し訳ない。そしてありがとう。僕の我儘に付き合ってくれて」
いつもぶっきらぼうな松浦さんがその時だけは笑ってくれた。
それを見ると、嬉しいような辛いような感じで、正反対の感情がぶつかり合って胸がぐちゃぐちゃになる。
そんなワタシを見てか、今度は申し訳なさそうに笑い、少ししてワタシの向こう側に視線を向けた。
「――井村さんは、とてもいい子ですね」
松浦さんの視線の先には、離れたところでワタシたちを見ているムゥちゃんの姿があった。
険しい顔でこっちを見ている。今日のムゥちゃんはずっとピリピリしてる。
昨日のことがあったからしょうがないのかも。でも、心配されるのはちょっと嬉しい。
「井村さんはずっと、怒っていましたから」
「……? 怒ってたらいい子なの?」
「ええ。キレたり愚痴をこぼすのは簡単ですが、怒るのは難しいことです。それは真に人を思っていないとできないことですから」
松浦さんに言われて、ムゥちゃんの今までの言動を思い出す。
パパ活のことを話してから、ムゥちゃんはほとんどずっと怒ってた。それで一度は喧嘩しちゃったけど、あれも含めて全部ワタシのこと思って怒ってくれたんだ。
そっか。最初からずっと、ムゥちゃんはワタシのこと思ってくれてた。
それを思うと、胸の奥がカァっと熱くなる。
ポカポカして気持ち良いような、けどザワザワして落ち着かないような不思議な感覚。
とにかく頭の中も胸の中もムゥちゃんで一杯って感じだった。
「お節介かもしれませんが、彼女との友情は大切にしてください」
友情。そっか、ワタシとムゥちゃんの間にあるのは、そういうものなんだ。
パチンとパズルのピースがハマる音がした。
ようやく一つじゃない。ようやく形の合うピースが見つかった。
今なら、自信を持って言える。
「もちろん――だってネネの、一番の友達だもんっ」
所用により3日ほど更新止まります。




