アイリスの治療
村に一軒だけある宿屋――
その二階の部屋の扉がノックされる。
*
「どうぞ」
ガチャリ、と扉が開くと、普段着のコウが入ってくる。
「おお、コウさん!」
「司祭さん、来てたのか」
ベッド際の椅子に腰かけていた司祭が立ち上がる。
背が低く、頑強そうな体格をしている初老の男性だ。古いデザインのフィレオン教のローブが羽織っている。頭髪は白髪交じりだった。
一見して聖職者には見えないが、ケネル村唯一のフィレオン教会の司祭である。
「朝がらアイリスさんば治療してだんだ。だども、俺さ出来るのは《祝福》と《治癒》ぐれぇだばってな」
「全然助かるよ。でも大丈夫か? 魔力を使い果たして、しんどくなってないか?」
司祭は微笑んで、かぶりを振った。
「いんや。村を護ってくれだ、いや世界を救っでくれだコウさんアイリスさんど比べだら、なんぼ辛くても比べ物さなんねぇべ」
な? と司祭は後ろを振り返る。ベッドに横たわったアイリスが苦笑する。
「助けてよコウ君、司祭様、ずっとこんな調子なんだから」
「司祭さん、今日はもういいから」
「すたばって、」
「ありがたいけど、もう魔力が無いだろう? これ以上は神聖術を使えない」
司祭はため息をつく。
「やれやれ、コウさんは全部お見通しだな。分がっだよ」
聖職者用の、古いデザインで少し大きめの短杖を仕舞い、司祭は足元から鞄を持ち上げる。
「何があっだら連絡してけれ。俺の出来る事だば、何でもやるはんでな」
「ああ、恩に着る」
「せばな」
*
司祭が出て行って、コウは椅子に腰かける。アイリスは身を起こした。
「大丈夫か」
「もうすっかり平気ってわけじゃないけどね。だいぶ回復したよ」
短杖を出し、コウは《治癒》と《回復》を行使する。アイリスの体がぼんやりとした白光に包まれる。
「……司祭さんの神聖術はどうだった?」
「なかなか悪くないね。とくに《祝福》が良かった」
「やはり《祝福》が効いたか」
アイリスはうなずく。
「今、一番しんどいのは、魔神から受けた最後の魔法だから」
「目が光ったやつか」
「そう。正体はわからないけど、体がバラバラに、何分割にも切断されるような痛みを感じた。実際、血も噴き出したしね」
戦いの直後、アイリスは自分が受けた謎の魔法のこともコウに話していた。
コウはその証言から、おそらく暗黒系の何かだろうとあたりをつけ、神聖術での中和を司祭に依頼したわけだ。
「……正直、今の僕は神聖術が下手になっている。桜花騎士団に一年以上いたせいかな。彼らは全員、フィレオンの信徒ではなかったしね」
「改宗したっていう冗談が本当になった?」
いつぞやの軽口を引き合いに出し、アイリスがコウをからかう。
コウは苦笑した。
「そうかもしれないな。まぁ、治癒系魔法の術式自体は、神聖系と暗黒系でほとんど共通している。祈る対象と信念が違うだけだ」
アイリスは目を閉じ、枕に頭をつけた。
「辛いか」
コウはサイドテーブルの上を見る。《魔力探知器》と、三つの冒険者タグが置いてある。野獣のグノンとジェンナ、そしてアイリスの姉・マルグレーテのものだ。
「冒険者に別れはつきものだよ」
「いちいち悲しんではいられない、か?」
「いや、悲しまなきゃいけない」
コウは目を瞠り、思わず二、三度うなずく。
「ちゃんと悲しまずに心に押し込めると、それは弱さになる。感情に呑み込まれろっていうんじゃない。自分が悲しんでいること、泣きたいことを認めるんだ」
「……泣いたか」
「うん。二日ばかりね」
*
戦いから、二日が経過していた――
魔界から召喚した魔神の本体を打ち倒し、その残骸であるバッタどもを追い散らし、マルグレーテとつかの間の再会を果たした後。
避難していた村人たちは山から村へと雪崩をうって駆け戻り、広場に殺到した。村を囲む山の中腹から、彼らは二人の戦いを見守っていたのだ。
歓喜に湧く村人たち、とくにお祭り好きの若者たちがコウとアイリスをもみくちゃにしたが、ほどなくしてアイリスは気絶した。
倒れたアイリスを村人たちは宿へ運び、コウは魔力の涸れた体に鞭打って事後の処理を行った。
その夜、村人たちはたくましくも祭りを催したが、リサも参加して作ったというとくべつな食事を楽しむこともなく、コウはぶどう酒一杯で眠りに落ちてしまった。
*
「祭りはどうだった?」
コウは治癒魔法を行使しながら肩をすくめた。
「疲れてて、それどころじゃなかったよ」
「ざんねん。美味しい料理もいっぱいあったんでしょう?」
「祭りの時はこの村は本気を出すからな。いつもはニンジンだらけだが」
アイリスは思わず吹き出す。そして、笑みを作り、両手を天井に向けて挙げ、握ったり開いたりを繰り返す。
「力が戻ってきたか?」
「おかげさまで。だいぶ痛みはなくなったね」
「体じゅうを切られるような痛みって言ったよな?」
「……というか、文字通り切られたみたいな感じだったね。手足がくっついてるのが不思議なくらい」
「よくわからんが……やはり暗黒系の古代魔法、今の魔法だと《剥命》かそれに近いものだろうな。一撃で殺すことをせず、一瞬で体を内側から文字通りずたずたにする魔法だ」
アイリスは眉をひそめた。
「……趣味悪いね」
「まったくだ」
「あいつは魔神だ。目が光るくらいでそんな気色悪い魔法を行使できるんなら、もっと強力なのを使えばよかったじゃん。それこそ《絶命》とか」
自分の命が助かったことを棚に上げて、アイリスは魔神の行動を疑問視する。
コウは短杖を持っていないほうの手を顎に当てる。
「即死させる術は成功率が低いからかな。生命を痛めつけるのと、生命を奪うのはまったく違う」
「あいつが定命を痛めつけ、いたぶり、弄りものにして喜ぶ変態神だったってこともあるだろうね」
「それもあるな」
「あるの!?」
アイリスは驚いてコウを見る。コウは苦笑した。
「なんだ、自分で言っといて驚くのか」
「冗談のつもりだったんだけど」
「あながち間違いでもない。あいつ――魔神ロクストゥスの本質は疫病と旱魃、飢餓を司る苦しみの神。定命を痛めつけることが奴の目的なら、すみやかに破壊するとか命を奪うなんて選択肢は、あいつにとって二番目以降のものだったんだろう」
「ふぅん……」
アイリスは窓から空を見上げる。
あのバッタたちはどこへ消えただろうか……おそらく魔力に還元して消えてしまったんだろうが、この世から飢餓や疫病、旱魃が消えたわけではない。
すべて自然の一面というだけの話。魔界に住まう悪神や乱神、邪神はすべてこの世の何かを司っている。たとえ彼らを斃したとて、その現象が消え去るわけではない。
*
「ところで、」
アイリスは訊ねた。
「訊きたいことがあるんじゃないの?」
「……ああ。その通りだ」
治療を終え、コウは短杖を仕舞う。
短期間に、あまりにも治癒や回復、再生系の魔法を受けるのも、寿命を縮めたり要らぬ副作用のもとになったりする。できれば慎重に行ったほうがいい。
コウは少しのあいだ俯き、言葉を探している風だったが、やがて顔を上げ、率直に切り出した。
「僕が訊きたいのは、君たち疾風怒濤が壊滅する原因となった事件――つまり『地下狂皇庁』の吸血鬼退治を依頼した黒幕についてだ」




