バッタの群れ
魔神の本体――土気色のひび割れた皮膚と異形の貌を持つ古の巨人は、アイリスの《画竜点睛》によって文字通り真っ二つにされた。
そしてそれは、現界において彼が象徴するもの、すなわち「飢餓」とその原因である「荒々しき自然」の直接的な現れといえるバッタの大群と化して自然へ還っていく……
*
「うおおおッ!」
大量の、土気色のバッタに呑み込まれ、コウは叫び声をあげる。
「――《烈火》ッ!!」
コウはバッタの海の中で、両手を掲げて魔法を行使する。火炎系中級魔法《烈火》がコウの両手から発動され、炎の舌がバッタたちを舐め尽くす。
大量の昆虫の爆ぜる音が周囲に響き渡り、周囲に空間ができる。焼き尽くされたバッタたちは消し炭となり、煙と灰と化し、やがて塵となり、空中に還元していく。
(これは、魔力の粒子……)
バッタたちは跡形もなく消えていく。元が魔界から召喚し、物質化させた魔神の肉体を構成していたものだ。彼らも現実のバッタではなく、魔力でつくられたかりそめの肉体なのだろう。
とはいえ、気持ちのいいものではない。
――グレートヒェンッ!!
コウは長杖に《念話》で語りかける。長杖――グレートヒェンは赤色の魔力を発し、火炎系上級魔法《業火》を発動させる。
轟! と炎が咆哮をあげて渦巻く。あたり一帯を、コウやアイリス、マルグレーテの肉体までも巻き込むが、指向的にバッタだけを選んで焼き尽くしていく。
バッタたちが弾ける音があたり一面に鳴り響き、コウは思わず顔をしかめ、耳を塞ぐ。
(これは――《昆虫殺し》か)
グレートヒェンが発動させた《業火》の魔力を感じ、コウは分析する。
「味方を巻き込まず、複数の相手に効果を及ぼす魔法」は範囲攻撃の基本ともいえる。敵味方入り乱れた戦場で魔道士が結果を出そうとする際、文字通りの全体攻撃など使っていては話にならない。
したがって味方をラベリングし、それ以外に効果を及ぼすように術式を調整する。魔法に指向を持たせた場合、それだけで魔力は消費され、また本来の威力を十分に発揮することはできないが、それは範囲攻撃に織り込み済みのデメリットだ。
そこで、グレートヒェンは《昆虫殺し》の魔法を同時に発動させた。文字通り昆虫、すなわち外骨格と六本の脚を持つ昆虫類を対象とし、殻を崩壊させ潰し殺す魔法。
それと《業火》を組み合わせて威力を上昇させている。
(なるほど……良い発想だ。理にかなっている。《昆虫殺し》の存在自体は知っていたが、術式も長杖に保存されているのだな――ッと、それどころではない)
*
炎と煙、バッタたちの残骸と灰と塵、魔力の粒子が乱れ飛び、周囲は広く開けていく。
「アイリスッ!」
コウはアイリスの名を呼び、周囲を見回す。
「こ、こっちだ、コウ君」
煙や灰やもやの中から手が伸びる。
「アイリス、無事かッ」
コウは声のほうへ歩き出す。
弾け飛ぶバッタたちの残骸の中で、青い光がきらめく。
魔神の肉体があった場所の地面あたりから、アンティークなデザインの片手剣が、ふわりと宙に浮かび上がり、コウのほうへ飛ぶ。
コウはそれを顧みることもなく、飛来する剣を後ろ手で掴み、流れるように鞘へと仕舞う。鍔に光っていた石の青い光が止む。
*
「アイリス、無事か?」
土色のバッタたちが弾け飛び、焼き尽くされ、その残骸が宙を舞い、魔力に還元している中。
その様々なものの渦巻きの向こうから、コウが現れる。
アイリスはコウを見上げた。
短髪は風を受けたように逆立っており、全身を青いオーラが包み込んでいる。まるで宙から吊るされているような、まっすぐな立ち姿。
表情は超然としており、感情がうかがえない。
そしてその眼光――圧倒的な決意を底に秘めた青い光が瞳に煌めいている。
(これは……これは誰だ?)
もちろん、彼はコルネリウス・イネンフルスだ。かつては冒険者パーティー桜花騎士団の一員であり、パーティーを文字通り追放され、この山奥の村に来た冒険者。
だが、そういう意味ではない。
コウは後ろ手に剣をキャッチすると、それを鞘に仕舞った。それと同時に、逆立っていた髪が落ち着き、眼光が収まり、表情が和らいでいく。
(――ッ!!)
アイリスはその変化を見て、総毛立つように感じた。
「大丈夫かアイリス、どこか怪我をしたか?」
「い、いや……無事だよ。ダメージはあるけど」
コウの手を掴み、アイリスは立ち上がった。全身をバラバラに斬り裂かれたような、鋭い痛みが襲う。
「~~ッッ!!」
声にならない叫びをあげ、身を折るアイリスに、コウは短杖を抜いて《治癒》と《回復》をかける。
癒しの白光がアイリスを包む。痛みは引いていくが、効果が鈍い。
「すまない、魔力がもう無い」
「いや、ありがとう。助かるよ……」
さほど助かっているようにも思われない顔色で、アイリスはコウの短杖をちらりと見やり、そしてその顔を見る。
先ほどのあれは何だったのかと思うほど、普段通りのコウだ。どこか抜けていそうな感じというか、なんとなく育ちの良さを思わせるような雰囲気。
いや、それはアイリスがコウの長ったらしいフルネームを最近知ったことによる先入観だろうか。
それよりも確認しなければならないことがある。
*
「あいつは?」
アイリスの問いにコウは後ろを振り向き、さっきまで魔神の本体があった場所を見た。
「もういない。君が倒した」
「本当に?」
そう言って、アイリスは飛んできたバッタを瞬時に掴み取る。それだけでも激痛が走り、顔をしかめる。
「こいつらはあの魔神の正体……いや、何て言ったらいいんだろう、ともかく魔神が分裂してこいつらになった。つまり、逃げただけじゃないの? とどめを刺されそうになった吸血鬼がコウモリに分裂して逃げるみたいにさ」
握りつぶされたバッタの残骸は、即座に魔力に還元し、宙に拡散していく。
「それはない」
「どうして?」
もう魔力の一滴も絞り出せなくなった短杖を仕舞い、コウは再度魔神のいた場所を振り返り、空を見上げる。
「あの大魔法、《悪魔召喚》は生贄の儀式と大掛かりな祭壇を省略し、それらをすべて術式と魔力で代替したもの。対象を召喚しておける時間は魔力に依存するんだ。今回はこの村の結界とあの杖の補助があったにせよ、魔力のみであのクラスの魔神の肉体を現界にとどめておくのはそもそも無理のある話だ」
「……つまり?」
「つまり最初から時間制限があった。精神と切り離されていた魔神の本体は、もしあのまま放っておいたとしても活動を開始することはなく、わずかな間だけ現界に姿を現し、その後は魔界に戻り、こちら側の姿は土くれに戻っていただろうね」
コウは周囲を見回す。バッタたちはほとんどが駆逐され、残ったものも村の外へと逃げ去ってしまっている。
「確かに今のバッタたちは魔神の本質だろう。君のほうが詳しいよな? 魔神ロクストゥスの象徴するものについて」
「……炎と嵐を操る、疫病と旱魃の主。恐ろしい生贄を求める自然の一側面。飢餓の苦しみと恐るべき自然への畏敬が生んだ神格。蝗害の擬人化」
「そうだ。だから、君がロクストゥスを斃した時、つまり奴を魔神の姿へと束ねていた神格が崩壊した際、その力は本来の人間が恐れた「飢餓」と「天災」を象徴するバッタへと姿を変えた」
「斃した」
「そうだ、君が斃した。君があの魔神を殺したんだ」
脇を見ると、マルグレーテの遺した長杖――グレートヒェンが、寄り添うように宙に浮かんでいる。
コウはそれを手に取る。途端に重みが増し、グレートヒェンは普通の長杖に戻る。「おっと」と言って、コウはそれを落とさぬように保持した。
*
アイリスは左右非対称の、奇妙な表情を作る。
「不滅の存在を斃した? 殺した? 本当かな。確かに私は、あいつをブッ殺したいと思っていた。でも、相手は神だよ?」
コウは肩をすくめた。
「すくなくとも、あいつはもういない。その本体は失われ、今まさに見たように奴の本質は飛散し、自然へ還っていった。蝗害や飢餓は自然の気分次第だが、それを人格化した存在は消滅した」
コウは空を見上げた。アイリスも、体をかばいながら同じく空を見やる。
「誰が意図したとしても、今後二度とあいつが召喚されることはない」
「本当に?」
「たぶんね」
風が吹き、残っていた不浄なる塵や空気を吹き払っていった。




