魔神ロクストゥス その⑨ ~決着
「は、は、は、」
右手と一体化したように強く握りしめる大剣を引きずり、顕現した魔神の本体に向けてアイリスが歩を進める。
「や、やめろ……」
マルグレーテの体に顕現したロクストゥスは、それを止めることもかなわず、地に縛り付けられたように立ち尽くしている。
魔王の杖が、ロクストゥスの手から滑り落ちる。地面に転がった杖は、魔神の魔力の圏内から外れ、瘴気混じりの暗黒の魔力が抜けて元の古びた長杖に戻る。
*
オ………… オオ……………………
どこから鳴り響いていたのか、禍々しい詠唱音は止み、魔神本体を囲うように回っていた魔法円から放出されていた光も消える。
魔神は完全にこの世に顕現した。まるでどこかの部族が木の枝と土と泥で作った神像のような肌合い。
禍々しい姿からはしかし、暗黒の魔力や瘴気を感じない。
魔神ロクストゥスの肉体のみを召喚した。
魔界に存在する魔神の精髄を移動させ、現界の法則に置き換えて再構築した。
喜びも悲しみも知らず、怒りも恐れも抱かない疑似人格の長杖、グレートヒェンだからこそ行えた召喚。これを通常の定命が行ったら恐怖や畏怖の念に呑み込まれて、魔神の本体は魔界の負のエネルギーを伴って構築されただろう。
(奴は今、物理的な存在……)
コウは魔神を見上げた。
形無きものを破壊するのは容易ではない。だが形あるものならば破壊できる。
――コルネリウス。
マルグレーテの長杖、『グレートヒェン』が《念話》でコウに語りかける。
――グレートヒェンか。
――早く倒して。あれは長く保たない。
――ああ。わかってる。
魔神に一歩踏み出す。コウの腰に佩いた片手剣の、鍔にはまった青い石が光る。
剣は魔力光を発し、鞘から自然に浮き上がる。誰が見ていただろう? その場の誰もが、魔神ロクストゥスの本体を注視していた。コウですら自身の剣の動きに気づかなかった。
コウは意識することなく柄を掴み、剣を抜いた。
魔力が手を伝い、全身を駆け巡る。髪の毛が逆立ち、目の色が変わる。瞳に青白い炎が灯る。
*
地に縛り付けられたように動けないロクストゥスは、コウが魔神の前に踏み出し、剣を抜くのを見た。
(ま、まずい……)
ロクストゥスは動けない。初めて感じる感情が、彼の全身を《束縛》の魔法のように縛り付けていた。
「やめろ……やめてくれ…………」
(大丈夫だ、あいつらは俺の弱点など知らない……)
希望と絶望が入り乱れ、ロクストゥスの胸中を荒れ狂う。心は千々に乱れ、引き裂かれる。
「やめろ……」
コウが剣を振り上げるのが見える。片手剣を上段に構え、のけぞって背中側に溜めを作る。
*
コウは片手剣を振りかぶると、まっすぐに魔神に向けて投擲した。
剣は流れ星のように尾を引いて飛び、吸い込まれるように魔神の胸に突き立つ。
「がッ……!!」
マルグレーテの体で、ロクストゥスはまさに胸に剣を突き立てられたかのように悶え苦しむ。
「ぐ……あ……あ……あ…………」
剣は青白い魔力を発し、魔神の巨大な肉体を拘束する。
「アイリスッ!」
コウが叫び、同時にアイリスへ両手のひらを向ける。補助魔法《雲踏》《倍撃》と回復魔法《回復》《魔力譲渡》が、魔力の通り道を通じて作用する。
アイリスの体に、魔力と生命力が満ち溢れる。アイリスはコウを見た。
「やれッ! あいつは君の獲物だ!!」
目を輝かせ、アイリスはニヤリと笑う。
「応ッ!!」
アイリスは《雲踏》を利用して高く跳び上がり、大剣――《画竜点睛》を振りかぶる。
《画竜点睛》に魔力が流れ込み、音叉状の二叉の形に変形、さらに二つの剣身が百八十度展開する。
そして、魔力の電光で出来た巨大な刃が、アイリスの身長の何倍もの長さにも伸展する。
*
「やめろおおおおおおおおおッッッ!!」
ロクストゥスが叫んだ。
そして、その口から暗黒の魔力が大量に噴出し、アイリスの背後を撃つ。
魔力そのものをぶつける原始的な魔法、《魔力破》。
他のエネルギーに変換することなくそのまま放出するだけであるため効率は悪いが、それでも魔力量の多い者が使う場合は強大な威力を持つ。
だが、風属性魔法《跳躍》で《魔力破》の射線に割り込んだコウが、両腕を交差させてそれを受け止める。
「なッ!?」
コウはまるで風雨を受け止めるように《魔力破》を防いだ。
暗黒の魔力は否定されて飛散し、青白い魔力とともに塵と化して還元していく。
そしてアイリスの《画竜点睛》の巨大な光刃が、魔神の頭部、トサカのように伸びた器官に振り下ろされる。
*
魔神ロクストゥスの唯一の弱点。
それは頭頂部に生えるトサカのような器官だ。そこを傷つけられると、魔神は何百年もの永い眠りに就かざるを得ない。
アイリスはそれを知っていた。ロクストゥスのことは何もかも調べ尽くしたからだ――この時のために。
そしてもちろん、そこを「傷つける」だけで済ませるつもりは毛頭なかった。
*
《画竜点睛》の光刃は魔神の頭部の器官、トサカのように尖ったそれの頂点に過たず斬り込まれる。
刃はそのまま下に進み、魔神の体を引き裂いていく。
正中線に沿って、魔神は左右に斬り裂かれていく。額が割れ、顎の下まで裂け、胸が切り開かれ、腹が割り開かれる。
下腹部から生えた、蛇の頭を持つ長い器官の先までも正確に左右に裂かれ、魔神は文字通り真っ二つになる。
アイリスが着地すると同時に《画竜点睛》は魔力光を失い、瞬時に音叉のような二叉の形に変形し、さらには元の大剣へと戻る。魔力を使い果たしたアイリスは膝をつく。
ロクストゥスの放った暗黒の《魔力破》を打ち消した後、コウは空中で《雲踏》を展開、宙を踏んで自由落下の勢いを殺し、着地する。
「ガ……グ……グ……ゴ…………」
マルグレーテの肉体に宿ったロクストゥスは、体を硬直させ、のけぞって痙攣していた。
瘴気を含んだ暗黒の魔力がマルグレーテの肉体から離れていき、それが伝承にある魔神ロクストゥスの姿、頭頂部に長い器官を持ち四枚の翼を備える邪悪な影を形成する。
そしてそのシルエットは、今しがたアイリスによって真っ二つにされたように正中線で二つに引き裂かれ……
ゴアアアアァァァァァァァ…………
地の底から響くような断末魔があたりに響き渡り、黒く邪悪な影は宙を渦巻き、集中して一つの球のようになり――やがて爆発した。
同時に、真っ二つにされた魔神の肉体が崩壊する。
バンッ!!
弾ける音がし、土色の皮膚を持つ巨大な神像のような魔神の肉体は砕け散り、無数の何かになって周囲にあふれる。
「――ッ!!」
「これはッ!!」
コウとアイリスはその大量の何かに呑み込まれた。
*
それは土色のバッタだった。
疫病と旱魃を司り、蝗害の象徴とされる古の魔神の正体。
それは飢餓の苦しみと自然への恐れ、運命の理不尽さを呪う人々の負の感情が、魔界で凝集し力を得たもの。
魔神ロクストゥス――「凶星」の名で呼ばれたこともあり、「大いなるもの」として怖れられた古の魔神は、現世にて打ち倒された。
その力は本来の姿であるバッタへと変わり、自然へと還っていく。




