魔神ロクストゥス その⑥
コウが発動したのは、神聖系特殊魔法《暗黒回帰》。
魔界に住まう闇の住人の暗黒の魔力を剥がし、もと居た場所へと送還する「悪魔祓い」の魔法だ。暗黒系にも同名の魔法が存在するが、その理由は「懇願先」が異なるため。
つまり天の父に祈るか、闇の女神に祈るかの違い。コウの信仰は神聖側に傾いているので、いきおい行使できるのは神聖術ということになる。
*
《暗黒回帰》の浄光の中、魔神ロクストゥスは冷ややかな目でコウを見やる。
(さんざん期待を持たせておいて、やることは《暗黒回帰》か?)
浄光がマルグレーテの肉体を照らす。闇の魔力に慣らされたその肉体は熱を持ち、肌からは煙さえ上がりはじめる。
瘴気混じりの暗黒の力があふれ出し、ロクストゥスの全身を膜のように覆い、浄光を遮る。
(定命にしては術式は正確だが、ションベンのような貧弱な魔力。しかも、神聖術としての強度も大したことがない。所詮は中途半端な信仰しか持ち合わせていない凡夫というわけか)
興味を失ったような真顔で、ロクストゥスはコウを見つめる。
(こいつに少しでも何かを期待したのが間違いだったな)
ロクストゥスは魔王の杖を持ち上げる。さて、どうやって殺そうか?
どんな魔法がいい? この木ッ端魔道士にふさわしい魔法は何だ。こいつが見たこともない古代魔法で殺ってやるか? もしくは、こいつが絶対に使えそうもない超上級魔法はどうだ?
いや、とロクストゥスは考える。
(そうではないな。こいつにふさわしいのは《火球》。魔道士学校の初等の学生が最初に憶えるような魔法に、我が無限の魔力を注ぎ込み、魂の一片までも灼き尽くす。それがこの木ッ端魔道士にふさわしい)
ロクストゥスは嗜虐の笑みを作り、杖を持っていない左手を返し、手のひらを上に向ける。
赤色の魔力が凝集し、炎の球が手中に浮かぶ。膨大な量の魔力が集まり、火球は密度を増して赤から白に変わる。
コウはそれを見て、ぎりっと歯を食いしばる。
「さらばだ、木ッ端魔道士。お前たちの魔法で燃え尽き、煙と灰と化し、神に逆らった罪を悔いながら永遠に迷うがいい」
その時、鋼の暴風が横殴りにロクストゥスへと襲い掛かった。
*
ロクストゥスの頭上から、アイリスの大剣が振り下ろされる。
「――ッ!!」
魔神はすんでのところで気づき、斬撃の真正面に火球をぶつける。
白い魔力光をまとった大剣は火球を真っ二つにして打ち消し、魔力の塵へと還元していく。ロクストゥスは身を翻して剣を回避し、跳びすさる。
「アイリス、」
「私のことも、忘れてもらっちゃ困るね」
凄惨な表情で、アイリスは魔神を睨みつけた。
頬に一筋の傷をつけられたロクストゥスは「チッ」と舌打ちをする。
「まだ魔力が残っていたのか。それとも、尽きたのは気力だけか?」
ロクストゥスの頬の傷がスーッと治っていく。
魔神はアイリスの神器を見る。先ほどの音叉のような形と違い、剣身の縦に溝が入ったような形に変形している。
そしてその溝は魔力光に輝き、刃部分にも白い光を纏わせている。
「なるほどな。それで魔法くらいは打ち消せると。そういうわけか?」
アイリスはそれに応えず、剣を正眼に構え、ロクストゥスに対峙する。
ロクストゥスはコウとアイリスを見比べる。
「だが打ち止めだな。お前たちに魔力は残っていないだろう。このおれを楽しませる手品の種は尽きたということだ」
魔王の杖を掲げる。コウの《暗黒回帰》が破られ、白色の浄光は止む。
「終わりだ。お前たちはこのおれの糧となり――」
その時、ロクストゥスはコウの足元に黒色の魔法陣が回転しているのに気づいた。
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コウの足元に、複雑な魔術文字の文様を形成する魔法陣が、黒色の光を放ちながら回転している。
(――何だ?)
教会の聖歌隊のような詠唱音が、地鳴りのように響いてくる。
その兆候は、暗黒系の大魔法。
(バカな。こいつは神聖系の術者。暗黒系は初歩の初歩しか使えないはず)
神聖術と暗黒術は、天の父と闇の女神が元々「二人で一つの神」だったように、その源流を共有している。またランクの低い魔法ならば、信仰に関わらず使用することができる。
たとえば《束縛》などの基本的な術は闇の女神への信仰心を試されることもないため、神聖系に偏った者でも用いることができる。しかし、今コウが使用しているのは、明らかに高ランクの暗黒術。
(あり得ない。何が起こっているんだ?)
そこに、アイリスの剣が再び振り下ろされる。ロクストゥスは魔王の杖でそれを受ける。魔力の火花が激しく散る。
「私を! 忘れるなと言ってるだろォ!」
「くッ……!!」
空中で大剣を押し込みながらアイリスが叫ぶ。魔神は剣をはじき返し、アイリスに《火球》を撃つ。
連続で襲い掛かる火球を打ち消しながら、アイリスは魔神に迫る。
「舐めるな! お前たちごとき定命の――」
肉薄し、大剣の射程を超えたアイリスは、魔神の腹に足刀を叩き込む。
不意に見せた体術を躱しきれず、ロクストゥスは後ろに跳ね飛ばされ、地面を滑る。
(何だ、こいつら――!?)
ロクストゥスはコウを見やる。離れた距離で、魔神とコウの目が合う。
「何をしようと――」
アイリスの大剣が襲い掛かり、ロクストゥスは魔王の杖で受け止める。
「チッ!!」
「よそ見をするな! 今度は五つにも、七つにも分割してやるよ!!」
大剣と杖の鍔迫り合いのさ中、魔神の金色の瞳が光る。
アイリスの周囲に暗黒の魔力が集まり、生命力を削り取っていく。
「――ッ!! ぐ……あああああああッッ!!」
アイリスは跳ね飛ばされ、地面を転がった。
*
全身を、骨まで響く激痛が襲う。傷はないのに、体中から血が噴き出す。
(――今のは何だ? 即死魔法か!?)
アイリスは地面に手をついて起き上がる。大剣を握る右手は、もはや石のように硬くなり、柄を離そうとしない。
頭から流れる血に片目を塞がれ、アイリスは袖で拭う。そこに、マルグレーテの靴が視界に入る。
「いつまでも調子に乗ってるじゃないぞ、定命の者よ」
ロクストゥスはアイリスを冷ややかな目で見下ろす。
「よく抵抗したな。その神器のおかげか? だが、もう時間切れだ」
「……ふっ」
アイリスは笑った。ロクストゥスは眉根をひそめる。
「何がおかしい? お前たちの演劇には、もうつき合って――」
「時間切れはおまえのほうだよ、魔神」
「何だと?」
*
大魔法の詠唱が終了し、コウは高らかに宣言する。
「狂える異界の賢者の霊よ、その妄執にて彼の地より力ある者を喚び出さん!――《悪魔召喚》」




