魔神ロクストゥス その⑤
《画竜点睛》の光刃が長く伸展し、《爆破》で巻き起こった目隠しの煙ごと、回転の勢いを込めた二連撃が魔神を斬り裂く。
魔神ロクストゥスの首が胴体から離れ、胴体は腰の部分で分断された。
*
大剣を振り抜いた姿勢で、アイリスは堅く目を閉じたまま片膝をつく。
神器《画竜点睛》の光刃は、音叉状に分かれた剣身の内側に引っ込むように収縮する。魔力光が消え、神器は元の大剣に戻る。
《爆破》の煙が晴れていく――
「……くっ」
魔神は嗤っていた。
*
アイリスは、片目を開けて魔神を見る。
三等分され、地面に転がっているはずの魔神は、変わらぬ姿勢でそこに立っていた。
首と胴は離れている。胴は真っ二つにされている。血が飛び散り、衣服を汚している。
だが、見えない何かで繋がったように、魔神は立ったままだ。首は胴体の上に浮かび、二つに分かれた胴体は腰の上に胸と腹の部分が浮かんでいる。
「くっ、くっ、くくくくくく……」
三つに分断された姿のまま、魔神はアイリスを見下ろし、嘲笑う。飛び散った血と流れた血が元に戻っていき、切断面から闇の瘴気が染み出す。
瘴気は離れた首と胴体を繋ぎ、まるで時間でも巻き戻していくかのように元に戻していく。
「くくく……見事な覚悟だったなアイリス。姉の肉体に躊躇なく致命の一撃を与えるとは。だが――」
飛び散った血や斬り裂かれた衣服すら元通りとなった、五体満足のロクストゥスを見上げ、アイリスの体から力が抜ける。
大剣が手から離れ、地に落ちる。乾いた音が鳴り響いた。
「残念だったな。この程度ではおれは斃せん。たとえ肉塊にされたとて、魔界の本体と繋がっているかぎりこの肉体は無限の魔力によって永遠に修復し続けることができる」
ロクストゥスは魔王の杖を担ぎ、アイリスに一歩踏み出した。
「そもそも、この肉体はあくまでも依代。破壊したとて、おれの本体には何の影響もない」
アイリスの表情からは、先程までの闘志が消えていた。望みを失った表情を見て、ロクストゥスは口角を吊り上げ、愉悦の笑みを形作る。
「いいぞ、その表情。それでこそ定命だ。圧倒的な力を前にして無力な者が敗北する時の絶望と悲嘆が、なによりもおれの好物なのだ」
ロクストゥスはアイリスに歩を進めていく。
その時、横から《火球》がロクストゥスに迫る。
*
「むっ」
ロクストゥスは片手を挙げ、《火球》を打ち消す。青い稲妻が火球を弾け飛ばし、魔力の粒子に還元していく。
その陰から、黒い魔力の帯がロクストゥスに襲い掛かる。《束縛》の魔力帯が魔神を縛り上げる。魔王の杖が地に落ち、その光刃が引っ込むように消える。
「……!!」
「僕を忘れないでくれよ、魔神」
右手に長杖を持ったコウが、左手で抜いた短杖をロクストゥスに向けている。
短杖の先端に《束縛》の魔法陣が展開している。コウの足元にも同様に、様々な色を含んだ複雑な魔法陣が現れ、光を放ちながら回転している。風にあおられたように、短い髪の毛がわずかに揺れている。
「木ッ端魔道士――」
「コウだ」
ロクストゥスは「ふん」と鼻で嗤った。
「いまさら出てきたか。女に戦わせ、己自身は逃げる算段をしていたのではなかったのか?」
「冗談、」
コウは肩をすくめ、唇をゆがめて応えた。
「今のアイリスの戦いは、俺たちが示し合わせた陽動に過ぎない。その間に俺は、貴様を倒す手段を探ってたのさ」
「くはッ」
魔神は不快な笑いを弾けさせた。
「倒すだと。面白い冗談だ。神々は永遠の者。不老不死にして不死身、無限の魔力を持つ。お前たち定命とは、存在の仕方が違う」
「そうか?」
コウは短杖を操作し、《束縛》の輪を絞り上げる。
「むッ……、」
「本当に無限の魔力か? 貴様はさっきから、しきりにそれを吹聴する。たしかに、その体を三等分にされても元に戻る力は驚異的だ。まさに神の力と言っていい」
魔神は身をよじる。短杖を握りしめたコウの指は白くなり、手が震える。
アイリスは顔を上げ、気力の尽きたような表情でコウと魔神を交互に見る。
「……だが、どうしてそれをわざわざ吹聴する? その理由は、お前がそう思って欲しいからじゃないのか?」
「…………」
魔神は片方の眉根を歪める。
「現に、今この俺の、木ッ端魔道士の《束縛》が効いている。それは、貴様の魔力が無限などではないという何よりの証拠だ」
「……………………」
眉根をぴくぴくと震わせていた魔神は、唇をゆがめてせせら笑いを作る。牙がちらりと見える。
「無知というものは恐ろしい。お前は神々というものをわかっていない」
ふん、と力を込め、魔神は《束縛》の輪をぶちぶちと引きちぎっていく。自由になった両手で魔力の帯を直接掴み、引きちぎり、破り捨てる。
コウの短杖が弾かれたように魔神から逸れる。
*
《束縛》から逃れたロクストゥスは穢れを払うように服を叩き、転がっていた魔王の杖に手を伸ばす。杖は引き戻され、宙を飛んで魔神の手に収まる。
「とはいえ、定命が永遠の者を侮辱した罪は重い。罰は受けてもらうぞ」
「やはりな」
コウは笑みを作り、再度短杖で魔神を指す。
「やはり? やはりとは?」
「やはり貴様は無限の力など持っていない。そもそも、貴様がそれほど力強いならば、木ッ端魔道士である俺の《束縛》など最初から効いていないはず。《束縛》を外すのも少し苦労したな。そしてその杖だ」
コウは短杖で魔王の杖を差した。
「貴様の魔力が無限ならば、どうして杖なんかに頼る?『マルグレーテの肉体だから』というのは言い逃れに過ぎない。たしかに貴様は現界では制限を受けている。だが魔界に住まう貴様の本体も、本当は無限などではないんじゃないか?」
「……………………」
「本来ならば貴様のような神には通じないはずの《束縛》が効いたのは、アイリスとの戦いで消耗したからだ。アイリスの剣は貴様に効いていた」
「……………………」
「つまりロクストゥス、無限の力を持つ強大な魔神である貴様は、実のところ弱っている。そしてそれを定命である俺たちに隠そうとしている」
ロクストゥスは目を細めてコウを見やる。
アイリスはロクストゥスを見た。
「そうでなければ、この木ッ端魔道士の魔法など貴様には通じん」
「くはッ」
魔神は不快な笑いを炸裂させる。
*
「くはッ、くッ、くくくくくッ……くッははははははッ」
ロクストゥスは、すべての定命の気分を逆立たせ、生命力を減退させるような笑い声をあげる。
「くくく……ッ、わかったぞ、コウとやら。お前の目論見がな」
そして、魔王の杖を持っていない左手でコウを指差す。その爪は黒く変色し、先が尖っている。
「お前はおれを挑発するようで、その実おだてている。自分自身を木ッ端魔道士などと卑下し、巧みにおれを持ち上げている。永遠の者の力を否定し、神々に逆らう定命のようだが、言葉の端々から畏怖と懇願が透けて見える」
「…………」
「お前の目論見は、まず時間を稼ぐこと。さっきの大魔法の時と同じだ。おれの興味を引くことで、自分たちの寿命を少しでも伸ばそうとしている。そして第二に、倒せないと見るや隙を突いて逃げることだ」
「……………………」
「お前はアイリスがおれの獲物であることを知っている。つまりアイリスはもう助からん。だが、お前は最終的に、自分だけは助かろうと思っている」
ロクストゥスは魔王の杖をくるりと回転させ、右の腋に抱える。
「これからお前は、第二のでかい魔法を撃つつもりだ。そうだろう?」
コウの表情がぴくりと強張る。ロクストゥスはそれを見て、侮蔑的な愉悦の笑みを浮かべる。
「さしずめ《暗黒回帰》か、その源流になった古代魔法。それを発動させようとしている。いや、すでに発動しているのか? 詠唱は終わり、あとは宣言だけか?」
「……………………」
「お前、さっき《束縛》を短杖で撃ったよな。右手の長杖のほうでは、こっそり大魔法を準備していたんだろう。そしてお前は、それが失敗した時のことを考えて、おれの歓心を買って逃げられるように巧みにおだてていたわけだ。違うか?」
*
コウはため息をついた。
「やれやれ、やはり知能が高いな。そこまで見透かされているとは」
ロクストゥスはくくっ、と嗤う。
「なんだ、もう諦めたのか。だが残念だな、お前が次の大魔法を失敗したとて、おれがお前に手心を加えたり、まして見逃してやったりすることは無い。アイリスのついでに、お前の命も喰らいつくして現界での糧にしてやる」
コウはそれに答えず、長杖を構える。
そして、アイリスをちらりと見る。アイリスは弾かれたようにハッと顔を上げ、地面の大剣を拾い上げる。
「勘違いするなよ、魔神。俺は貴様をおだてていたのではない」
「……では何だ? 純粋に、我が神の力を称賛でもしていたのか?」
「俺は貴様を信用していたんだ。貴様は強い力を持っている。ほぼ無限に思えるほどのな。それに絶対的な自信を抱いている。だからこそ、俺たちを舐めてくれるだろう、戦いのさ中に敵の話に興味を抱いてくれるだろうってな」
*
コウの周囲に青と白の魔力が渦巻く。足元の魔法陣が回転し、風が巻き起こる。
「……荒廃の魔神、通称ロクストゥスよ、貴様を暗黒の闇へと送還する」
荒廃の魔神は、金色の目を輝かせ、捕食者の笑みを浮かべ、首をかしげてそれを見やる。
「天空の神の名において、汝のあるべき世界へ還るべし!――《暗黒回帰》」
宣言とともに、神聖系特殊魔法《暗黒回帰》が発動し、魔神の頭上、曇天を埋め尽くす雲の一ヶ所が渦を巻いて開き、白色の浄光が降り注ぐ。




