魔神ロクストゥス その④
マルグレーテの肉体の、アイリスによく似たブロンドの髪が、風になびくように逆立ち、踊っている。
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虹彩は黄金色に輝き、目の形はつり上がり、大きく見開かれ爛々と光っている。
犬歯は牙のようになり、心なしか耳の先端も尖っている。
肌は青白く、血の気が感じられない。
衣服の色は暗色に変化し、星々のような煌めきがところどころに見える。
ケープは伸びて外套と化し、長杖の形状も邪悪に変化している。
あふれ出す魔力は黒紫色の、瘴気の混じった暗黒の魔力。目に映るだけで体温を奪われるほどおぞましく、寒々しい力だ。
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魔王、という言葉が、コウの胸中に浮かんでくる。
だがそれは魔王ですらない。かつて古代文明に崇められ、一時は受肉し現界に顕現して定命たちを支配していたとも言われる最悪の魔神。
疫病と飢餓をもたらし、蝗害を司るため「ロクストゥス」という名で伝えられている。
その凶星そのものとでもいうべき魔神が、今コウの目の前にいる。
天には暗雲が渦巻いている。
ちょうど広場の上空、魔神ロクストゥスの直上あたりを中心に禍々しい雲が渦巻き、急激に天候を穏やかならざるものにしていく。
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(ごめん、ちょっとまずいことになったみたいだ)
アイリスは、心の中でコウに謝る。
だが、反省も後悔もしていない。アイリスの心の中にあるのはただ一つだけ。
このふざけた害獣を討伐する。
魔界の住人の中でも、おそらく最上位の化物。無限の寿命を持ち、決して滅ぼされることのない不死性と不滅性を誇る、神に近い存在。
神話や伝承によれば、暗黒の女神エシュタルが自らの体を分けて造り出したという「暗黒の神々」の一柱。
だからどうした、とアイリスは思う。
暗黒の神々? 永遠の者? それが何だ。
こいつは私のパーティーと、私の姉を侮辱した。それだけで十分、万死に値する。こいつは封印や送還ではなく、討伐しなければならない。
いや、そうではない。ぶち殺さねば気が済まない。
アイリスの頬に笑みが浮かんだ。神器《画竜点睛》を握る両手に力が入り、光刃がうなりをあげて輝きを増す。
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魔神は長杖を構えた。その杖頭から、巨大な鳥のような姿の炎が射出される。
(――!!)
コウは《魔法阻止》を発動しようとする。
だが一瞬早く、アイリスが《画竜点睛》を振り抜く。炎の鳥は光刃によって斬り裂かれ、赤色の魔力の粒子になって還元していく。
「ほう……」
魔神は首をわずかに傾げ、アイリスとその武器を見やる。
「面白いな。そこまでの芸当が出来るのか。魔力を刃に変える剣……それ自体は古くからある術式だが、規模と精度、強度だがが桁違いだ」
アイリスは正眼に剣を構える。
「だが定命には荷が重いな。お前のような、魔力だけはあるが魔法の素養に欠ける者が使うような武器に収まっている」
ロクストゥスは、魔王の杖とでも呼ぶのが相応しく思える形に変化した長杖をぐるりと回転させる。
一回転の間に杖頭がさらに変化し、杖の先端が二叉に分かれる。そしてその二叉の間から魔力の刃が生える。アイリスは目を見開く。
「こういったものは本来、永遠の者のためにあるような武器。無限の魔力を持つ者こそ、この種の武器の性能を最大限に発揮できる」
ロクストゥスは、魔力の刃を持つ槍と化した魔王の杖を右腋に挟み、水平に構える。そして開いた左手で挑発する。
「さぁ、かかってこいアイリス。思うぞんぶん打ち合ってやる」
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(無限の魔力だと――)
コウは両手で長杖を握りしめ、アイリスとロクストゥスの戦いを見る。
アイリスは巨大な剣を振り回し、ロクストゥスの首を狙う。
あの神器――《画竜点睛》は持ち主の能力を高める性質でも持っているのか、展開前よりもよほど軽々と扱っている。
魔神はアイリスの斬撃を、すべて軽々と受けている。
回転を基軸とした動きで、舞い踊るようにアイリスは斬撃を繰り出す。縦に、横に。ロクストゥスはそれをすべて寸前で避け、魔王の杖の柄や光刃で受ける。
侮蔑的な笑みを浮かべた表情からは、その真意は測れない――そもそも人間と同じような感情を持っているかは微妙だが。
コウは握りしめた長杖の中から、魔神に対抗できる魔法を探す。
魔道士が使用する詠唱支援用の装備の中でも、長杖はそれ自体が魔力回路を備えており、また数多くの魔導書や術式を記憶する生ける武具である。「生物でない」というだけで「長杖は一人の魔道士だ」とまで言う者もいる。
とくに、マルグレーテの遺した杖は人格までも備えている強力なもので、コウが魔神に対して初手で発動させた《永遠の封印》も、この長杖が憶えていたものだ。
アイリスがやられる前に、魔神を送還できる魔法を探さなければ――
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――それでは駄目だよ。
心の中に《念話》が届く。コウは魔神と打ち合うアイリスを見やる。
――何だ? アイリスか?
だがアイリスはコウの呼びかけに反応しない。《念話》は魔力回路を介しているとはいえ、通常の会話と同様の制限を受ける。「耳に届かない」とか「話が聞こえない」といった事態は生じるのだ。
――アイリスではない。話しかけているのは私。
――私? 私……誰だ!?
――あなたがいま掴んでるでしょう? それが私。
コウは長杖を見やる。
――……まさか、長杖が《念話》を使うとは、
人格があるといっても、長杖のような武具は通常、人間などのようにはものを考えたり話したりはしない。あくまで魔法武器特有のやり方で、あるいは魔力的な回路を通じて持ち主とコミュニケーションを図るというだけだ。たとえば、意思を持った剣の場合は、剣の選り好みによって鞘から抜けなくなったりする。
先ほどの《永遠の封印》も、コウが長杖の知能に魔力回路をつなげ、杖が記憶している膨大な魔導書の中から目的に合致した術式を検索させた。
だが、この杖は今、明らかにコウに語りかけてきている。
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コウは杖に文字通り寄り縋り、語りかける。
――何だっていい。それでは駄目というのなら、今、すべきことを教えろ。封印には失敗した。アイリスはあくまで討伐したいようだが、それは容易い道ではない。送還が現実的な途――
――だから、それでは駄目なの。あの魔神は、もう現界にほとんど歩を移している。それはあなたにもわかるでしょう?
――……そうだ。その通りだ。なら、どうすればいい? ここまで現界で自由に動けるまで適応した闇の住人を追い返すには、どういう魔法を使う?
コウは杖と高速でやり取りをする。
アイリスとロクストゥスの光刃が噛み合い、魔力の火花が散る。
二人は弾かれたように間合いを離す。アイリスの息はあがっており、全身が汗にまみれているのが見て取れる。
激しい身体運動と、魔力の刃を生成する神器を使用する消耗。それだけではない。高位の闇の生物と相対していること自体が生命力を削っている。
――逆に考えるの。
――逆? 逆だと!?
――そう。送還では駄目。ロクストゥスの人格はほぼ全てあの肉体の中に、つまり現界にいる。魔神は現界に出たがっている。
――……つまり、送還しようとすると、魔神はそれに抵抗する。
その時、戦いの場で爆発が起こる。
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離れた間合いから、アイリスは腰の短杖を抜く。
ロクストゥスはそれを見やり、顎を上げて文字通り見下す。
「もう魔力も涸れかけているだろうに、今さら何を――」
アイリスは短杖をロクストゥスにまっすぐ投げつけた。そして、
「《爆破》」
短杖はロクストゥスの眼前で爆発を起こす。視界を遮られ、ロクストゥスの動きが一瞬止まる。
粗雑な投げナイフに《爆破》を付与して使い捨て武器にしているアイリスだが、ねんのために短杖も投げられるようにしていたのだ。
アイリスは間髪入れず《画竜点睛》に全魔力を込める。
「カッ!!」
気合とともに身を回転させ、間合いの外から《画竜点睛》の光刃を伸ばし、斬りつける。
その瞬間、アイリスはきつく目を閉じた。
*
光刃は二回転し、《爆破》の煙が斬り裂かれる。
魔神の首と胴が、そして胴体が中ほどから分断された。




