魔神ロクストゥス その②
「――《永遠の封印》」
*
コウは長杖の杖頭を空中の魔神に向け、古の呪文の詠唱を完了させた。
轟、と旋風が巻き起こる。古代文字の浮かぶ魔力の帯が杖頭から迸り出で、魔力球に捕らわれた魔神に襲い掛かり喰らい付く。
マルグレーテの体を奪った魔神ロクストゥスは、コウの大魔法を受けて長杖を構える。杖頭から放たれた《魔法阻止》の青い光が古代魔法に対抗するが、否定の魔力は弾かれて雲散霧消し、青い光の粒と化して宙に散り、空気中に還元していく。
魔神の長杖を古代魔法の魔力帯が捉え、マルグレーテの体を拘束する。
「ぐッ……うおぉ…………」
マルグレーテの唇から、しゃがれた男の声で唸りが漏れる。黒紫色の瘴気混じりの魔力が、魔神の輪郭からあふれ出す。空中で震える魔神に、一つ、また一つと魔力の帯が絡みついていく。
魔神を留め置いていた魔力の球が収縮する。マルグレーテの肉体の姿が、魔力の光に遮られて見えなくなる。
「うおぉぉ…………おおおォォォ……………………」
魔力球が収縮し、バンッという魔力音が弾ける。魔神を閉じ込めた魔力球が引き延ばされ、宙に巻いた渦の中心に吸い込まれるように回転する。
(……ッッ!!)
コウは両脚を大きく開き、両手で長杖を持ち、杖頭を渦に向けて掲げる。
目を見開き、歯を食いしばり、こめかみに血管が浮く。汗が飛び、杖を握りしめた手が震える。
足元には魔法円が回転し、激しい旋風によって埃や塵が舞い上がる。
アイリスは渦を巻いて発動する古代の大魔法と、それを制御するコウを見やる。
しばし怒りと復讐心を忘れ、驚きと怖れが心を支配する。左手に持った短杖を取り落としそうになる。
オオオオ………… オオオオオォォォ……………………
獣の咆哮にも似た、しゃがれたうめき声が天蓋に轟く。
魔神を閉じ込めた魔力の球は長く引き伸ばされ、宙に生じた魔力渦の中を激しく回転する。
大魔法の進行する歌うような詠唱音が、魔神の咆哮に合わせるように辺りに響き渡る。村に張られた結界が祭壇となり、結界の構造が古代の大魔法を行使しているのだ。
やがて、魔神を閉じ込めた魔力球が中心に至り、長く引き延ばされていた球が球状に戻る。
コウは自身に《雲踏》を付与し、空中の魔力渦に向けて高く跳び上がった。
そして、マルグレーテの遺した長杖を大きく振りかぶり、
「結牢!!」
渦の中心――魔神を閉じ込めた魔力球に向けて杖頭を叩きつける。
光の奔流が、渦の中心から溢れ出し――魔力の大爆発を引き起こした。
*
周囲の光景は白一色に塗りつぶされ、音さえも聞こえなくなる。
永遠にも思えるような数瞬の刻が過ぎ、やがて魔力の奔流が引いていく。
どさり、と重たいものが落ちる音が聞こえた。
*
「コウッ!!」
広場の中心に、長杖の上に折り重なるようにコウがうつ伏せに横たわっていた。
アイリスは短杖を腰に仕舞いながら駆け寄る。
「ぐッ……、」
コウは身を起こそうとするが、両手には力が入らず、生まれたての小鹿のように震える。
アイリスはコウの腕を取り、肩にかけて身を起こすのを手伝う。コウは長杖に両手ですがるように立ち上がる。顔面が蒼白になっており、魔力がほぼ尽きかけているのが見て取れる。アイリスは息を呑んだ。
「……やった。やったんだよねコウ君!?」
「いや……、」
どさり、ともう一つの重たいものが落ちる音がした。
コウとアイリスが目を上げると、少し離れた場所にマルグレーテの体がうつ伏せに倒れている。
「姉さ……ッ」
駆け寄ろうとするアイリスを、コウが袖をつかんで止める。
「……くっ。くくくく…………」
倒れ伏したまま含み笑いをしたマルグレーテは、震えながら起き上がり、顔を上げる。
歪んだ表情に、金色の虹彩が輝いている。
*
「やってくれたな。《永遠の封印》か……この時代にもよく伝わっていたものだ」
立ち上がる魔神ロクストゥス。脚がふらついているが、さしたるダメージは見られない。
コウは魔神を見て奥歯を噛みしめるも、震える脚が砕けて膝をつく。
「くはッ」
ロクストゥスが嗤った。
「何百年ぶりだろうな、それを喰らったのは。よく知っていたものだな。名もなき草、木ッ端魔道士と思っていたが、なかなかやるじゃないか」
侮蔑的な目を、コウとアイリスに向けるロクストゥス。
――失敗したの?
アイリスが、《念話》でコウに訊ねる。
「いいや、成功したさ、アイリス。お前の男はよくやったよ」
ロクストゥスが《念話》を読み取り、首を傾けてアイリスに言う。アイリスは思わず怖気を震い、ロクストゥスはそれを見て口角を引き上げる。
「おれが抵抗しただけだ。よく再現したが、所詮は今の時代の魔道士だな。それとも、この肉体の性能が良くて助かったか? 危うくその杖に封印されるところだったよ」
服の埃を払うと、ロクストゥスは離れた場所に転がっていた長杖――マルグレーテの予備の杖――にちらりと目をやった。
「その術式はおれの時代の、定命の抵抗者どもの生み出した魔法でな。対象と術者の格の違いを無視して封印を施す。虫ケラのようなお前たちが神に逆らうための数少ない苦肉の策の一つだ」
魔神が長杖に手のひらを向けると、杖は吸い寄せられるように宙を飛び、手に収まる。
「だがおかしいな。その術式は彼我の格の違いを無視――つまり魔術の法則を歪める。その代償として、その魔法は術者の命を代償として要求するはず。お前はなぜ生きている?」
アイリスはコウの顔を見る。顔面蒼白で、冷たい汗にまみれているが、コウは今すぐこと切れる様子は無かった。
*
――この杖のおかげだ。
コウが《念話》の専用回線で語りかける。
――コウ君、大丈夫なんだね?
――ああ。この杖と、村全体に張り巡らされた結界のおかげだな。この村は、予想以上に良い祭壇になっているみたいだ。
――……古代魔法の詠唱を助けられるくらいに?
――そうだ。まぁそのくらいはしてくれるだろうと思ってたが。
――あの古代魔法は術者の命を生贄に要求する。それをわかっていて撃ったの!?
――そうだ。
アイリスは息を呑む。
――勘違いしないでくれよ、僕は死にたがりなんかじゃない。この杖の知能と相談の上、納得ずくで賭けたんだ。
――たぶん死なないだろう、って、そういうこと?
片膝立ちに震えていたコウは、長杖にすがって立ち上がる。
それを見やり、ロクストゥスは目を細め、唇をゆがめる。
――しかし、死んでもいいとは思っていた。ここで命を賭けてもいい、生き残ったら儲けものだってね。
――そんな、
――だってそうだろう? マルグレーテの体に縛り付けられているが、奴はもうほとんど現界に歩を移しつつある。放っておくわけにはいかない。放っておいたら僕一人が死ぬだけでは済まない。
――…………
――あの魔神の知識と能力と邪悪な精神、それが不幸にもマルグレーテ・ツヴァイバウムの肉体といううってつけの器を得た。奴を野放しにすると、下手をしたら今後何百年にもわたる暗黒の時代が到来しかねない。
――……………………
――今回はたまたま僕に、奴を阻止する力と選択肢が渡されていた。なら、それをする以外ない。
アイリスは、コウから静かに手を離した。
*
「……アイリス?」
「コウ君、よく頑張ったね。今度は私の番だ」
そして魔神ロクストゥスに一歩踏み出す。ロクストゥスは首を傾げて、獲物を見る捕食者の目つきでアイリスを見やる。
「もう迷わない。姉の体だとも思わない。こいつは今、ここで止めなきゃいけない」
アイリスは背中の大剣を抜き放った。長い柄を両手で持ち、ロクストゥスに向ける。
ロクストゥスはそれを見て、侮蔑と愉悦の表情を浮かべる。
「いいねぇ、人間どもの泣ける演劇だ。おれも嫌いではないぞ、かつては戯れに楽しんだものだ」
「ほざけ。なぁ魔神、さっきおまえは言ったよな? 私たちが、おまえのことを封印するか、追い返すかしようとしていると」
「……ああ。それがどうかしたのか?」
「それは間違っている。コウ君は封印しようとしていたみたいだけど、私は封印も送還も望んでいない」
*
アイリスの構えた大剣が、仄暗い魔力光を放つ。
――《画竜点睛》
心の中で、アイリスは大剣の真の姿を覚醒させるキーワードを唱えた。
大剣に亀裂が生まれ、魔力光が沿って光る。柄が二倍以上にも伸びる。剣身が伸展し、中央から二つに割れ、音叉のような形状へと変形する。
そしてその空いた中央から、魔力の電光で出来た刃が伸び、巨大な魔力の剣を形成し、うなりをあげて空気を震わせる。
ロクストゥスは眉をひそめ、いぶかしげにそれを見た。
アイリスは、巨大な魔法剣へと変化した得物を水平に引き、腰溜めに構える。
「私が望むのは、あくまでも、魔神ロクストゥス――お前の命」




