召喚士マルグレーテ その②
「どうして生きていたの?」
道すがら、アイリスはマルグレーテに訊ねる。マルグレーテはそれを聞いてくすくす笑った。
「姉に対してひどい言い方じゃない。まるで生きているのがいけないみたい」
「質問の仕方が悪かった」
アイリスは両手を拡げて軽く掲げた。
「じゃあ言い直すけど、どうやって魔界で生き延びていたの?」
マルグレーテは胸元から冒険者タグを取り出す。タグはきらりと光った。
「冒険者タグ」
「そう。このタグのおかげでね。これは微かにだけど現界との接続がある。これを通して伝わってくる現界の生命力で生き延びていた」
「……なるほど」
マルグレーテはタグを胸元にしまい込む。
アイリスは数瞬、考え込んだ。
「……水に落ちた人が、藁のような細い管一本を水面から突き出し、空気を吸って生き延びる……そういう感じかな」
「そうね。あと魔界の魔力を利用して、魔界の瘴気の中でも呼吸できる魔法を作ったりしてね」
「魔法を作った」
「信じられない?」
「いや……私の姉さんならそのくらいできるかもしれない」
長杖があるとはいえ、他に補助の神器も祭壇もなく、また助手もおらず、魔界の瘴気の中で新たな魔法を作る。
不可能だ、とは言い切れない。マルグレーテ・ツヴァイテンバウムはいつも常識を覆してきた。
*
そもそも、あの「地下狂皇庁」最深部で魔神と遭遇した時。
本来なら疾風怒濤は瞬時に全滅していてもおかしくなかった。だがマルグレーテは魔力の消費量が甚大なはずの《瞬間移動》を無詠唱で発動させ、四つの対象を二つの着地点に飛ばし、敵を排除して仲間を救った。
あまつさえ、対象の一つはまさに敵対していた魔神――
「味方同士」なら《瞬間移動》のような術式が複雑で長い魔法でも、魔力の通り道を通すことで成功率は飛躍的に高まる。しかし相手が敵対しており、Sランク、というより神話級の名あり魔物を飛ばすなどということはおよそ不可能……
だがマルグレーテはその不可能を通した。
その結果アイリスが生きているのだ――
*
「信じてくれた?」
「少なくとも、筋は通っている」
「まだ信じてくれないの?」
マルグレーテはくすくすと笑う。アイリスはそれに対して、唇の端をわずかに歪めてみせる。
やがて二人は宿の裏手に着いた。
「ここが宿だよ。けっこう立派な建物だよね」
宿は二階建てで、母屋に隣接して専用の馬車小屋がある。アイリスはそこに停められている自分の馬車に向かった。
マルグレーテは厩舎につながれている馬に手を伸ばしたが、馬はいなないて鼻先を振り回し、前足を踏み鳴らした。
「……嫌われちゃったみたいね」
アイリスはそれを横目で見ながら、自分の装備を取り出す。
「どうしたの? アイリス、装備なんてし始めて」
「……ねんのためだよ。姉さんが魔物だった時のためにね」
「あら」
マルグレーテは口に手を当てて含み笑いをした。
「ずいぶんはっきりと言うじゃない。そういうのは、遠回しに探り合っていくもんじゃないの?」
「私はそういうのは苦手なんだ」
いつものだぼっとした服の上に、フル装備は望めないにしろとりあえず大剣と手甲を装備したアイリスは、姉に向き直る。
「まだあなたが何なのかわからない。今のところ、あなたは敵対の意志を見せていないように見える」
マルグレーテはアイリスを見る。アイリスは視線を逸らした。
「そして、あなたは姉らしい振る舞いをしている。姉が知っていることも知っているみたいだ」
「……じゃあ、私があなたの姉さんってことでいいじゃない」
アイリスはそれに答えず、黙って肩をすくめた。
「行こう、紹介したい人もいる」
「ここで休めるんじゃないの?」
「もう少し我慢してもらおうかな。魔界からの長旅で疲れてるだろうけどね」
*
広場の中心に、コウが待っていた。
古びた長杖を持っており、腰には短杖と、アンティークなデザインの剣を佩いている。アイリスと同じく、フル装備とまではいかないが戦闘態勢のようだ。
コウは二人の、いやマルグレーテの姿を見ると、わずかに眉をひそめた。
「はじめまして。君が召喚士マルグレーテか?」
「ええ。あなたは? 疾風怒濤の新しいメンバーかしら。それとも、妹のいい人だったりする?」
「……………………」
コウはアイリスと目を合わせる。そして、ひとつため息をついた。
「やれやれ。どうやら最悪の事態は免れ得ないらしい」
*
「最悪の事態? どういうことかしら」
マルグレーテは唇の端に笑みを浮かべたままコウに問い返す。
それに対して、アイリスが腕組みしたまま言う。
「姉さん、村の入り口で『召喚士マルグレーテ』って自己紹介したみたいだね」
「ええ、そうね。たしかにそう言ったわ」
「今もコウ君の問いかけに、ごく普通にうなずいていた」
「ええ。だって本当のことだもの」
「姉さんはずっと、自分のことを占い師だと言っていた。召喚士だなんて自分から名乗ったことはないし、相手が言った時はいつも占い師だと訂正していた」
「……心境の変化よ。それに、そう言ったほうがわかりやすいと思ってね」
「そうなの?」
「そう。私も成長してるのよ、アイリス」
*
「それに、コウ君が私のいい人かって言ったよね。姉さん、そういうのはまったくわかんない人じゃない。私が誰かとつき合っていた時も、別れた後も、姉さんは最初から最後まで、少しも気づかなかった。そんな姉さんが、色恋沙汰の言葉を言うの?」
「……妹のあなたには見せてない一面があるのよ」
「姉さんが魔界に落ちた後、」
アイリスはマルグレーテの言葉に構わず続ける。
「冒険者タグをよすがにして、しばらくは生きていた。それは間違いない。でも、そこには同時におまえもいた」
「召喚士マルグレーテが、魔神ロクストゥスを道連れに魔界に《瞬間移動》した時。いかにマルグレーテが人間離れした魔法使いだったとしても、神話時代の魔神を単体で魔界に還すことなど不可能。マルグレーテは自分ごと《瞬間移動》させるしかなかったはず」
コウがアイリスの言葉を引き取って続けた。アイリスがうなずく。
「そう。姉さんと魔神は、一緒に魔界へ行った」
*
コウは両手で長杖を持ち、マルグレーテに正対する。
「魔界に還された魔神は、目の前の人間の魔道士を見て考える。せっかく現界に顕現しかかっていたのに、この魔道士のおかげで追い返されてしまった。こいつをどうしよう? 喰っちまうか? だが喰ってしまえばそれで終わりだ。邪悪で狡猾な魔神は、もっと別のことを考える」
アイリスは腰から短杖を抜いて構えた。赤い火花が散る。
「魔界の瘴気の中でも命を保っている魔道士を見て、こいつは使えると思った魔神は、魔道士を手練手管で思い通りにしようとする。そして姉さんは、ついに力尽きた」
「魔神はマルグレーテの体を奪い、ついでに記憶を覗き込んだ。こいつは力のある魔道士だ、こいつの体を現界への足掛かりにしてやろう――そう考えた。なにしろ魔界の住人は、現界では自由に呼吸できない。周囲の生命力を吸い取り、がむしゃらに狂気を振りまくことなしには、現界では存在していけない。そのせいですぐ討伐対象にされてしまう。もちろん、いったん顕現したら簡単には討伐されないだろうが、できれば長く活動していたい。そのために、人間の皮を被る。昔から魔界の住人がやってきたことだ」
コウは野獣のメンバー、グノンとジェンナのことを思い出した。あの二人は謎の黒いドラゴンに……いやドラゴンのような魔物によって内側から闇の住人に変えられてしまった。
*
召喚士マルグレーテは、自分から等距離で戦闘態勢を取ったコウとアイリスを眺め、ため息をついた。
「やれやれ。どうしてこうなっちゃったのかしら。たしかに私は魔界にずっといたせいで、すっかりおかしくなってるかもしれない。でも、私はマルグレーテ本人なのよ」
アイリスは戦闘態勢のまま、姉に向かって言葉を投げる。
「姉さん、馬車小屋にいた馬、見たよね?」
「ええ。残念ながら嫌われちゃったみたいだけど」
「あれは姉さんが買ってきた馬だよ」
「…………」
「忘れちゃったの? 色が気に入ったって言って。綺麗な葦毛だよね。私も好きだ」
「……………………」
「あの馬は、疾風怒濤のメンバーの中でも、私と姉さんにしか懐いてなかったんだ。苦労してるんだよ、ここに来てからも、毎日飼葉を与えるのは私の役目だ」
「……そうだったかしら。忘れちゃったわ」
*
アイリスの左目から涙がこぼれ、頬を伝った。
「とぼけるんじゃねぇ。おまえが魔神だってことは、もうとっくにバレてんだよ」
震える声で、ほとんど叫ぶようにアイリスは言った。




