召喚士マルグレーテ その①
「――よしッ、これで村の結界は更新されたはずだ」
コウは長杖の石突を地面につけ、空を見上げた。
空はほんの少し濁っており、雲が速い――まだ雨が来るほどではないにしろ、嵐の予感というか、どこか不穏な感じを受ける。
*
「これで終わりなんですか? 何も変わらないように思えますけど」
「今回のような場合、中の人間が何か感じるようじゃ意味がないからな」
「そんなものですか」
「冬の日にさ、お外の冷たい空気が嫌だからって、部屋を完全に閉めきってしまえば息苦しいでしょ? 内にいても、外と同じように呼吸出来なきゃいけない。村や町に張る結界っていうのは、そういうものなんだ」
説明を加えてから、アイリスは顎に手を当てて考え込む。
「……あれ? 今のたとえは変だったかな?」
「いえ、わかります。なんとなくですが」
「ともかく、あとは村の中心、広場で仕上げを――」
「コウさん、アイリスさん、」
三人のもとに、村の若者が一人、走ってくる。
メタルゴーレム戦で観戦していた一人であり、先ほども長杖の起動を見守っていた若者だった。
「どうしたんだハンス、そんなに息せき切って走ってきて。何かあったのか?」
「村の入り口さ、女の人が現れただ」
「女の人? 旅人か?」
「まさか冒険者じゃないだろうね」
ニヤケながら問うアイリスに、ハンスと呼ばれた若者はうなずいた。
「んだ。冒険者だって言ってる」
「へぇ~、珍しいね」
「マルグレーテって名乗ってただ。アイリスさんがいるはずだって」
コウは目を瞠り、アイリスを見た。
アイリスの表情は消えていた。その横顔からは何もうかがえない。
*
「マルグレーテ。確かにそう名乗ったんだね?」
「んだ。冒険者パーティー・疾風怒濤の召喚士だって。冒険者らしい装束に、杖も持ってただよ」
「アイリス、」
「……うん」
コウとアイリスは目を見合わせる。
……数瞬の刻が過ぎ、コウが若者――ハンスに向き直った。
「村のみんなには言ったか?」
「いんや、まだだ。一応村長には知らせに行ってるはずだ。物見高い若者が、何人が集まって来てるくらいだな」
「よし。じゃあ、アイリスとリサがそっちに向かう。僕は広場で結界の仕上げをしておく。ハンス、」
「は、はい。何だべ」
「ちょっと村の各戸に言伝を頼めるか?」
*
ハンスは村の入り口に戻り、村の門の前に集まっていた若者たちに耳打ちする。
若者たちは蜘蛛の子を散らすように走り去り、入れ替わりにアイリスと、その後ろからリサが歩いて来る。
村の門扉の外側に、冒険者の姿があった。
フードつきのケープレットを羽織っており、革製の動きやすそうな冒険者服を身に纏っている。
木製の、古びた長杖を手に提げている。
見るからに後衛職、現代では珍しい純粋な魔法使い。
広場のほうから走り来る二人を視認し、冒険者はフードを下げた。
アイリスによく似たブロンドの短髪が風になびく。
*
門扉の向こう側にいる人物を見て、アイリスは息を呑んだ。
暗色のケープレットに冒険者服。古びた長杖。指先の出た革手袋。
服は薄汚れており、ところどころがほつれ、破けている。
(あの時と同じ服装――)
アイリスは唇を噛み、足を速める。
門扉の前まで来ると、その人物はフードを下げる。
そこにはアイリスによく似た顔があった。少し柔らかい表情で、世間ずれしていない幼さが残っている。
アイリスの姉というより、妹のようにも見える――後ろから追いついたリサは、その人物の顔を見て思った。
「――姉さん、」
震える声で、アイリスが話しかける。
彼女はふわりと笑った。
「久しぶりね、アイリス」
*
背後――広場のほうで何かが光り、空を照らした。天に昇った光は上空ではじけ、光の粒子が舞い散り、ドーム状に村を覆うように拡散し、魔力の粒へと還元していく。
「生きてるとは思わなかった、姉さん。どうしてここがわかったの?」
その問いに、彼女――召喚士マルグレーテはふっと笑い、アイリスのほうを見ずに言う。
「あの後、私は魔界に捕らわれてね。なんとか現界に戻ろうとしていたけど、手がかりがつかめなかった」
「手がかり」
アイリスはオウム返しに言い、マルグレーテがうなずく。
「わからなかった? アイリスの痕跡を追って、魔界とのつながりの強い土地から、なんとか戻ろうとしていたんだ」
アイリスは唇を引き結んだ。
「そうなんだ。ぜんぜん気づかなかったな」
「そう。でも、あの長杖を起動してくれたでしょ? それでようやく手がかりが出来た」
「あの長杖で?」
「うん。座標を特定できたっていうかな。この辺はべつに魔界とは近くないけど、私一人が通るくらいの隙間は作ることができてね」
「……なるほど。姉さんならそれくらいできるかもね」
風が吹き、姉妹の髪を揺らした。
*
「そろそろ、中に入れてくれる?」
マルグレーテが言う。アイリスは首を傾げた。
「中に?」
「そう。私はあなたの姉でしょ? 村の中に入って休みたいな」
アイリスは、姉の姿をじっと見ていたが、
「いいよ。私の姉さんは入ってもいい」
その言葉を聞き、マルグレーテはふわりと笑った。
「相変わらず、アイリスは慎重だね」
「基本的に、人を信用しないんだ」
「それがあなたの良いところでもある」
アイリスは姉の姿をじっと見つめた。そして、無言で村の門扉を開ける。
マルグレーテは門を通って村の中に立ち入った。
*
姉妹のやり取りをじっと見ていたリサは、その間ずっと、言い知れぬ悪寒に襲われていた。体の震えを押さえるのに苦労するほど。
(なんだろう、この悪寒は。それに、この人……)
肩をすくめ、両腕を交差して悪寒をこらえるリサに、アイリスが近づき、耳元で囁く。
「ごめんねリサちん、先に広場のほうへ戻っておいで」
「は、はい…… あ、あの」
「怖いんでしょう?」
ゆっくりと歩いて村の中心へ向かうマルグレーテの後ろ姿をちらりと見て、リサはうなずく。
「大丈夫だよ。姉さんは怖い人じゃない」
「そっ……そうなんですか」
「うん。だからリサちんは走ってコウ君のところに戻って、コウ君の言うことを聞いて動くんだ」
「は、はいっ」
リサは弾けるように走り出した。マルグレーテの脇を抜ける時、ぎゅっと目をつぶる。
*
脱兎のごとく駆けていくリサの後ろ姿を眺め、マルグレーテはアイリスを振り返った。
「ふふ……元気ね。私たち姉妹にも、ああいう時代があった」
「……そうね」
「案内してくれないの? 私はどこで休めばいいのかしら」
「……案内するよ。そうだね、まず私の滞在している宿のほうへ行こうか」
アイリスはマルグレーテを促し、広場とは別の方向へと歩を進めた。




