フルネーム
「じゃあ結界を張りに行くか。村長にはもう許可を取ってるんだろう?」
村人たちを帰らせた後、コウは長杖を持ち、アイリスに言う。
「ん……ああ、そうだね」
「どうしたんだ、難しい顔をして」
「いや、別に」
「あのー……」
リサがコウを見上げて言った。
「私もついて行っていいですか?」
「んー……」
コウはしばし考える。
「そうだな。むしろリサには村人代表として見届けてもらう」
「やったっ!」
ぱちん、と手を鳴らして喜ぶリサ。
「なんだ、見たかったのか? 意外だな」
「え、ええ、まぁ」
「村人たちから信頼されてるとは思うし、僕自身もう村の一員のつもりだけどな。一応、僕たちのやることを見張っててくれ。後で村人たちに色々訊かれると思うけど、その時はリサから説明しておいてほしい」
「わかりました。任せといてください!」
ノリの良い様子に苦笑するコウ。
そこで、アイリスが黙りこくっていることに気づく。
「……どうしたんだアイリス。結界を張りに行くんだろ?」
「うん。じゃあ行こうか」
「様子が変だぞ。大丈夫か? お腹痛くなったか?」
コウの言葉に、さすがにアイリスは噴き出した。
「違うよ。子供じゃないんだから」
*
歩きながら横目でコウを見ていたアイリスが口を開く。
「……ずいぶん、立派な名前を持ってるんだね」
「ん? あ、ああ」
長杖との契約、《誓約》の魔法の宣言文でコウが口にしたフルネーム。
「そういえば、旦那様のお名前、全部聞いたのは初めてでした」
「普段言わないからな。自分でも忘れてるかと思ったんだが、覚えていて良かった。何かの役に立つもんだな」
そう言って、コウは長杖を掲げて見上げる。
「コウ君、いいとこの出みたいじゃん」
「言ってなかったっけ? 僕は山の奥の田舎出身でね。伝統と格式しか誇るものの無いような、貧しい国だ。そのせいで名前が長いんだ」
「それにしたって格式ある名前だよ。一応、私も――私たち姉妹ってことだけど、昔はいいとこのお嬢さんだったんだよ?」
「そうなのか」
「都会で大きな店なんか開いててね。父親が蒸発して、私たち姉妹は身一つで働かなきゃいけなくなったんだけど」
「苦労したんですね」
「そうそう。でもこの村の子供たちはみんな親の手伝いとかして忙しそうにしてるよね。私はもっと大きくなってから……」
「着いたぞ、まずはここだ」
三人は、村の教会裏手の墓地に来た。
*
「お墓ですが……」
「ここに、墓に見せかけて結界の一部がある」
立ち並ぶ墓にまぎれた、丸っこくて低い石の一つを、コウは指さす。
「これが結界……なんですか?」
「結界を成り立たせている仕掛けの一つだね。同じものが村の四隅にあって、それぞれが魔法使いの杖と同じような構造を内蔵しているはずだよ。村全体を一つの祭壇のようにして結界を作動させているんだ」
アイリスが説明し、コウは《分析》を展開する。
「何百年前のものかわからんな……とりあえず長杖から、似たような術式を検索して……」
コウは宙に浮かせた長杖に手を伸ばす。指先と杖の間で魔力の交流が起こる。
杖を見据えながら、真剣な眼差しで口の中で何かをつぶやく。杖から上下に光が伸び、下の光は地面を走って結界の石に吸い込まれ、上方の光は空中で四散、村全体を覆うように拡がる。
「まず一個」
「もう終わったんですか?」
「長杖の性能がいいからだろうね。というより、」
性能が良すぎる。
長杖というより、まるで祭壇だ、とコウは思う。
「どったのコウ君」
「ん? いや。次行こうか」
そして、次の場所へ移動する。
*
やはり村の外れ。
森を背にしたある民家の裏手、木の根元にひっそりと据え付けられていた、墓のような石が二つ目の結界だった。
「これ、何だろうって不思議に思ってたんですよ。昔の冒険者のお墓かなって思って」
「墓地の中なら、こんな石があっても目立たないんだけどね。よく倒されなかったね」
「どうやら《忌避》の術式も組み込まれてるようだ。さっきのもそうだが……つまり、この石には誰も触りたがらないし、あえて動かそうとも思わない。そういう魔法がかかっている」
コウは長杖をかざし、先ほどと同じように結界を更新する。
「……よし。次に行くか」
「早すぎない?」
「二回目だからかな。だがしっかり設定されているぞ」
その時、森の中でがさりと何かが動くような音がした。
三人は木々の間を見やる。
「……何だ?」
「魔物でしょうか」
「どうかな。旧結界も生きてるはずだからね。一応、魔物は村を忌避するようになっているはず――」
アイリスは森の中に目を凝らす。懐から手のひらに収まるくらいの石の神器を取り出し、起動させる。《魔力探知器》だ。
「どうしたアイリス」
「……いや、何も。私の思い違いだったかな」
「何かあったら言ってくれよ。前のメタルゴーレムのこともある。あのドラゴンのこともな」
「……後で言うよ。とりあえず、結界を終わらせちゃおう」
*
三番目の場所に移動中、
「ところでコウ君」
「なにかねアイりん」
リサとアイリスがコウの顔を見る。
「アイりん?」
「旦那様、なにか別の人の名前みたいになってませんか?」
「……すまん。慣れないことはするもんじゃないな。忘れてくれ」
アイリスは苦笑する。
「名前といえば、君の名前のことだけど」
「ああ、まだ何か聞きたいことがあるのか?」
「イネンフルスっていうのは、母方の苗字かな?」
「…………」
コウは少しの間沈黙する。
「そうだ。父からは勘当されていてね」
「勘当」
リサがオウム返しに繰り返した。
「まぁ大したことじゃない。僕自身、冒険をしたかったというのはある。あの山奥の辺鄙な場所から出てくる喜びはあった」
「でも君の正式な名前はあれなんだよね?」
「そう。長ったらしいけどな」
「ギルドの冒険者名簿には、コルネリウス・M・イネンフルスとある」
「よく知ってるな。さすがギルドマスターか?」
コウは苦笑した。だが、アイリスは笑わない。
「ギルド憲章の規定で、冒険者名簿にはよほどの事情でもない限り『偽名での登録』は禁止されている」
「……なるほど」
コウは立ち止まり、アイリスを見た。
「僕の名前の意味がわかったのか?」
「たぶんね。完全に理解したかは微妙だけど」
アイリスも立ち止まり、コウを見つめる。唇は笑みを作っていたが、目には冷徹な光が宿っている。
「ギルマスの試験で、相当勉強したからね。王国や周辺各国の歴史、大陸の地理なんかもね。そのおかげで、なんとなく想像はついた」
「つまり、君は僕を心配してくれているのか? それとも……」
リサは二人を見比べ、おろおろとしている。
アイリスはそこで、凍りついた空気を溶かすように息を吐き出した。
「……まぁ、そんな四角四面にやりたいわけじゃないよ。私自身、どちらかといえば規則は破りがちだ。けどさ、ギルドマスター試験に合格し、資格者となった後、私の意識と魔力と人格の一部はギルド憲章に紐付けられていてね」
「……なるほど」
「大陸全土を覆う、いやそれ以上に規模を広げる、冒険者ギルドというものを成り立たせている法の魔法。ギルドマスターというものは、一人ひとりがその大魔法の代行者なんだ」
「面倒なものだな」
「まさに」
アイリスは肩をすくめる。
「そんなわけで、ギルドマスターとしては憲章に触れそうな偽りは見逃せない。しかしもちろん、ギルマスは法の代行者といえども法そのものではない。各人の意志と裁量によって、現場での判断が任されている。あまりにも法に背くような判断は、そもそも下せないようになっているけど」
「……つまり?」
「今回のことでは何も言わないよ。警告もしない。コルネリウス・M・イネンフルスは偽名とは言えない」
「許してくれるか」
「うん」
アイリスは普段の表情に戻り、リサは安堵した様子でコウを見る。
「良かったですね旦那様」
「ああ、助かるよ。あのクソ長い名前は二度と言いたくないしな」
*
三つ目の封印は、村の入り口、門の近くにひっそりと設置されていた。
コウはそれをつつがなく更新する。広場のほうで、数人の村人がその様子を見守っていた。
「お父さんから勘当されたって言ったけど」
「ん? ああ」
四つ目の封印に向かう道すがら。アイリスが話を再開する。
「ごめんね、言いたくなければやめるよ」
「いや、別にいい。隠しているというか、どちらかといえばただ面倒だと言ったほうが近いしな」
「でも、知られないほうがいいようなものではある。そうだよね?」
「……まぁ、そうだな」
コウは言葉を濁した。
「できれば知られたくないな。せっかく勘当されたんだ。僕は自由にやりたい。他の、何かの属性で測られることなく、冒険者コルネリウスという一個の存在としてね」
「しがらみにとらわれず、冒険者として生きていきたい。そういうことだね」
「そうだ」
そこで、自分をじっと見ているリサを見下ろす。
「リサ、このことは内緒にな」
「任せといてください」
リサは胸を叩いて請け負う。コウはその様子に、思わず苦笑した。




