長杖(スタッフ)
「これが召喚士マルグレーテの長杖か」
木製の、古びた長杖。長さはアイリスの身長より少し短い。
桜花騎士団のハインリヒくらいの身長かな、とコウは目星を付ける。
巨大な樹木の枝をそのまま利用したような、冒険譚の中の魔術師が持っているイメージそのままの杖だった。職業というものが形骸化した現代では、滅多にお目にかかれない代物だ。
アイリスが掲げる長杖に、コウは慎重に手を伸ばす。
指が近づくと、長杖との間に魔力の火花が散る。杖の輪郭が一瞬光り、コウの手に納まる。
「うまく受け入れてくれるといいが」
長杖を持ち上げ、宙に掲げてみる。まっすぐ上に挙げ、横に倒す。両手で持ち、斜めに構える。
コウは自分の正中線の正面に、長杖を垂直に掲げた。そして腕を伸ばし、手を離す。
長杖は地面に落ちることなく、魔力を散らしながら宙に浮いたまま静止している。
アイリスとリサは、その様子を少し離れて見守っている。
「す、すごい……」
「すごいの?」
「すごいのって……アイリスさん、あれアイリスさんのお姉さんの杖ですよね」
「まぁ、そうなんだけど」
「すごくないですか? あんな風に杖が宙に浮くなんて」
「そこ!?」
ケネル村は平和な山奥の村だ。魔法使いは申し訳程度の司祭しかおらず、コウが来るまで魔法とは縁遠かったという。リサがこの程度で驚くのもそのせいだろう。
よくこの現代でこんな村が残っていたな、とアイリスは思う。
*
アイリスの滞在している宿屋、その裏手の作業場。
コウの家の裏手の場所と同じように薪棚や倉庫があり、旅人の馬車のための厩舎もある。
馬を驚かせないように、少し離れた場所でコウは長杖の起動を試みていた。
円く拓けた場所で、地面は堅く締められている。おそらくワイバーンの発着場として設定した場所だろう。
コウの輪郭がほのかに光る。宙に浮いた杖が、ちょうどその長さの半分、中点あたりを軸に一回転する。
杖を浮かせたまま、両手で素早く二・三度印を組み、コウは呪文を詠唱する。足元に魔法陣が出現し、光を放ちながら回転する。
「所有者を離れし知恵の杖よ、我が命に従え!――《誓約》」
差し出したコウの両手と、長杖の間に魔力の交流が起こる。火花が散り、様々な色の稲妻のような光が走る。
「――ッ!!」
魔力が暴走し、爆発を起こした。
とっさにアイリスがリサをかばう。
コウは弾き飛ばされ、厩舎の手前で《雲踏》を発動、空中を踏んで姿勢を制御し、着地した。
馬たちがいななき、アイリスがそれをなだめに行く。
長杖は地面に転がり、カラカラと音を立てて回っていた。
*
「まさか失敗するなんて」
拾い上げた長杖に目を落としながら、アイリスがつぶやく。
「やっぱりなまってたんじゃないの? 長い隠遁生活でさ。元冒険者だなんて言ってる間に、ほんとに元になっちゃったんだよ」
「……………………」
アイリスの軽口にも反応せず、普段は飄々とした態度を崩さないコウが、めずらしく黙り込んでいる。
「あー、その……ごめん。言い過ぎた」
「いや、別に気にしてはいないし、怒ってもいない」
「コウ君の実力はわかってるよ。ほら、私が持っても別に何も起こらないじゃん」
アイリスは杖をぶんぶん振ってみせるが、コウは腕組みして黙ったままだ。
「コウ君が持った時だけ、この長杖が強い反応を示したでしょ? 火花が散ったりさ。強い魔力同士が反応してる証拠だよ」
「そうなんですか? つまり、この長杖は誰にでも使えるものじゃないと?」
重苦しい空気に耐えかねたように、リサが横から口を挟む。
「そそそそ。魔法の杖はざっくり分けて短杖、中杖、長杖ってあってね。短いほど誰にでも使えるけど、長くなればなるほど専門職じゃないと使えないんだ。それこそ召喚士みたいにね」
「アイリスさんのお姉さんは、その難しい杖を使いこなしていたってことなんですね」
「うん……もしかしたら姉もこの杖は持て余してたのかもね。普段は別の杖を携行していたから」
「いや、そうじゃないな」
コウが口を開く。
*
「この杖は間違いなく君の姉さん、マルグレーテのものだ。一瞬だけど《分析》で所有者を確認した。そして杖の順番は一番目に設定されていた」
「……それって、どういうことですか?」
リサに向き直り、コウが説明する。
「魔道士クラスは自分の杖を何本も持ってたりするが、短杖や中杖と違い、長杖くらいになると所有者と杖の間で結束が発生する。あくまでたとえだが、長杖は生きているとよく言われる。内部に膨大な数の魔導書が魔力的に刻み込まれ、精巧な魔力回路が存在する長杖は、それ自体が所有者の魔力を吸って生きている使い魔みたいなもんなんだ」
「長杖は、それを使う魔道士にとって忠実なしもべみたいなもんでね。どこにいようと気にかけていなくちゃならない。起動している間は、静かに置いとくだけでも魔力を微量に消費する。そういうこともあって、何本も持つわけにはいかないんだね」
アイリスが補足し、それにコウがうなずく。
「そして、この杖はアイリスさんのお姉さんの第一のしもべだったわけですね」
「そういうことになるね。しかし、どうして姉さんはこの杖を予備のように扱ってたのか……」
「そして、どうやら僕はこの杖を怒らせてしまったみたいだ」
*
「怒らせた?」
リサとアイリスが異口同音で訊ね、顔を見合わせる。
「そうだ。ここまでの長杖になると、たとえじゃなくて人格を持っててもおかしくない。なんなら性別が設定されていることさえある。長杖に組み込まれた魔力回路や術式、膨大な魔道書のそれぞれの魔法を起動するには、術者が逐一手ずから行っていては時間がかかりすぎる。だから、杖に人格を持たせて助手のようにし、サポートさせるわけだ」
コウは両手を開き、手のひらを見下ろす。
手のひらは黒く焦げている。リサは息を呑んだ。
「旦那様っ、」
「大丈夫だ」
《治癒》を唱え、コウの両手はみるみるうちに元に戻っていく。
「……これは警告かな。次はこのくらいじゃ済まないぞ、っていうね」
「どうしてそこまで……」
「さっき、《分析》で所有者を確認したって言ったろ? その時に、この杖の機嫌を損ねた。つまり『勝手に見るな』って怒られたわけだね」
「つまり……コウ君は乙女の大事なところを無断で覗き込んだってわけだね」
コウはアイリスの言葉に、アイリスを見、杖を見、リサを見た。
「ちっ……違、何を言ってるんだアイリス」
「そういうことなんですか旦那様……」
リサがすすすすと離れて、アイリスの陰に隠れる。
「違うってば……そういうことじゃない。助けてくれアイリス」
「わかってるよ、それは冗談。あくまで、誇り高い魔法の杖が『妾の眠りを妨げる其方は何者ぞ』って怒ったわけだよね」
「そうそう。っていうか、正確には杖の性別もわかんないんだけどな」
コウは頭を掻いた。
*
「ともあれ、もう一度試してみよう」
「一回拒絶された女に、もう一度告白するの?」
「旦那様、時にはあきらめが肝心ですよ」
「ちっ、違うって……長杖にあるのはあくまで疑似的な人格であってだな」
手を振り回して説明するコウに、アイリスが笑って杖を差し出す。
「わかってる、冗談だよ。でも警戒されちゃったんでしょ? 大丈夫?」
「この杖の知能が高ければ高いほど、人格が複雑であればあるほどわかってくれるはずだ。おそらくあと一回程度は話くらい聞いてくれると思う」
そう言って、コウは長杖に手を伸ばす。
「今度は、こっちの身分を明かして、できるだけ誠実に対応してみよう」
*
長杖を受け取ると、先ほどよりもさらに強い魔力の火花が散り、コウの髪が逆立つ。足元に魔法陣が浮かび上がると同時に風が巻き起こる。
「離れろ!」
コウはアイリスとリサに叫ぶ。アイリスはリサをかばいながら後ろに下がる。馬がいななき、蹄を鳴らして抗議する。
コウは杖を両手に取り、口の中で呪文を詠唱する。そして、
「数多の魔導書を司る誇り高き知恵の主よ! 我が氏族の象徴にかけて、コルネリウス・セプティムス・クレメンス・フィリウス・ミゼレット・イネンフルス・アブディカティオが冀う。汝の所有者と、汝自身の隠された真名において、」
我に従え――
長い宣言の後、「《誓約》」の一言が発せられる。
次の瞬間、魔力の奔流が収束する。周囲を舞っていた色とりどりの魔力は細かい粒子と化し、宙に還元していく。
長杖はコウの手に収まっていた。
今度は何も起こらず、杖は穏やかな様子を見せている。
*
「やった! 成功したみたいですよ!」
リサが飛び跳ねて喜ぶ。
いつの間にか馬小屋の陰から見守っていた村人たちが「おお~っ」と歓声をあげ、拍手が巻き起こる。
「いつの間に集まってたんだ」
「さっき一回、爆発が起こりましたからね。たぶんその時ですよ」
「また演劇にされちゃうな……」
「いいじゃないですか、旦那様のカッコイイところが伝えられていくのは良いことです」
「伝えられてって……僕は村の伝説なんかになるのか?」
リサはコウに抱き着いてはしゃぐ。コウはそんなリサと村人たちを見て、苦笑いしかできなかった。
アイリスは腕組みをしてにこりともせず、眉根を寄せてコウを見つめていた。




