結界 その①
樹上から地面に降り立ったアイリスは、さして汚れてもいない服をパンパンと払う。
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いつものだぼっとした服に、ベルトをたすき掛けにし、背中にちょっとした荷物入れを背負っている。
肩口あたりで切り揃えられたブロンドの髪に、はっきりとした目鼻立ち。背はコウよりも少し小さいくらいか。上着の裾から短杖の先が見え、魔法使いであることがわかる。
幅広のズボンは裾がブーツの中に仕舞われている。彼女は村にいる時、常にこの服装であり、飄々とした立ち居振る舞いに反して抜け目なく用心深い性格がうかがえる。
疾風怒濤の元リーダーにして、ギルドマスター資格保有者、アイリス・ツヴァイテンバウムが彼女の名前だ。
「いるならいると言ってくれよ、アイリス」
コウは腕を組んで、苦々しい顔で抗議する。Aランク冒険者のコウは、木陰で休んでいる時に真後ろ、つまり背後の樹の向こうから近づかれたとしても察知したはずだ。
ということは、アイリスはコウが樹の下に休みに来る前から樹上にいたことになる。
「悪いね、ちょっと子供たちから隠れててさ」
そう言うと、アイリスはその姿勢のまますすすすと横移動し、広場の反対側の木陰に隠れようとする。
コウとアイリスは目を見合わせると、広場の子供たちの視線からアイリスを隠すようにすすすすと横移動する。
「おっ、悪いねー」
そのまま三人は、樹の反対側に移動した。
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「子供たちから隠れてるって、なにかいたずらでもされたか」
「なにも。この村の子たちは良い子たちだからね。ヘンないたずらなんかしないよ」
「じゃあ、なんでだ?」
「ただ疲れただけだね。というか、ちょっと好かれすぎたかな……暇さえあれば構ってくるんだもん」
「いいことじゃないか。好かれるのは良いことだ」
「子供のおもりは苦手なんだよ」
そう言ってから、アイリスはリサの視線に気がつく。
「もちろんリサちんは別だからね。というか、リサちんはもう大人だもんね~」
手をわきわきと動かしながらにじり寄るアイリスに、リサはコウの陰にさっと隠れる。
「……嫌われてるな」
「シャイなんだよ」
「君はダメージというものを受けないのか?」
「あいにく体は丈夫なほうでね。ここ数年、ポーションのお世話になったことはないな」
アイリスは「う~ん」と言ってのびをした。
「樹の上でヘンな姿勢でいたから固まっちゃったよ」
「素直に子供たちの相手をしていればよかったじゃないか」
「コウ君こそ、遊び相手になってあげればいいだろ」
「駄目だ。もう子供たちは僕に飽きている。この村に来た当初くらいは大変だったけどな」
コウはあの日――ハインリヒの《瞬間移動》で転移させられた日のことを思い出す。
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山の中、樹上に転移させられたコウは、樹の枝がクッションとなり奇跡的に一命を取り留めた。
……というのは大袈裟だ。石の中や溶岩の直上などに転移させられないかぎり、魔道士クラスでありAランク冒険者のコウは、自分自身の自由落下程度なら魔法でどうとでもなる。
ご丁寧にも、ハインリヒはコウに紐つくすべてのものを転移させていた。枝に引っかかり、やれやれとため息をついたコウの上に、宿の部屋に置いてあった荷物が次々と降ってきた。
結局、自分自身の荷物と一緒に、コウは樹の下、藪の中に落下した。
周囲はすっかり暗くなっていたが、《天眼》の魔法でケネル村を発見、《剛力》など補助魔法をいくつも使い、自分自身の荷物の多さに呪いの言葉を吐きつつ、クソ重い荷物を抱えながら村にたどり着いた。
昔、一度依頼で訪れたことがあり、その時コウは村人と親しく交流していたため、村人たちはすんなり受け入れてくれた。
そして、だいぶ村に馴染んできた頃、アイリスが現れた。
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「コウ君こそ、いいのかい? まだ午前中だけど、木陰でのんびりパズルなんか解いてさ」
「パズルじゃない。練習帳だ。いつどんな魔法も行使できるように、魔力回路を――」
「旦那様はつねに戦いの準備をしているんですよ、すごいでしょ」
リサがコウの後ろから顔を出し、アイリスに言う。
「ほんとだね。さすがは疾風怒濤のリーダーってとこかな」
「リーダーになったつもりはない。ごく最近リーダーにさせられたんだ。だから『疾風怒濤のリーダーだから練習帳をやっている』というのは間違っている」
「細かいね~」
「細かいところは旦那様の玉に瑕ですね。薪棚に並べた薪の切り口すら揃えてるんですよ。そのくせ、自分の部屋はごっちゃごちゃに散らかしてるんだから」
「ちょっ、リサ、いいだろそんなことは」
コウはリサを止めようとするが、リサはひらりとかわす。
「僕の部屋はあれで片付いてるんだ。というか、勝手に入るなって言ってるだろう」
「片付いてるのは私のおかげです。ちょくちょく整理しないと廊下まで本が溢れて来ますから」
「コウ君、そんなに本読むの? この村って行商人は一ヶ月に一度じゃなかったっけ。どっから本なんて」
「ご近所さんたちから、読まなくなった昔の本を引き取って持ってくるんですよ。昔の魔導書を探すんだって」
「昔の本は、小説本なんかに術式の一部やヒントなんかが書かれてることがある。既存の魔法の理解の手がかりになるんだ」
「コウ君がやたら古い魔法を知ってるのはそのためなんだね」
リサとじゃれ合うコウを、アイリスはしばし目を細めて見つめていたが、
「さっ、そんなコウ君に、これからちょっと仕事を手伝ってもらおうかな」
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「仕事? 手伝うのはいいが、いったい何だ」
リサを捕まえたコウが、アイリスに訊ねる。
「手伝うっていうより、私が君の仕事を手伝うようなもんかな?」
「……どういうことだ?」
「旦那様、なにかやり残してる仕事とか、忘れてることとかあるんじゃないですか? それをアイリスさんが言いに来たとか」
コウを見上げてリサが訊ねる。コウはリサを見、アイリスを見て、腕組みをして考える。
「……わからん。いったい何だ?」
「コウ君は自称、この村に居着いた元冒険者だよね?」
「自称ではなく、事実としてそうだな」
「……そんな立場の元冒険者が、村の中で居場所を見つけるには、仕事がなければならない」
「そりゃそうだ」
「で、君は魔道士クラスの冒険者だ。昔と違って魔法の習得と行使が劇的に簡単になった今、冒険者になるためには魔法使いであることが必須であり、そのため職業というものは形骸化している」
「……ギルドマスター試験みたいなことを言うな。事実としてはその通りだが」
「この辺はギルマスになる時に勉強したからね」
むふー、とアイリスは鼻を鳴らす。
「とはいえ、君は魔道士が専門職なわけだよね?」
「まぁ、そうだな。一応なんでもするのが僕のモットーだが」
「じゃあ、なおさらなんでもしてもらわなきゃいけない」
「……つまり、この村に対して、魔法で何かをするってことか?」
「ご明察」
アイリスはぱちんと指を鳴らした。
「というわけで手伝ってもらうよ。いまからこの村の、ずさんな結界をすべて張り直す」




