練習帳
山奥のケネル村――
冒険者パーティー・野獣が村を去った後、元冒険者コルネリウス・イネンフルス――通称コウは、気ままな田舎のスローライフを再開していた。
*
午前中の仕事を早々と終えたコウは、木陰に座って本を広げ、ここ一ヶ月ばかりの出来事に思いを馳せていた。
桜花騎士団のリーダー、ハインリヒ・グラーベンに追放され、最初は混乱も憤慨もしたが、今となってはこれで良かったのかもしれない、とコウは思う。
冒険者をやっていた頃とは全く違い、平和なこの村は退屈こそすれ、食うには困らない。
そりゃ、魔物を狩り迷宮を攻略し、多額の金銭や宝物を手に入れ、有名になったり地位を得たりは出来ない。だが、この村にはゆったりと流れる時間と温泉、なによりも平和がある。村人たちは善良であり、お互いが支え合って暮らしている。
何の問題もない。せいぜいニンジンがよく穫れるのが気に入らないくらいだ。
(そういえばハインリヒもニンジンが嫌いだったっけ……あいつとの唯一の共通点だったな)
小鳥がやってきて、コウの足元の地面あたりを歩き回り、地面の何かをついばんで飛び去っていく。
広場では、暇になった子供たちが木剣と木の杖を振り回して冒険者ごっこに興じている。「ゴーレム役」の少年もいるようだ。以前、冒険者アイリスと一緒にメタルゴーレムを討伐した時のことを模したごっこ遊びなんだろうが、本人の目からは少し気恥ずかしい。
木陰から出たコウの足元を、柔らかい陽の光が照らし、暖めている。
「平和だなー……」
*
「平和? 何を言ってるんですか」
木陰で本を読んでいたコウの視界に、おさげ髪の少女――リサの姿がひょこっと現れる。
リサはコウの家に同居し、様々な家事を買って出ている少女だ。というか、率先して家事を行いコウを世話している。
コウはリサに対し、むしろ邪険に扱っているつもりだった。しかし、素っ気なくすればするほどリサはコウに対して食い下がってくる。
何が面白いんだか、とコウは思う。
「だって平和じゃないか、リサ。ここはいい村だ。何の問題も無いよ」
コウの読んでいた本を、リサがひょいっと取り上げる。
「何をするんだ、」
「この本、魔導書ですよね。こういうの読んで、魔法を勉強していたんでしょう。そうですよね?」
リサはページを広げて、コウに本を突きつける。
ページには記号のようにしか見えない魔法文字が、文字通り踊っている。チカチカと蠢く文字はやがて明滅して消え去り、本のページは真っ白になる。
「……それは魔導書じゃないよ。魔道士のための練習帳みたいなもんさ。それでも神器でね、持ち主の魔力に反応して無害な術式を永遠と生成してくれる」
コウの言葉を受けて、リサは本のページを見やる。
「真っ白ですけど」
「それは、魔法の訓練を受けていないリサが、使い方を知らないから文字が浮き出てきてないだけだな。魔法使いならば、潜在意識に蓄積している魔法の知識から様々な術式を生成できるんだ」
「へぇ~……」
本を矯めつ眇めつし、リサはコウにそれを返す。
*
「それはどういう意味があるんですか?」
「……魔法を使うに当たって、術式の正確さや再現性は何よりも重要だ。魔法は文字通り言語でね。たとえばリサがどこかの店で買い物をする時にも、何が欲しいかを店の人に通じるように言わなければ品物は買えないだろ? 魔道士も口に出したり心の中で言ったりして、術式を実行して現実界に思い通りの現象を呼び起こす。ざっくり言えばそういうことだ」
「この村で買い物をする機会はほぼありませんが、まぁわかります」
木陰に座って足を延ばすコウの隣に、リサが座る。
スカートと一緒に膝を抱え、コウに寄り添う。コウが身を離すも、リサは構わず寄ってくる。
「で、それで何をしていたんです?」
「練習帳って言ったろ? 魔法使いといっても、普段から危険な《火球》を撃ちまくるわけにもいかないからな。それに、この村では結界は薄いが、ちょっと大きい街や都会なんかだと街中で魔法を使用することが禁じられていたり、あるいはそもそも魔法の行使が出来ないようになってたりする」
「ふーん……」
「だから魔道士クラスの冒険者は、普段からこれを読んで……」
そこまで言って、コウは黙り込んだ。眉根を寄せ、口をとがらせる。心なしか頬も膨れている。
リサはコウの顔を横から覗き込んでいる。少し嬉しそうな表情だ。
*
「普段から読んで、いつでも戦えるように準備している。でしょ?」
「……まぁね」
「旦那様は、やっぱりやる気があるんですね」
「やる気、とは?」
「冒険者に戻る気、ということです!」
コウの鼻先に、びしっと指を突きつけるリサ。
それを、コウは本の表紙で横に退ける。
「僕はもう引退したんだ」
「またまた~。そんなこと言って。ほんとは復帰したいんですよね?」
「そんなことはない」
「アイリスさんの疾風怒濤にも入ったし、いよいよ復活待ったなしじゃないですか」
「あれははめられたんだ、リサも知ってるだろ」
「でもその後、旦那様はアイリスさんにパーティーから外してくれなんて言ってませんよね? 疾風怒濤のリーダーにさせられたことも、結局受け入れてるように見えます」
「面倒くさいからな」
「じゃあなんで練習帳なんか読んでたんですか」
「この村には魔熊や魔猪も出るだろ? その時のために、魔法の腕がなまらないようにしてるのさ」
「……まぁ一応、筋は通ってますね」
なんで俺は尋問をされているんだ、とコウは思った。
「それに、この練習帳は魔道士クラスじゃなくても、頑張れば一般人でも使える。引退後に趣味で魔法を覚えて、この練習帳を買い求めて延々と現れる術式をパズルのように解いてるお年寄りなんかもいるんだ」
「旦那様はお年寄りじゃないでしょう?」
「そりゃそうだが、たとえとしてだ。そういう人もいるってことだよ」
リサは立ち上がった。
やれやれ、やっと解放されるな、とコウは心の中でため息をつく。
*
「でも、私は信じてますから」
「何をだ」
「旦那様が、冒険者に戻るってことをです!」
「はいはい、勝手に信じていればいいよ」
つっけんどんに返しても、リサは堪えた様子もなく笑っている。
「私、覚悟を決めたんです」
「覚悟?」
「旦那様がこの村を出るなら、私もついて行くってことです!」
「……絶対に出ないし、もしそうなったとしても、リサは連れていかないからな」
「なんで?」
「なんでって……冒険者稼業は危なすぎる。ここは平和だが、大きな町や都会には悪い奴や変態が山ほどいる。人さらいもいるし、闇に紛れた魔物が村以上に徘徊していたりする。そんなところにリサを連れては行けない」
「大丈夫ですよ、なんとかなります」
「なんとかって……」
「私だって、お花畑で草冠を作って遊ぶお嬢様じゃないですよ。必要なら魔法だって勉強しますし」
「前に教えてくれって言った時、初級の魔導書で音を上げてたじゃないか」
「あれは旦那様の教え方が適当だったせいです。いい先生に習えば、たぶんもっとうまく覚えられます」
「……ひどくないか?」
傷ついたふりをしながらも、この娘は冒険に連れて行くなど出来ないな、とコウは改めて思った。
勇者の冒険譚は子供向け絵本や物語絵巻、小説本、魔法演劇などとして巷間に流布している。そのせいで、冒険者というものはなんとなく人々の憧れの的になっているような風潮があるが、そもそも冒険者とはならず者の受け皿だ。社会からこぼれ落ちた者たちが最終的に行きつく場所。訳ありの者たちの巣窟。
この少女を、そういったルール無用の悪党たちに混じらせてはいけない。
コウはコウなりに、リサのことを考えているのだ。
*
その時、コウがもたれかかっている樹の上で何かが蠢いた。
木の葉が二、三枚舞い落ちる。
「――何だ?」
コウとリサが見上げると、木の枝に寄り掛かっているアイリスの姿があった。
「うおっ!」
「アイリスさん!」
*
ガサッ、という音を立てて、アイリスが飛び降りる。
だぼっとした服が空気を孕んで膨らみ、着地と同時に元に戻る。
「いやー、見つかっちゃったか」
アイリスは少しばつの悪そうな表情で、口元に笑みを浮かべた。




