吸血鬼(ヴァンパイア) その⑨
ハインリヒの体の輪郭に、ほんのわずかに見えていた暗青色の輝きがフッと翳る。
魔力に目聡い者でなければ気づけない、補助魔法《敏捷》の切れる予兆だ。
それを見逃さず、吸血鬼フェムトは鋭く踏み込み、一瞬にして間合いを詰め、ハインリヒの喉笛を狙い、爪の刺突を繰り出す。
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「ダンッ!」と魔銃の銃声が鳴り響く。
同時に、ハインリヒはフェムトの爪を辛うじて剣で受ける。《障壁》とともに致命の刺突を防ぎ、魔力の火花が飛び散る。
フェムトは競り合った姿勢でニヤリと笑い、左手の爪を伸ばす。
(《敏捷》が切れる隙を突いた。死体からもぎ取った即席の腕でも、ほんの少し傷をつけるくらいなら出来る――)
この隙に目を狙う。視覚を奪えば、たいていの人間は無力化できる。
愉悦と嗜虐に満ちた笑みを浮かべ、爪を繰り出す刹那。
フェムトは何かに違和感を覚えた。
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ハインリヒの横顔が赤橙色に照り映える。わずかに遅れて届く熱風と轟音。
そして、牢獄の中に閉じ込めていた盗賊の男どもの断末魔の叫びが響く。
「なッ!?」
フェムトの動きが硬直した隙を見逃さず、ハインリヒは《倍撃》を瞬時に付与し、吸血鬼を蹴りつける。先ほどからの十八番である蹴りを腹部に受け、フェムトは跳ね飛ばされる。
立ち上がった吸血鬼はしかし、桜花騎士団の誰かを襲うということもなく、
「何をしているんだあああああッ!?」
燃え広がる《業火》の火炎を見て咆哮した。
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牢獄の中は、文字通りの地獄と化していた。バルトの魔銃が放った《業火》が、捕らわれていた盗賊の男たちを焼却していく。
まさに阿鼻叫喚。盗賊たちは絶望の叫びをあげて燃やされ、炭化していく。衣服が燃え、肉が焦げ、骨が焼ける臭いが充満する。
魔銃士バルトが放った魔弾は《敏捷》などではなかった。
ハインリヒに三重に付与された《敏捷》が切れる寸前、バルトは牢獄の中に向かって《業火》を撃った。もちろんその理由は、吸血鬼の食糧である盗賊どもを焼き尽くすため。
もともと「廃鉱山に住み着いた盗賊団」など、いつ討伐対象に指定されてもおかしくない存在だ。しかし、彼らは無辜の市民でこそないものの、今のところ殺される謂れなど無い、むしろ吸血鬼に食糧として捕らえられた被害者。
言ってしまえば、彼らはただそこにいただけとも言える。
その盗賊たちを、吸血鬼が食糧にするより先んじて焼却する。
つまりは皆殺しにする。
――吸血鬼は生者の生き血……つまり生命力を吸い取ることにより、体力や魔力を回復させ、傷を治癒します。奴にとって、あの牢獄の中の盗賊どもは、さしたる副作用もなしに使用できる高級傷薬のようなもの。ならばそれを破壊する。
ハインリヒとエルガーに、バルトは《念話》でそう立案した。
《業火》の明かりに照らされ、牢獄の中の阿鼻叫喚を見つめるハインリヒの表情には、彼とつき合いの長い者だけがわかる、愉悦に満ちた歪んだ笑みが浮かんでいた。
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吸血鬼は高い知能を持ち、人語を解し、また魔法や固有技能を操る。
だが本質は猛獣と言っていい。人間のように理性や感情で動くのではなく、欲望や本能を優先する……というより、それに支配されている。
その本能の一つに、獲物に対する執着心がある。人里に出没する魔熊のように、吸血鬼は自分の獲物に手を出されると狼狽し、怒り狂う。
バルトの作戦はその本能を突くものだった。食糧を焼き尽くして再生の手段を奪うのはもちろん、吸血鬼の本能を刺激して大きな隙を作る。
そして、その隙を見逃さぬ桜花騎士団ではない。
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《加速》をかけて飛び出したエルガーが、吸血鬼の後ろに体当たりを喰らわせた。
もちろん、ただの体当たりではなく、黒鋼の神聖剣を腰溜めに構えた突撃。
吸血鬼フェムトは後ろから体当たりを喰らわさる。振り向こうにも体は動かない。黒い曲剣が腹から生えている。剣と体の接触面から、ぶすぶすと白い煙が上がる。
「…………あ?」
脇からもハインリヒが体当たりを喰らわせ、同時に魔銃の銃声が響く。
ハインリヒは吸血鬼の胸から背中にかけて剣を刺し貫いている。そこに帯のような黒い魔力が襲い来り、指向性をもつ《束縛》が抵抗する暇もあらばこそ吸血鬼のみを縛り上げる。
「――ッ……がああああアアアッ!!」
吸血鬼は咆哮する。美しい顔は歪み、猛獣の本性を露わに牙を剥いて叫ぶ。だが二本の剣が胴体を貫き、《束縛》で縛り上げられなすすべもない。
*
吸血鬼の体に取りついていた二人は、後ろに飛びすさりって短杖を抜き、
「炎霊の朱き舌が我が敵を灼き尽くさん!――《猛火焼尽》」
ハインリヒは炎系上級魔法を、
「エシュタルの名において闇の世界へ還れ!――《暗黒回帰》」
エルガーは暗黒系特殊魔法を、それぞれ発動。
魔銃の銃声が鳴り響き、白光が尾を引いて吸血鬼の頭上で炸裂し、
「天空の父フィレオンの光が闇の穢れを浄め給う――《浄火光明》」
バルトがつぶやく。
吸血鬼の体を、魔法の炎が舐めるように焼き尽くし、足元に湧いた闇がその肉体を構成する穢れた魔力を奪い取り、頭上からの浄火の光が容赦なく闇の体細胞を崩壊させていく。
「……………………ッッッッッ!!」
断末魔の叫びも聞こえぬほど、赤・黒・白の三色の魔法の暴風が吸血鬼を蹂躙する。
そして、吸血鬼を構成していた魔力は膨れ上がり――爆発した。
*
「――くっ!」
三人は半身になり、腕で顔を覆い、爆風から身を守る。
黒いコウモリのような魔力の欠片が四方八方に逃げ去るように飛び散り、ハインリヒの片手剣とエルガーの曲剣が床に落ち、音を立てる。
床には吸血鬼の不浄の血の染みと、黒い焼け焦げが残っていた。
牢獄内の盗賊どもも焼き尽くされ、全員が黒焦げの焼死体となっている。
「……灰は灰に」
ぽつりとつぶやいたのは誰だったか。弔いの言葉が低く響いた。




