吸血鬼(ヴァンパイア) その⑦(と、賭博者たち その③)
吸血鬼フェムトに生命力を吸いつくされた盗賊の男は、左腕を残して塵と化した。
*
フェムトは切断された盗賊の男の左腕を空中で掴むと、それを自身の左腕の切断面に合わせ、接着した。左腕の切断面から赤黒い魔力があふれ出し、縫い付けられるように腕が一体化する。
新しい左腕に、血管のように黒い線が走る。爪が黒く変色し、先が尖る。
ハインリヒは無表情で、エルガーは苦虫を嚙み潰したような顔で、バルトはあくまでも感情の伺えない仮面のような笑みで、それを見守る。
牢獄の中の盗賊どもは「ひいぃ」と怯えてバケモノの行動を注視していた。
新たな左腕を動かし、手を握り開くフェムト。
「ふーむ……ちょっとだけ大きいかな? まぁ応急処置としては申し分ないが」
そして左手を顔の前にかざし、手の甲側を見せ、爪を伸ばしてみせる。
「とりあえずこれで戦いやすくなった。さぁ、殺り合いといこうか」
フェムトは頬を歪め、おぞましい笑みを浮かべた。
もし、魔力への抵抗力や防御力を持たぬ者がその正面にいたら、その笑みを見ただけで生命力を奪われて倒れてしまうだろう。
* * *
ところ変わって、賭博者たちの集まる首都某所の一室――
「お、おおっ! なんということだ、せっかく片腕を斬り飛ばしたのに」
壁際に設置された、長いソファの入り口側の端で、貧相な男の影が立ち上がる。
《魔道視板》の中では、まさに吸血鬼フェムトが餌の一人を喰らい、その腕を奪い取って新たな自分の腕としたところだった。
「あんな芸当が可能とは! せっかく桜花騎士団が有利に傾いたと思ったのに、これでは振り出しに戻ってしまった!」
貧相な男――ミスター・ベヘモスは立ち上がり、頭を抱えてわめき散らした。
他の参加者である五人は思い思いの姿勢でソファに深く腰掛け、《魔道視板》にそれほど注意を払うこともなく、めいめいが好き勝手なことをしているように見える。
でっぷりと太ったミスター・ドラゴンは悠長に紅茶をすすり、その隣の筋肉質の戦闘者然としたミスター・グリフォンは腕組みをして俯いている。
ミスター・ベヘモスの隣のミズ・フェニックスは爪にやすりをかけ、その隣のミセス・マーメイドは煙管に煙草を詰めて、指をはじいて《着火》の魔法で火をつける。
ソファの真ん中のミスター・ペガサスに至っては、限られた者しか持つことの許されぬ神器《魔道賢器》を何やら操作し、《魔道視板》には注意を払っていない。
ミスター・ベヘモスは、そんな参加者の姿を見て鼻白んだ。
(なんだその態度は。というか、なんだこいつらは。まるでもう勝敗が決まったような顔をして。言っても腕が戻っただけだ。そんなに吸血鬼側が有利というわけでもないだろう!?)
そして拳を握り締めて《魔道視板》を見やる。
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今回の賭けの内容は、
「この戦いにおいて、桜花騎士団は死人を出さずに戦いを終えることができるか」
ここ数回の賭けで負けが込んでおり、すでに賭け金を前借しているためもう後のないミスター・ベヘモスは、考えあぐねた結果「死人が出ない」ほうに賭けていた。
いかに吸血鬼が強敵といっても、なんといっても桜花騎士団はAランクであり強い。簡単に犠牲者が出るような冒険者パーティーではない。
それに先程まで、他の参加者たちがこぞって桜花騎士団の不利を口にしていたのも気になった。
(もしかしたら、この俺の選択を誘導しようとして、こぞって吸血鬼側を持ち上げていたのかもしれん。そして俺に「死人が出る」ほうに賭けさせ、他の五人は「死人が出ない」ほうに賭ける……)
そう思って、ミスター・ベヘモスは「死人が出ない」に賭けた。だが他の五人は「死人が出る」ほうに賭け、またもミスター・ベヘモスと他の五人に分かれた。
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ミスター・ベヘモスは、《魔道視板》に注視するふりをしながら、ソファに深く腰掛ける賭博者たちを横目で見た。
(こいつらは俺をはめている。俺の財産を根こそぎ奪うつもりだろう。もう既に俺はこの賭けのために賭け金を前借りしている)
ミスター・ベヘモスこと織物商テクストルの意識は千々に乱れていた。
(ここで負ければ俺は文字通りすべてを失う。俺の店――テクストル商会を奪われ、ギルド支配者の地位も奪われ、家屋敷や使用人、家財道具から馬車に至るまで何もかもだ。家族は路頭に迷う)
ここ数戦、賭けの参加者の中で彼一人だけが別の選択肢を選び、大負けしてきた。そのパターンが続いている。
「同じ出目が何回も連続で現れる」などといったようなことは賭け事にはありがちな確率の偏りに過ぎないが、そもそも成り上がりであり賭け事に疎いテクストルは、その偏りを人為的なものであると見なしていた。
(そうは行くか。貴様らの思い通りにはさせん。俺はこの賭けに勝つ。そして負けを取り戻し、さらなる富を積み重ねて――)
*
「まぁそんなにカリカリしなさんな、ミスター・ベヘモス」
ソファの真ん中あたりに座ったミスター・ペガサスが、《魔道賢器》の操作を終え、神木で出来た板状の神器をズボンのポケットに仕舞った。
「世の中、楽しむことが肝要だと俺は思うね、ミスター・ベヘモス。何事も必死になっちゃいかん。たとえ命が懸かっていてもだ。そうではないかね?」
「そ、それは理論上はそうだ。しかし、」
「理論上ね」
ミスター・ペガサスは混ぜ返し、せせら笑った。無礼すぎる行動に、ミスター・ベヘモスが爆発する。
「わ、私はあんた達とは違うんだ! ここに命を賭けてやって来ている! この勝負は、私にとって本当の勝負だ! あんた達みたいに、余った金で遊んでいるわけではない!」
部屋の中はシーンと静まり返る。だがその静寂は、ミスター・ベヘモスの怒りに気圧されたというより、むしろ憐憫と嘲笑、侮蔑を含んだ冷ややかなものだった。
(う、うう……!!)
闇魔法《隠蔽》に覆われた同席者たちの真っ黒い姿を見て、ミスター・ベヘモスの背筋に冷たい汗が流れる。こいつらはいったい何なんだ。本当に同じ人間なのか?
《魔道視板》の映像が激しく動く。全員がそれに注視した。
* * *
吸血鬼フェムトは一瞬霧と化して牢獄の鉄格子を抜けると、まっすぐにハインリヒに襲い掛かる。
ハインリヒは《障壁》を展開しながら剣を振るう。炎をまとった剣が右手の爪を弾く。フェムトは地面を蹴り、宙に浮きあがると、片手を支えにハインリヒを蹴りつける。
強烈な蹴りが《障壁》を打ち砕き、ハインリヒの短躯が弾き飛ばされた。ハインリヒは《雲踏》で宙を踏み、ブレーキをかけ着地する。
その瞬間、ハインリヒの《敏捷》が切れ、同時に、ダンッ! と魔銃の銃声が響く。
ハインリヒとエルガーに《敏捷》が三重にかかる。
一度に三発の魔弾を射出したバルトが、反動で後方にひっくり返った。
「ははッ!」
フェムトは愉快そうに笑った。




