吸血鬼(ヴァンパイア) その⑥
隻腕となった吸血鬼が、ハインリヒを爪で指さす。
*
「名乗っておこう――私の名はフェムト。かつては『人形遣いフェムト』と呼ばれたこともあった」
ハインリヒはにこりともせずに返答する。
「……俺の名前はハインリヒ・グラーベン。冒険者パーティー・桜花騎士団のリーダーをやっている」
「あっは」
吸血鬼――人形遣いフェムトは愉快そうに笑った。
「おまえがあのハインリヒか。目覚めて間もないが、知っているぞ。なるほどな、大陸中に名の知れ渡った『天才』とかいう話だが……さすがに一筋縄ではいかない、当代随一の冒険者というわけか」
フェムトは唇の端を奇妙に曲げ、笑みのような形を作り、牙を見せる。ハインリヒは鉄仮面のように無表情のまま、逆手に炎剣を構えて間合いを計る。
「そしてその構えと表情……ようやく本気になったというわけだな」
「…………」
「ふん。もうお喋りは終わりか? つまんないわね。もうちょっとつき合ってくれたっていいんじゃない?」
吸血鬼が言い終わらぬうちに、ハインリヒが飛び掛かる。
逆手に持った剣の一撃が首筋を狙う。吸血鬼は身をかがめて躱し、ハインリヒの左手側を爪で狙う。
しかしハインリヒは《障壁》を展開、爪を防御する。魔力の火花が飛び散る。
二人は飛びすさり、間合いを開ける。ハインリヒは両手に剣と短杖を構え、フェムトは右手を前に出し、牙を剥き出しに威嚇する。《障壁》のために焼けた爪と指が瞬時に再生する。
*
ダンッ! と銃声が鳴り、ハインリヒとエルガーに付与魔法が張り直される。
――バルト!
――おせっかいかと思いましたが、お二人に《防御》《敏捷》《保護》を付与しました。余計だったら解除してください。
――いや助かる。こいつには魔法が通じん。補助中心で頼む。
――了解。
《念話》でやり取りをするハインリヒとバルトに、吸血鬼フェムトが舌打ちをする。
「そういえば、おまえたちはパーティーだったね。まったく、ちょっと面倒――」
フェムトは言葉を中断し、身を翻してエルガーの刺突を回避する。
「――俺を忘れてもらっちゃ困るな、吸血鬼さんよ」
間合いを離してエルガーを見やったフェムトの瞳孔が細まり、異様な光を放つ。
エルガーは思わず怖気を震った。
「……雑魚が。得物が無ければ何もできないお前ごときカスの剣に後れを取ったことはここ数百年で最大の屈辱だよ」
エルガーが言い返そうと口を開いた瞬間、フェムトは瞬時に間合いを詰め、蹴りを放つ。
身を躱す暇などあらばこそ、エルガーはもろに蹴りを腹に受ける。吸血鬼の強力な一撃は当然のように《防御》を貫き、魔法陣が砕け魔力の塵と化して飛散する。
エルガーは跳ね飛ばされ、「魔石鉱山跡」居住区の壁に背中から激突し、正面に倒れる。
「――ッ!」
エルガーは起き上がろうとするが、痙攣して喀血する。
ダンッ! と魔銃の銃声が鳴り響き、回復魔法が発動する。
*
「雑魚は後だ。まずハインリヒ、おまえを殺す。しぼりカスも残らんほど吸いつくして殺し、魂までも奪いつくして暗黒の彼方に葬り去り、永久に安寧の眠りをくれてやる。有難く思いなさい」
フェムトは残忍な笑みを浮かべた。唇の端に牙が光る。
そして、床にはいつくばるエルガーを指さし、
「おまえはどうするかな。不死鬼にして使い倒すのもいいが、それよりももっと苦痛を与えてやる。地獄に落ちたほうがマシだと思えるほどの苦痛をな」
最後にバルトを見やる。
「おまえはどうでもいいな。どうでもいいが、うざったいハエであることに変わりはない。世界を静かにするためにもついでに殺しといてやる。そして、」
フェムトは無造作に足を踏み出す。
ハインリヒは身構えるが、しかしフェムトはハインリヒにまっすぐ向かわず、地下牢の鉄格子へと脚を進める。
無造作な仕草で歩いているが、隙が全くない――ハインリヒは剣を打ち込めず、フェムトの動きを見守ることしかできなかった。
(まずいな……腕を一本もぎ取ったのはいいが、本気にさせてしまった)
「うふふ……」
フェムトが鉄格子を掴むと、一瞬その姿がぶれる。霧がその姿をぼやかしたように見えた次の瞬間、フェムトは鉄格子の内側、牢獄の中に移動していた。
「何を驚いてるの? よく言うでしょう、吸血鬼は蝙蝠や霧に姿を変えると。その多くは人間どもの勝手な想像に過ぎないけど、中には真実もある。つまり、吸血鬼にとってこのくらいは朝飯前」
そして吸血鬼は舌なめずりをする。
「まぁ、朝飯はこれから喰うんだけど」
吸血鬼フェムトは、いまや牢獄の端に集まって震えている盗賊どもの一人に手を伸ばした。
*
「立ち上がって、こっちに来なさい」
盗賊たちの中で一番若く、体格の小さい一人を指さし、吸血鬼が命令した。
その声は翳りのある恐ろしさを含んでおり、桜花騎士団の三人と牢獄の中の盗賊たち、つまりその場にいた生者全員の背筋に氷のような寒気が走った。
「い、いやだ……助けてくれ……」
そう言いながら、若い盗賊は立ち上がり、吸血鬼に向かって歩き出す。
「いいい、いやだ! なんで、足が勝手に!」
若い盗賊の男はわめき散らかしながら、震える脚で少しずつ歩く。
「……なるほど、人形遣い」
バルトがつぶやく。
距離が離れているにもかかわらず、吸血鬼フェムトはその声を聞きつけた。唇の端を歪めて牙を見せる。
「そう、これが私の固有技能。おまえたちにはもう見せていたよね、あの不死鬼で」
坑道で出会った盗賊の男。死の接吻で変異した食屍鬼もとい不死鬼は、吸血鬼の魔力で直接操られていた。
「生者を動かすのは骨が折れるけど、歩かせるくらいなら何の問題もない」
そして、自分の牙が届くところまで歩かせると、フェムトは男に飛び掛かり、その首筋に牙を突き立てた。
*
盗賊の男の絶叫が牢獄内に響き渡る。
聞いているだけで自分の命までも搾り取られるような、身の毛もよだつ絶叫。
絶望そのものを絞り出したような断末魔に、ハインリヒは眉をひそめる。エルガーは自身の腹部を《治癒》しながら、床に這いつくばって苦虫を嚙み潰したような顔で吸血鬼の食事風景を見やる。バルトの顔からは、いつもの貼りついたような笑みが消えている。
若い盗賊は生気を吸い取られ、見る見るやせ細り、干乾びていく。
正面から首筋に噛みついていた吸血鬼は、右手で盗賊の男の左腕を掴み、見せびらかすように掲げてみせた。
*
数瞬後、絶叫は止み、吸血鬼は牙を離し、男から離れる。
左腕を上げた姿勢で奇妙に固まっていた若い盗賊のしぼりカス、吸い殻に、吸血鬼フェムトは右手の爪を振り下ろした。
盗賊の左腕が斬り飛ばされ、残った体が塵と化して崩れ去る。




