吸血鬼(ヴァンパイア) その④
火属性一時付与魔法《蜃気楼》――
かつてコウとハインリヒが、それぞれ別々の機会にオークの重戦士ダイノス相手の決闘で用いた、一時的な分身を生み出す魔法。
元々は戦場で用いられる、使い捨ての兵士を生み出す魔法だ。分身の持続時間は短く、耐久力もほとんどない。
術式は複雑で、魔力の消耗も大きいが、《蜃気楼》のすぐれたところは、対象が装備した武器や防具、そしてあらかじめ付与された補助魔法すらコピーする点。
だが今はほとんど忘れ去られ、多くの魔法使いから使いどころの見当たらない過去の遺物と目されている。
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ハインリヒが用いたのは、その闇属性版。
コルネリウスから《蜃気楼》の魔法を教えられ、自身もダイノスとの決闘に用いた後、術式を流用して暗黒の魔力を用いるよう改良した新魔法。
その名も、闇属性一時付与魔法《神影》――
もともと闇属性には《複製》という武器を複製する魔法がある。
暗黒の魔力は影を作り出し操るものだ。そのため炎の魔力よりも何かを複製する術式に相性が良い。
ハインリヒは《蜃気楼》の術式を解析、最適化し、新魔法《神影》を編み出した。
両者の最も大きな違いは、《蜃気楼》は術者自身が分身をコントロールする必要があるのに対し、《神影》は分身に大まかな命令を与え、自立させて動かすことができる点だ。
それにより、術者の負担は大幅に減り、分身の操作と本体の戦闘をたやすく両立させることが可能となった。
余談だが、ハインリヒは自ら編み出した新魔法《神影》を冒険者ギルドと魔法協会に届け出た。その術式は普遍性と再現性が認められ、《神影》はハインリヒ個人の固有技能ではなく魔法として登録されている。
「闇属性の分身魔法」という、暗黒の魔力と相性の良い術式が今まで無かったほうが不思議だ――
魔道協会の大魔道士たちは、そのように称賛したという。
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五人のハインリヒは、まったく同じ動作で短杖を仕舞った。
そして五人が同調した動きで左手を前に出し、順手に持ち直した右手の剣を上段に構え、大きく脚を広げて半身となり、腰を落とす。
「さぁ、これが俺の奥の手だ。覚悟するんだな、年増女」
ハインリヒと分身たちの声が重なる。
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吸血鬼は不愉快そうに眉をひそめ、目を細める。
(どうも私は、この小さな勇者くんのことを見誤っていたようね……)
年増女などと煽られたことが気に食わないのではない。そもそも吸血鬼は年齢という概念を持たない。その悪罵は人間の基準から発せられた、筋違いのものと言わざるを得ない。
そうではなく、この小さな冒険者の行動そのものが問題なのだ。
このパーティーの中でいちばん実力が傑出しているのは、間違いなくいま五人に分身したこの小柄で派手な装いの男。他の二人、黒っぽい装備で身を固めた神官の男と、後ろで補助魔法を撃ってくるおかしな髪型の銃士の男は、小柄な男と比べて少し劣り、実力が拮抗している。
吸血鬼である自分を討伐しに来るくらいだ。こいつらはおそらくAランクパーティー。三人パーティーでAランクを満たすための条件は、Aランク冒険者が二人、残りはBランク以上。
つまり、この小柄な男と暗黒神官がAランク、後ろの魔力に乏しい男は……Aランクとは思えない、たぶんBランク。
だが、この男の行動はAランクにそぐわない。
(戦いのさ中にベラベラと喋る……あまつさえ敵である私と会話しはじめる始末。そして「奥の手」と言いつつ手の内を明かす……)
やっていることはド素人だ、と吸血鬼は思う。
(こんな奴らがこの私の討伐依頼を受けるとは……ずいぶん冒険者の質も落ちたものね)
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五人の小柄な冒険者は、剣を構えてじりじりと間合いを詰める。分身たちは自律して動けるようで、吸血鬼の周囲を取り囲もうとしている。
(しかもこんな魔法で私の目を眩ましたつもりとは。吸血鬼と人間の能力の差を分かっていないのか? 心構えがなっちゃいないどころか、基礎的な知識すらも伴っていない)
吸血鬼は反応速度だけでなく、五感も優れている。その視覚は魔力の性質や状態を直接視認する。
つまり、吸血鬼の目にはハインリヒの《神影》は目くらましになっていない。
吸血鬼はハインリヒの本体を普通に見分けていた。のみならず、造られた分身が魔力の込められていない囮に過ぎず、複製の精度こそ高いが文字通りの見せかけであり、触れれば砕ける程度の構造しか与えられていないことも。
(おそらく、勇者くんはまず分身を打ちかからせ、この私がそれに対応している間に首を取るつもりだろう……)
だがその目論見は最初から破綻している。
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ハインリヒたちは吸血鬼を等間隔に取り囲むに至った。
だが吸血鬼はそんな状況でもつまらなそうにしている。ハインリヒたちを注視するわけでもなく、あくびすら出しそうに退屈げな雰囲気だ。
「……ずいぶん余裕そうだが、いいのか? 背後どころか、全方位を取ったぞ」
ハインリヒたち五人が吸血鬼に語りかける。それに直接答えず、吸血鬼はわざとらしくため息をついた。
「やれやれ、ちょっとは見所のある奴かと思ったんだけど。どうやら買いかぶっていたようね」
「どう見ても貴様が追い詰められているように見えるが? ずいぶん人間を見くびっているようだが、この距離で三重《敏捷》つきの五人のAランク冒険者の攻撃を受けて、いかな吸血鬼とて無事で済むとは思えんぞ」
「見くびっているのはあんたでしょう。その五人のうち四人はハリボテだし。しかも私が本体がどれかを見抜けないとでも思ってるの?」
「…………」
「まぁいいわ。来なさい。適当に相手をしたあと終わらせてあげる。あんたたちの誰かを仲間にしてあげようかと思ってたけど、どうやら私に釣り合うような素材じゃないらしいし」
ハインリヒたちはそれ以上会話を続けず、剣を構え、わずかな時間差をつけて一斉に飛び掛かった。
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右側から襲い来たるハインリヒの攻撃を吸血鬼は避けることもなく、むしろ頭を傾けて剣の前に首筋を差し出してみせた。
剣が首に触れると、果たして分身ごとバラバラに砕ける。分身は黒い魔力の破片と化して即座に霧消していく。
左からの分身も同様に、吸血鬼の身体に触れた瞬間に砕ける。そして、三番目に迫り来る正面のハインリヒを吸血鬼は見やる。
(五体の分身を作り、三番目に本体の攻撃を持ってくるセンスは褒めてやる。この種の戦術において、普通は最初か最後、あるいは最後から二番目くらいに本命を置きたいところだからな)
吸血鬼は右手の爪を瞬時に伸ばし、
(だが吸血鬼の能力を見誤るようでは食糧にもならない!)
正面の本体の喉笛に向けて突きを繰り出す。正面のハインリヒが剣を繰り出すよりも早く、爪がハインリヒに襲い掛かる。
だがハインリヒ本体はそれを剣で受け止めた。
(なッ!?)
吸血鬼の動きを予測していたように、あるいは最初から防御が狙いだったように。ハインリヒは自身の短躯に合わせて造られた片手剣を両手で持ち、吸血鬼の爪を食い止める。
爪と剣の間に、魔力の火花が散る。四人目と五人目のハインリヒが吸血鬼に特攻して砕け、魔力の塵と化していく。
そしてそれに紛れるように、吸血鬼の左手側からエルガーが飛びかかり、黒鋼の曲剣を振るった。




