吸血鬼(ヴァンパイア) その③
戦いは膠着していた――
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桜花騎士団の攻撃はすべて躱され、防がれていた。魔法は抵抗され、剣はすべて避けられる。牽制の攻撃は外套で防がれる。
吸血鬼の動きは素早く、捉えられない。対してハインリヒとエルガーの攻め手は、《敏捷》や《加速》をもってしても、すべて見切られていた。
何回かの剣戟の後――と言っても吸血鬼は剣ではなく爪で斬り合っていたが――間合いを離す。ハインリヒはともかく、エルガーは息が上がっていた。
手や腕を数回切りつけたが、その都度、気持ち悪いほどの早さで再生される。傷は瞬時に埋まり、流した血さえ体内に巻き戻るほどだ。
ダンッ! と銃声が聞こえ、魔弾が炸裂。効果の切れた補助魔法が張り直され、疲労が回復していく。魔銃士バルトの後方支援だ。
――バケモノがよ。補助魔法つきでこれか。倒せる気がしねぇ。
エルガーが《念話》でぼやく。
――おいバルト、ちゃんと俺らを支援してるんだろうな?
――もちろん。先輩にもリーダーにも、ちゃんと補助がかかってますよ。もっとも魔銃による代替詠唱なので本職の魔道士の魔法と比べるとどうしても劣りますが。
――劣るって、どのくらいだ?
――他の詠唱と比べて八割程度でしょうか? もっとも、詠唱を失敗せず常に安定した八割を出力できるのが魔銃の強みではあります。
――チッ……ならよし!
エルガーは《念話》でも「チッ」という舌打ちの符号をつけた。
《念話》考えを直接伝えることができるので、一回のやりとりには〇・一秒もかからない。慣れると喋るよりも楽だが、集中力と魔力はわずかながら消耗することは確かなので、Bランク以下の冒険者には推奨されていない。
桜花騎士団の中ではバルトだけがBランクだったが、ハインリヒもエルガーも、この何かを隠していそうな、いかにも裏切りそうな男の実力をBランクなどには見積もっていなかった。
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――大将。何か手立ては無ェのか。
――いま考えている。とりあえず出来ることはすべて試したつもりだが……
――だが今のところすべて通じなかった。どうする? 鶏が人間に勝つにはどうすればいい?
――その譬えだが、正確には蛇が猫に勝つにはと言ったほうがいいな。
――その心は?
――反応速度だ。どんなに素早く蛇が動いても、猫の速さは常に蛇を上回る。だから猫と蛇の力関係は絶対的なものとされている。
猫と蛇の反応速度。
「作戦会議は終わったかい? おチビちゃん達」
吸血鬼が煽る。当然のように息一つあがっていない。そもそも亡者が息をするかどうかは置いておくとして。
剣を向けたまま、ハインリヒは冗談めかして言う。
「いや、まだだ。少し待ってくれるか?」
面白そうに「あっは」と笑う吸血鬼。
「なかなか愉快なことを言うね。あんたたちの手の内が尽きたなら、そろそろ殺そうと思ってたところだけど。いいじゃない。もう少し考えてみなさいよ」
《念話》は定められた魔力回路同士の間で行われる情報交換だ。その内容は、もちろん熟達した魔道士であっても盗聴することは出来ない。
まして、この吸血鬼は魔力こそ高いものの魔法は使わず、ゆえに《念話》の内容など聞こえるはずもない。だが桜花騎士団の三人が何らかのやり取りをしていることは察知しているようだ。
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――舐めやがって……だが、今は舐めてくれて嬉しいぜ。どうする? 大将。
――そうだな……
ハインリヒは考える。
先ほどの《念話》で何かが引っかかった。
何だ……そうだ、補助魔法だ。補助魔法の何が引っかかる?
補助魔法といえばあの男。戦闘ではいつも二番手以降に回り、桜花騎士団の支援ばかりしていた魔道士コウ――コルネリウス・イネンフルス。
奴がどうした? 何故気になる。
そしてもう一つ、反応速度だ。猫と蛇の反応速度。
蛇が猫に勝つにはどうしたらいい? 単純に考えれば、速度を上げる。
だが反応速度で勝っても、吸血鬼には肉を切らせて骨を断つが通用しない。
むしろ奴のほうが肉を切らせて骨を断ってくるだろう。自身の異常な再生力を盾にして、こちらに思い通りの一撃を喰らわせてくるはずだ。おそらく毒を持った爪や、致命の牙を。
桜花騎士団の一人が奴の爪や牙を喰らい、奴の同類にされたり血を吸いつくされて屍人にされたり、あるいは坑道で会ったあの盗賊の男のように不死鬼などに変化させられてしまったら、その瞬間、全滅は免れ得ない。
どうする。どうするハインリヒ・グラーベン。
……いや、そうではない。鍵は奴だ。コルネリウス・イネンフルス。
奴ならどうする?
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二、三秒ほどの間、ハインリヒとエルガーは吸血鬼とにらみ合っていた。バルトは魔銃を構え、次の魔弾を用意している。
吸血鬼は腕組みをして傲岸に顎を上げ、冒険者たちを見下ろすように眺めている。
左手を前に出し、右手の剣を上段に構えた半身の体勢から、ハインリヒはスッと直立した姿勢となり、吸血鬼に正対した。
吸血鬼は唇の端を歪め、侮蔑的な笑みを浮かべる。
「何か思いついたようね。いいわ。やってみなさい」
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ハインリヒは右手の剣をくるりと持ち直し、逆手に持つ。そして左手で短杖を抜き、こちらは順手に持つ。
そして左手の短杖を上に、右手の剣を下にして、自身の正中線の前に、一本の棒のようにして構える。
自身にかけられていた補助魔法を、ハインリヒはすべて解除した。魔力の光が塵となって空中に飛散し、還元していく。
そして新たに補助魔法を展開。付与するは《敏捷》、それも三重にかける。青い魔法円がハインリヒを三重に取り囲み、回転する。
同一の対象に付与できる補助魔法は、一般に四つまで。それ以上は術者自身と対象の、あるいは両方の負担から困難とされている。
ハインリヒは《敏捷》を三重がけした。《加速》と違い、単純な移動速度ではなく全身のスピードを速め、手数を増やす魔法。それによって吸血鬼との反応速度の差を埋める。
《敏捷》の付与が一瞬にして完了し、ハインリヒは四つ目の補助魔法を付与する。小柄な魔道士の輪郭がぼんやりと光る。足元に魔法陣が回転し、上方に幾条もの黒い光の線が溢れ出す。
黒く陰ったシルエットが幾重にも重なり、短杖と剣を奇妙に構えた桜花騎士団のリーダーの姿がぶれる。
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「――ッ!」
吸血鬼は顔をしかめて手をかざし、溢れる魔力光を遮る。
次の瞬間、まったく同じ姿のハインリヒが五人もそこに立っていた。




