聖女
「この私が東方の者の、つまり異教徒の命など助け、生き長らえさせようとしている――そのような考えが最大の誤りです」
「聖女」ユスティエラ・ル・フィレオンは、ミスター・ベヘモスこと織物商テクストルを見下ろしてそう告げた。
氷のように冷酷で、刃物のように残忍な言葉だった。
*
「そ、それはどういう……」
ミスター・ベヘモスは床にへたり込んで「聖女」を見上げる。底知れぬ恐ろしさを感じ、哀れな中年男の四肢からはすっかり力が抜けてしまっていた。
もし、この場に魔力を見ることに長けたエルフやドワーフ、信仰魔術に造詣の深いノーム、直観力に優れたハーフリング、危機察知能力の高い獣人族などがいたら、彼らは何を感じるだろう?
魔力に対してはオークと並んで一番鈍感な人間族、それも魔術の素養など全くないと自任する商人のテクストルが、あまりの恐ろしさに腰を抜かし、言葉も出てこなくなるほどなのだ。魔力に敏感な者が今の聖女の姿を見たらどんな恐ろしいものを目にするか、想像に難くはない。
「わかりませんか? つまり、フィレオンが造り給うたのは我々『光輝なる人類』だけということです」
「こ、光輝なる」
「『光輝なる人類』」
聖女ユスティエラははっきりとした発音で、ゆっくりと言った。
「それはまさにここ、我が王国を中心とした大陸の西方の地のこと。ここがまさしくフィレオンが選び、フィレオンが約束の地として定め、我々『光輝なる人類』を造り給い、永久に繁栄させんとしている場所なのです」
聖女は左手を胸に当て、手のひらを上にして右腕を横に伸ばした。
「そして、我々のほかはすべて、暗黒の不肖の妹神エシュタルや、どこから生えてきたかわからぬ精霊神などの奴ばらめが、戯れに捏ねて造った失敗作です。傲慢な耳長族や偏狭な髭小人、誤った信仰を抱く矮躯族、小狡いネズミのような短躯族、悍ましい豚面族、知能に劣る獣人たち。東方の醜き者ども、南方の忌まわしき者ども。北方の、不敬なる機械文明の者ども」
歌うように、聖女はよどみなく語った。
その言葉に込められていたのは、あきらかな侮蔑の響き。冷たくねじれた悪意の響きに、ミスター・ベヘモスの頭は混乱し、心は警鐘を鳴らしていた。
「それらの土くれどもは決して救われぬ。彼らと、彼らに与する者たちは地獄に堕ち、永遠の炎に焼かれることになる。フィレオンが自ら作った『光輝なる人類』だけが救われるのです」
*
(これはおかしい。こんな説教など、教会で一度も聞いたことはない)
ここまで他宗派や異教徒、亜人や異人、異種族に対しての排除の意志が込められた言葉を、織物商テクストルはかつて聞いたことがなかった。
聖女は狂っているのではないか?
テクストルの心の中の冷静な部分が、目の前の人物の分析を試みていた。
しかし、聖女の目には確乎とした信念の光が宿っており、硬く引き締められた表情は理性の完全な統制下にあることを示している。錯乱や混濁とは正反対の表情だ。
つまり、聖女は本気でそのように思っている。その言葉は聖女の偽らざる本心なのだ。そのことが何よりも恐ろしかった。
*
テクストルは織物商だ。彼は交易路を通じて取引を行い、財を築いてきた。
彼の取引相手は王国外の、西方の国々だけにとどまらない。むしろ南方や東方、時には北方の諸国家とも取引を行うことが商売の秘訣だ。
彼、いや彼の家は、代々そのような教えを受け継いで商売を行ってきた。
聖女が言った東方の醜き者ども、南方の忌まわしき者ども。北方の、不敬なる機械文明の者ども。それらはすべて、彼の商売上の大切な取引相手だった。
もちろん、時としてエルフやドワーフ、ノーム、ハーフリング、オーク、その他、様々な獣人たちとも取引を行う。
彼だけではない。商売敵の他の織物商はもちろんのこと、香辛料や宝石・金細工、穀物に肉魚、果物、酒、皮革、魔石に魔法金属、神器の類……それらのどれを扱う商人であっても、異文化や他文明、亜人や異人、異教徒を相手に商売をしている。
つまり、東方や南方、北方の異民族や異人種、エルフやドワーフその他の亜人や獣人を排除し、見下したりしていては、商売そのものが成り立たない。
そればかりか、そういった異邦の地の文物が無ければこの王国や周辺国のすべての人々の生活すら成り立たないことを、織物商テクストルは日々の商売での経験と知識、そしてそれに基づいた直観に基づいてよく知っていた。
穀物や肉魚、果物、香辛料、皮革に毛織物、金属器の類。それらはすべて東方や南方、北方からさえも流入し、自分たちの生活を成り立たせている。日々の生活に欠かせぬ魔法の知識は、エルフやノームの先進的な魔法の技術あってのものだ。
北方からはわずかではあるが機械文明の産物が流入し、魔法文明と融合し、遠くの地と通信できる神器を生み出した。それらが無ければ、冒険者ギルドが遠方の魔力の乱れを探知し、魔物をいち早く発見することなど出来ない。
魔物を狩る専門職である冒険者がいなければ、人類は(もちろん亜人や異人や獣人たちも)日々を魔物との戦いに明け暮れることとなり、文明を築き文化を享受することなど不可能だろう。
それなのに、この聖女はそれらすべてを、我々の生活を成り立たせている他文化や他文明、亜人や異人、獣人たちに至るまで、すべて土くれどもと見下し、「決して救われぬ」と断じている。
織物商としての直観が、この聖女の異常性、危険性に警鐘を鳴らしていた。
*
だがテクストルは、幸か不幸かフィレオン教の敬虔な信者だった。
織物商としての経験と知識。亜人や異人、獣人たちと交流してきた者としての、聖女の言葉に対する嫌悪感と拒否感。
それらをすべて、フィレオン教徒としての信仰心と、地獄へ落ちることの怖れが上回った。フィレオン教会から「フィレオン」の姓を直々に賜った「聖女」の言葉なのだ。フィレオンの権威と威光が、彼の理性的な判断をバラバラに打ち砕いた。
「お、おお……」
テクストルは跪いた姿勢となり、両手を握りしめた。両目からは涙が滂沱と流れている。
「聖女様、私は罪深い……私はどうすれば救われるのでしょう? 私は暗黒の地獄なんかに永遠に堕ちたくはない。地獄の業火に焼かれたくない」
聖女はスッと立った姿で、足元のテクストルを、まるで屠殺前の家畜でも見るような目で見下ろした。
「わかっていただけたようですね」
その言葉はあくまで硬く、氷のような冷たさを保っていた。
聖女の唇の端には、注意深く見ないとわからない程度の笑みが浮かんでいた。まるで、自分の威光があのごろつきの首領、たかが冒険者ごときであるハインリヒ・グラーベンに通じなかったことを、この俗物の商人に意趣返しすることで満足するかのように。
「安心なさい。フィレオンは厳しい裁きの神であり、異教徒や純粋でない者、裏切り者などを絶対に許しません。ですが、限られた一握りの者たちは赦し、救いを与えて下さります」
片膝をつき、テクストルに手を差し伸べる聖女。
「そのためには、私の言うことを聞くことです。いいですね?」




