グノンとジェンナ その①
『グノン! ジェンナ!』
ダイノスは叫んだ。
*
かつてグノンだったものは、胴体に空いた穴とくぼんだ眼窩から粘度のある黒い魔力を垂らし、首を奇妙に傾げながらゆらゆらと立っている。背中の後ろに、数本の黒い触手が蠢いているのが見える。
かつてジェンナだったものも同様に、大きく開いた口と眼窩から黒い魔力を垂らしている。胴体には触手で締め上げられた跡があり、奇妙にねじれている。垂らした腕の開いた手の爪からも黒い魔力がしたたり落ち、黒い触手が見え隠れしている。ドラゴンの影から生えているものと同様の触手が、手の甲側から生えているようだ。
『なんてことだ……可哀想に、いま楽にしてやる』
ほんの少し前まで仲間だったものを前に、自らを鼓舞するようにダイノスは言った。
『楽にしてやるだと? 旦那、それは違うぜ』
グノンだったものが口を開いた。それは間違いなくグノンの声だったが、禍々しく、総毛立つような響きの、恐ろしく陰のある声色だった。
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『違うなぁ、旦那。俺はいま、まさに楽なんだぜ。生きてた頃と比べて、まるで体が羽根のように軽い」
奇妙に傾いた首を手のひらでごきりと直し、グノンは言った。
『大いなる暗黒の力が俺の中に流れ込んでくる。目覚めたばかりの絶好調の日の朝のようだ。そう、俺は目覚めたんだ。この力は素晴らしいぞぉ、旦那。周囲のものの様子が手に取るようにわかる』
そう言うと、グノンは左手を横に伸ばす。手の甲側から黒い触手が瞬時に伸び、岩肌の床に転がっていた魔法棍《唯我独尊》を拾い上げ、グノンの手の中に収める。
魔法棍は黒紫色の禍々しい瘴気を発し、一メートル半ほどの長さに伸びる。グノンはそれを右構えに構える。両端の石突の金具から何本ものトゲが生え、悪意ある形に変化する。
『楽にしてやるだとぉ? それはこっちのセリフだぜ。俺のほうこそあんたを楽にしてやる』
グノンは顔を歪める。虚ろな眼窩が笑みのような形を作り、涙のように黒い魔力がこぼれだす。その口がにたりと開き、邪悪な瘴気がよだれのように垂れ落ちる。
『そうだよ、リーダー。私たちは何も不幸じゃない』
ジェンナだったものも口を開いた。黒いドラゴンの触手に口の中へ侵入されたせいか、口が大きく開いて閉まらず、牙も数本折れている。そのためくぐもっているが、間違いなくジェンナの声だ。
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『私たちは可哀想じゃない。むしろあんたのほうが可哀想だよ、リーダー。こんな素晴らしい力を知らないばかりか、拒絶しようとするなんてね』
そう言って、両手で顎を上に持ち上げ、がくんと直すジェンナ。にたり、と笑った唇の端から瘴気がこぼれ落ちる。
『この無限の魔力、信じられないわぁ。魔力の残量を気にしながらカツカツでやってた頃とは比べものにならない。なにより、杖なんか使わなくてもいくらでも魔法を使えそう』
ジェンナは右腕を上げ、ダイノスを指さした。腕に追随して黒い触手もダイノスを指す。ジェンナの背後に赤と黒のマーブル模様の巨大な炎の球が音も無く出現し、らせん状の軌道を描いてダイノスへ飛ぶ。
『うおッ!!』
戦鎚で受けるダイノス。コウが付与した《反射》が反応し、防御の魔法陣が瞬時に展開。ジェンナが無詠唱で発動させた《地獄火球》を相殺し、魔法陣が砕け散る。火の粉が飛び散り、ダイノスの皮膚や髪を焦がす。
『これが真の暗黒の力。もっと早く知ればよかった。エシュタル信仰にこだわっていた意味がわからない。エシュタルなんて、しょせん自分の子供たちにすべてを奪われた哀れなしぼりカスに過ぎない。彼女の子である悪魔たちこそ暗黒の後継者、素晴らしき自由と放縦の代弁者なのよ』
かつてエシュタルを篤く信仰していた神官戦士とは思えない言葉を、ジェンナは口にした。
*
『おしゃべりはここまでだ、旦那』
『そうよ、私たちはあんたを喰らいたくてウズウズしてるの』
グノンとジェンナが前に出る。ダイノスは戦鎚を構えたまま後ずさる。
『よせ、グノン、ジェンナ』
『旦那ぁ、俺たちは仲間だったよな?』
『そうよ、私たちは仲良くやっていた。いいパーティーだったと思うわ』
『でも旦那はいまの俺たちのことを仲間じゃないと思ってるみたいだな? ジェンナ』
『そうね、とても悲しいことだわ、グノン』
二人は暗黒の魔力の溢れ出る怖気を震うような顔を見合わせ、クスクスと笑う。
そしてダイノスに向き直ったグノンは、
『あんたを仲間外れにしておくのは可哀想だ。俺たちの仲間になってもらうぜ、ダイノスウウウゥゥゥ!!』
液体のような黒い魔力をまき散らしながら、《唯我独尊》を振り上げて飛び掛かった。
*
凶悪な形へと変化した魔法棍《唯我独尊》の一撃が、ダイノスの脳天に振り下ろされる。ダイノスは戦鎚の柄で受け止める。
『うおおおおッ!!』
その力は生前の比ではなかった。暗黒の力のなせる業か、空中にいるはずのグノンが地面に立つダイノスを押し込む。二倍近くの体重差があるにも関わらず、ダイノスは力負けし、膝から崩れそうになる。
そこへ、横からカーブを描いてジェンナの《地獄火球》が迫る。ダイノスはそれに気づくも、グノンの《唯我独尊》を受け止めているため両手は使えず、さらにコウのかけた《反射》は先ほど砕かれていた。
『!!』
直撃の寸前、《地獄火球》はまるで見えない壁にでも激突したかのように弾け飛ぶ。瘴気を含んだ高熱の火球は赤と黒の魔力に還元され、塵のように雲散霧消した。
*
『カンナ!!』
ダイノスが叫んだ。
野獣四人目のメンバー、ハーフエルフの二刀流戦士カンナが、パーティーの仲間たちが相争う場に参戦していた。涙の跡が残る顔で、短杖をダイノスたちに向け。




