デスドラゴン その④
「竜の口を恐れない冒険者は寿命が短い」――
洞穴の前で、野獣の仲間たちに向かってダイノスはそう言った。
それは正しい。「恐れ」は正常な感情であり、過去の経験に基づいた直感的な判断であることが多い。それは往々にして冒険者の命を守る。
だがコウは「竜の口」に関する格言をもう一つ知っている。
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かつて桜花騎士団で、ドラゴン退治の依頼を成し遂げた後のこと。
その夜、パーティーの四人は酒場で祝杯をあげた。
三人がゴブリン掃討戦にかかりきりな中、実質一人でドラゴンにとどめを刺した「天才」ハインリヒ・グラーベンは、めずらしく酒宴に付き合っていた。
酒場でハインリヒは、普段は飲まない麦酒を呷り、顔を赤く染めていた。
「どうやってドラゴンを倒したのか?」
メンバー三人からその問いが発せられた時、小柄な天才魔道士は、酒の力もあってか上機嫌で言った。
「『竜の口に入らずに竜玉を得ることはできない』と言うだろ? そういうことだ」
いかにも言葉足らずなハインリヒらしい、とコウは思う。
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そしてこの洞窟は「竜の顎」と呼ばれており、目の前にはまさにドラゴンの口があった。
(僕はまさに今、竜の口に入っているというわけだ、ハインリヒ)
コウは心の中で、かつての仲間に語りかけた。
(ならば、そこから出ることは得策ではない。出ようとすれば牙に噛み砕かれる。むしろ、逆に突っ込んで竜の喉を喰い破る!)
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黒色のドラゴンがカッと口を開く。そして一瞬の後、ダイノスとコウに黒く禍々しい炎が吹きつけられる。
『うおおおお!!』
ダイノスが戦鎚を掲げてドラゴンの息を受け止める。あらかじめ何かのエンチャントがされているようで、戦鎚の輪郭はほのかに光り、先ほどコウがダイノスに付与した《防御》や《反射》にも反応して、ブレスを盾のように防ぐ。
――これは、魔力と瘴気が込められた炎か。
飛び散った炎のかけらから、コウはブレスの性質を見定める。
――ただの炎ではない。むしろ魔界の瘴気で生者の肉体を灼き切る性質。ならば、あのドラゴンはただのトカゲではない。影から生える触手を見てもわかるが、おそらく現界では呼吸もできない魔界の生物!
ドラゴンの炎が途切れ、爪の一撃が来る。ダイノスはそれをローリングして回避。
コウとダイノスは別々の方向へ走った。ターゲットを分散させる作戦。しかもコウは少しドラゴンから離れ、ドラゴンの注意をダイノスに向けさせる。
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――《分析》
コウは口の中で短く呪文を唱え、無属性基本補助魔法《分析》を展開した。術式自体は日常レベルの単純な魔法であり、他の基礎的な補助魔法同様、魔道士クラスであれば短杖を用いなくても行使可能。
そして、ドラゴンの足元の、暗黒色の触手が生え来る影を見やる。
――種族不明、ランクA以上。主な属性・闇。特性は生命吸収、生者特効。
ドラゴンと影の種族表示が違う。
――これは……
――コウ君!
その時、後ろから《念話》をかけられる。
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コウは一瞬だけ振り向いた。蒼白な顔をしたアイリスが追い付いてきて、前線に加わる。
――アイリス、大丈夫か!
――平気だ。今度はぼーっと突っ立って見てるわけにはいかないからね。
涙の跡こそ無かったが、アイリスは長い時間泣いた後のような顔をしていた。《念話》にも恐怖と絶望が隠しきれずに乗っている。左手に持った短杖は逆さだったが、それにも気づいていないようだ。
――ひどい顔だ。鏡を見ないほうがいい。
コウはドラゴンのほうを見たまま《念話》を飛ばした。
――何それ、バカにしてんの!?
反射的にアイリスは抗議する。そしてハッとして我知らず笑みをこぼし、ニヤリとした「笑い」の符号を返す。
――帰って鏡を見ないとね。
――その通りだ。首から上が残っていればの話だけどな。
アイリスは短杖を持ち直した。手の震えは止まっている。
そして、斜め後ろからコウを見やる。
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これはいったい誰だろう。
アイリスの疑問をそのまま言葉にすると、そういう風になる。
ケネル村で、真っ昼間に突如として出現したメタルゴーレムを倒すために共闘した際も、たしかに優れた冒険者だと思った。その戦いぶりは見事であり、安心して背中を任せていられる。追放されたとはいえさすがAランク冒険者、むしろなぜ追放されたかわからないほどだった。
だが、今の彼はどうだ。ダイノスを鼓舞し――いやむしろ役割を与えて命令し、戦線に復帰したアイリスに対しては軽口の一言で恐怖心を払った。
まるで冒険譚に出てくる勇者のようだ。
だが彼は勇者のように輪兜や外套などつけていない。真ん中に(なぜか)宝石の嵌った盾なども持っていない。革の服はくたびれ、ほつれており、鎧は村の倉庫に眠っていた古びた軽鎧だ。
そして、アンティークなつくりの粗末な片手剣。
片手剣、とアイリスは思った。
メタルゴーレムと戦った時。コウはその剣で金属製の巨人の胴体を分断した。
もちろん、アイリスの大剣との合わせ技で、しかも回転する胴体の一番弱い箇所を狙った結果だ。あまつさえコウの行使した《緑青》の効果も作用していた。
それにしたって、その剣は刃こぼれ一つしていない。「何かの魔法が込められているのだろう」と考えていたが、ひょっとしたら――
――アイリス! 見ろ!
コウが《念話》で注意を促した。
*
ダイノスと対峙した黒き竜が二発目のブレスを吐き終わり、ダイノスが戦鎚でそれを受けきった直後。
ドラゴンは不満げに長い首をかしげ、唸り声を発する。
そして、触手で捕まえていた黒い人影、今や人の形すら容易に判別できなくなった、忌まわしい瘴気と粘度の高い闇の魔力にすっかり覆われたグノンとジェンナの体を持ち上げ、それをダイノスの前に落とした。
べちゃり、と不快な音が聞こえ、闇の魔力が飛び散る。
ダイノスは戦鎚を防御姿勢に構え、一歩後ずさる。
岩肌の床に、二匹の巨大な芋虫のように転がった黒い塊――かつてグノンとジェンナだったものは、蠢き、起き上がり、やがて黒い粘性の魔力の中から二つの人影が立ち上がる。
『おお、なんてことだ……!!』
巨漢のオークの悲痛な叫びが、コウとアイリスの耳を撃つ。
*
ぽっかりと空いた眼窩から黒い魔力を滴り落とし、笑みのような形に開いた口からは邪悪な瘴気を吐き出す、亡者と化したかつての仲間たちが、ダイノスの前に立っていた。




