デスドラゴン その③
ジェンナの体は暗黒色の触手によって空中で捕えられた。
中杖による最後の一撃を防いだ触手は、爆発に巻き込まれて半分ほどの長さが吹き飛んだ。断面から闇色の魔力をまき散らし、短くなった触手がのたうち回り、ドラゴンの影に引っ込む。ドラゴンは頭を上げ、短く咆哮した。
ジェンナを捕えた触手が、彼女の胴体に巻き付き締め上げる。ボキボキと骨の折れる音が聞こえる。
さらに二本の触手が影から生え、ジェンナの口から喉の奥に入り込む。ボコボコと喉が変形し、力を失った四肢がビクンビクンと震える。目と鼻の穴と口の端から、血とともに粘性をもった暗黒色の魔力があふれ出す。
『やめろーーーーー!!』
ダイノスは叫び、補助魔法を展開し突撃する。
*
アイリスは目の前の光景を見据え、立ち尽くしていた。
顔面蒼白となり、震える右手で我知らず口を押え、左手に持った短杖が落ちる。
(同じだ、あの時と、同じ)
あの「地下狂皇庁」の最深部、最奥の玄室で繰り広げられた惨劇が、まさにアイリスの目の前で再演されている。
あの時、疾風怒濤のメンバー、戦士キーファーは魔神ロクストゥスの暗黒の触手に刺し貫かれ、一瞬にして生命力を吸いつくされて塵と化した。「軍師」ウィリアムも触手に捕らわれ、かろうじて一命は取り留めたものの冒険者としての力を根こそぎ奪われて引退の憂き目にあった。
そしてアイリスの姉、『天衣無縫』グレートヒェンこと召喚士マルグレーテ・ツヴァイテンバウムは。
(姉さんはあの時、魔神を道連れに魔界へ《瞬間移動》した。でも今は姉さんはいない。今はあれを倒せる者などどこにもいない)
アイリスは震える脚で我知らず後ずさった。
*
左手に持った短杖を指が白くなるほど握りしめながら、コウは眼前に繰り広げられる惨劇を前に、やはり立ち尽くしていた。
その胸に去来するのは、後悔と苦悩――
(やはり自分がもっと強硬に「退却」を主張していれば良かった。そうすればダイノスの気も変わり、こんなことにはならなかったかもしれない。
グノンとジェンナは、おそらくもう駄目だ。あの暗黒色の魔力と瘴気、そして触手は、間違いなく魔界の生物のもの。かつてアイリスが話した、疾風怒濤がダンジョン最深部で遭遇したという「古代の魔神」と同等の闇の住人だ。
闇の住人たちは、現界の生物とは真逆の原理によって活動している。現界の生物が暖かさによって生きるならば、闇の生物は冷たさによって生きる。暖かさは冷たさに流れる。あの触手は、我々にとって触れているだけでも致命的だ)
ダイノスは咆哮してドラゴンに飛び掛かり、戦鎚を叩きつける。寸前でドラゴンの前足がダイノスを薙ぎ払い、屈強なオークの戦士は吹き飛ばされる。
(どうする。退却するか? 仲間を見捨てて逃げるのかとジェンナは言った。痛いところを突いている。たとえあの言葉が、ドラゴンの毒気に中てられての発言だったとしても。
このまま我々、すなわち自分とアイリスがこの場から逃走し、それが成功したとして、野獣はたぶん全滅するだろう。ダイノスは退かない。カンナもダイノスが退かない以上、ダイノスに命じられたとて退がるとは思えない。野獣は桜花騎士団のように「いざという時には仲間を見捨てて逃げることの出来る者たち」ではない。
そして、我々が退却した後、野獣の四人を餌食にしたこのドラゴンが再びこの場でおとなしく惰眠をむさぼることを選択してくれるとは限らない。むしろ現界で活動する力を得たことで、夜陰に乗じて周囲を徘徊し出し、いずれあの村までも襲い来ると考えたほうがいい)
吹き飛ばされたダイノスは宙で一回転し着地、戦鎚を構える。闇の触手に直接触れなければ大丈夫なのか、まだ戦えそうだ。
(どうする、どうするコルネリウス・イネンフルス。考えろ。考えるんだ。お前はこの状況、どう切り抜ける? あいつはドラゴンを一人で倒した。あいつ――ハインリヒ・グラーベンは「天才」と呼ばれている。だが、お前だって同じAランク冒険者だろう)
コウは無意識のうちに、腰に提げた剣を抜いていた。ケネル村の村長が、村の宝と勝手に定めて保管していた、来歴のわからないアンティークな片手剣。
抜いた瞬間、魔力が電流のようにコウの右腕を走り、鍔に嵌った青い宝石がきらりと光る。
その瞬間、コウの心に何かが閃いた。
*
ダイノスは戦鎚を左構えに構え、唸り声をあげた。先ほどの補助魔法《防御》《加速》《雲踏》《倍撃》はすべて剥がれていたが、そのおかげかまだ命はある。奴の爪は触手ほど致命的でないのかもしれない。
仲間たち――グノンとジェンナは、もはやすっかり暗黒色の魔力に覆われている。粘液性の魔力がボトボトと落ち、それがドラゴンの足元の影に吸収されていく。おぞましい光景。
『ダイノス! 平気か!』
聞き覚えのない響きの獣人語が、ダイノスの耳に届いた。
『コルネリウスか!』
見ると、左手の短杖をダイノスに向け、右手には抜き払った剣を握るコウ・イネンフルスの姿。
この男は獣人語すらも使いこなすらしい。本当になんでも出来るのか。だが、今は驚いている場合ではなかった。通信を《念話》に切り替え、瞬時に共有できる情報量を増やす。
――大丈夫だ、俺はまだ戦える。だが、悪いが退却は出来ん。申し訳ないが貴殿ら、カンナを連れて逃げてくれ。ここは俺が出来るだけ食い止める。
――勘違いするな。誰が退却すると言った?
――何!?
次の瞬間、ダイノスの体を魔力光が覆った。何重もの魔法円が回転する。魔力の通り道を通って瞬時に発動したのは、《防御》《除霊》《浄化》《反射》。いずれも練度・精度ともに極めて高く、術式は一文字たりとも乱れなく完璧だった。
心地よさすら感じられる練度の高い補助魔法の波動が、ダイノスの魔力回路を通じて伝わってくる。
――これは!?
――悪いが貴様には盾になってもらう。援護しろ、ダイノス。
ダイノスは驚く。突然、人が変わったようなことを言ったコウの姿に、冒険譚の中に出てくる勇者の姿が、一瞬重なって見えた。




