カンナの不安
――……私は、引き返したほうがいいと思う。
カンナはそう主張した。全員の目線が、不安そうにする二刀流のハーフエルフの戦士に注がれる。
*
――……そりゃあないぜ、カンナ。目標はもうすぐそこなんだぜ。
――そうだよ、ここまで来て何もしないで帰ったりしたら、何してんのかわからないよ。
グノンとジェンナは反論する。獣人族の鋭い感覚と危機察知能力で、洞穴内を「異常なし」と判断したのだ。自らの誇りにかけても譲れないところだった。
――でも……
――どうしちゃったんだ、カンナ。いつもは勇敢に戦うだろ? 俺なんかよりも早く前線に突っ込んでいって、旦那に諫められてるじゃないか。
――そうだよ、いつものカンナらしくないよ。
――カンナ、どうしてここまで来て引き返したほうがいいと思うんだ? 理由を言ってくれ。
ダイノスは岩のように落ち着いた態度で、淡々とした《念話》でカンナに問う。
――わからない。わからないけど、悪い予感がするの。
――悪い予感だと?
カンナは神妙な顔つきでうなずく。
――理由はうまく言えないの。ジェンナとグノンの感覚は確かだと思う。実際、この洞穴は草花はおろかカビも苔も生えてないし、小動物の巣にもなっていない。野盗や魔物が棲んでいた痕跡もない。それは私にもわかる。
――それでもなお「引き返したほうがいい」と言うんだな。
――うん。この洞穴は、あまりにも清潔すぎるのよ。草一本に至るまで、生き物の痕跡がなさすぎる。それがどういうことなのかはわからないけど。
――ふーむ……
ダイノスは腕組みをして考え込む。グノンは不満げにしながらも一応はカンナの意見を気にしているようで、ジェンナは改めてあちこちを見まわしている。
数瞬の後、ダイノスは顔を上げ、第二パーティーとなっている疾風怒濤の二人、コウとアイリスを見た。
――どうだろう。貴殿らの意見も聞いてみたい。
*
コウとアイリスは目を見合わせた。そして、
――いいかな、
とアイリスが手を挙げた。
――私は、このまま進むべきだと思う。グノン君とジェンナちゃんの意見に賛成だね。《魔力探知器》を見ても……もっともこれが壊れてなければの話だけど、この先には「ドラゴン」とおぼしき対象が一体いるだけだ。他に脅威はない。
アイリスは《魔力探知器》を掲げて見せた。そこには依然として変わらず、二つのパーティーを示す六つの光と、少し離れて大きな暗灰色の光。先ほどまでと変わっていない。
――つまり、我々はこの先、突然出てきたドラゴン以外の敵に襲われるなんてこともない。調査対象まですんなり行けるはずだよ。ああ、もちろん《魔力探知器》は物理的な罠なんかは探知できないけど、まぁ野盗や野人、亜人系魔物が棲んでた形跡がないんだから、そこは安心できるかな。
――うむ。見事だ。
ダイノスがうなずく。
――実に論理的だ。納得できる。コルネリウス、貴殿はどうだ?
話を振られ、コウは平坦な表情を崩さず、あくまで慎重に言った。
――そうだな……正直なところを言うと、僕も引き返したほうがいいんじゃないかと思う。
*
コウの《念話》に、グノンとジェンナはもちろん、ダイノスとアイリスも「驚愕」の魔力的な符号を《念話》で発した。
――なんでだ、コウさん! あんたも「悪い予感」なんてものを感じたっていうのか?
――意外だね、あなたは決断力のある冒険者に見えるし、うちのリーダーと渡り合ったくらい実力もある。この洞穴にさしたる脅威は存在しないっていうのはわかるはずでしょう? もちろん、調査対象であるドラゴンらしきものを除いてだけど。
グノンとジェンナは、やはり当然のように抗議した。カンナは少し安堵した表情を見せている。
コウは両手を挙げ、手のひらを見せた。
――わかってる。この洞穴は清潔であり、さしたる脅威は存在しない。それは確かだ。
――じゃあどうして、
――まさにそのゆえだよ。この洞穴は、あまりにも何もなさすぎる。
全員がコウの次の《念話》に注目した。
――まず一つ。あまりにも何も出てこなさすぎる。もしこれが「ドラゴン」だったら、ドラゴンを神と崇めるゴブリンどもがどこからか湧いて出てきて、すでに洞穴の周囲に「集落」の一つも作ってるはずだよ。かつてドラゴンを討伐した際も、桜花騎士団は狂信的なゴブリンの一団をまず全滅さる必要があった。ゴブリンどもはドラゴンの魔力に中てられると熱狂的な妄信状態になり、自らを餌として差し出すことにさえ無上の喜びを感じるようになる。そんな気の狂った魔物が、ドラゴンの棲処に近づくだけで襲いかかってくるものなんだ。
コウは桜花騎士団時代に受けた依頼を思い出す。あの時はコウとアンナ、エルガーの三人が、巣穴が発達したせいで大量に発生したゴブリンどもへの対処に追われたせいで、ハインリヒがほぼ一人でドラゴンを討伐した。ハインリヒ・グラーベンが「天才魔道士」と呼ばれ、Sランク冒険者まで時間の問題と言われている所以である。
左手を右手でマッサージしながら、視線を落とし、コウは引き続き《念話》を慎重に紡いだ。
――そしてもう一つ。あまりにも我々が、何も感じていなさすぎる。
――……?
――どういうことだ、コウさん。
疑問符を浮かべる獣人の二人と、神妙な面持ちのハーフエルフ。そして、岩のように動かないオークの戦士。アイリスはわずかに眉をひそめ、口元に手をやった。
――《魔力探知器》だけでなく、冒険者ギルドも強大な魔力を察知して、「おそらくドラゴンだろう」と目星をつけて「調査」の依頼を出した。……なぁ、普通「強い魔物の気配」ってわかるだろう? わかるはずだ。あの嫌な雰囲気、頭を締め付けられるような不快な感覚。動悸は強まり、汗がにじんでくる。敵が強大であればあるほど「一刻も早く帰りたい」「何もかも投げ出して宿屋に戻りたい」と思うはずだ。ところが今の我々はどうだ? 僕も含めて、いっさいそんな緊張感を覚えていない。ドラゴン級の強大な魔力の近くに迫って「何も感じない」なんてことがあるか?
五人は黙り込んだ。元から口では会話していなかったが、《念話》をやめて気配に感覚を集中した、ということだ。
洞穴の奥、調査対象がいる方向からは何も伝わってこない。たしかにコウの言う通り、全員が焦燥や嫌悪などを感じていなかった……ただ、カンナとコウが嫌な予感を覚えるというだけで。
*
――コウさんの言うこともわかった。「むしろヤバいかもしれない」って理屈も納得できるぜ。
――私も同じく。でも、ここまで来て引き返すのも無しだ。そうだよねグノン?
ジェンナの言葉に、グノンがうなずく。
それを見て、ダイノスも一つうなずき、《念話》でまとめる。
――……俺も同じ意見だ。対象を目前にして「何もせずに引き返す」というのは、冒険者として納得はできない。だから、一つ新しい方針を決めたいと思う。洞穴の奥の対象については、あくまで遠方からの目視にとどめ、依頼書の「可能ならば討伐」という部分に関しては今回は最初から破棄する。いいなジェンナ、グノン。
二人はうなずく。しかしカンナはまだ不安そうだ。
――もちろん、カンナの不安やコルネリウス殿の懸念もわかる。たしかに何もなさすぎるという点に関しては納得できる。そこでだ、一応、ここで多数決を取っておきたい。
多数決、とコウは思った。
――つまりこうだ。決が半々に分かれた場合、我々はそのままパーティーを二つに分ける。「退却」の三人は洞穴の前で待機、あるいは村へ引き返す。「進軍」の三人は、「調査」の依頼を完了するまで進み、対象の正体を確認した後、すみやかに帰還する。そして、
ダイノスはそこで《念話》の息を継いだ。
――もし決が四対二とか五対一などになったら、少数の者も一応は調査対象のところまで同行してもらう。その際も、「退却」に票を入れた者は無理に前線に出なくて構わない。合同パーティーであるとはいえ、一応我々は一つのパーティーだ。のちの遺恨や禍根を残したくない。
身振り手振りを交えて、ダイノスは説明する。
――こういった場合、すなわち現場で意見が割れた際の処遇に関してはギルド憲章にも書いてある。半々なら話はこじれない。なにしろ半々だからな。だが「数の多い少ない」は「強い弱い」に直結する。結末がどうなったとしても、少ない側の「立場」は弱くなり、パーティー内の不和に通ずる。そういう理屈だ。そうだろう? ギルドマスター。
「ギルドマスター」と呼ばれ、アイリスは苦笑しながら首肯した。
――ああ、たしかにそんな風に書いてある。
――よし。もちろん「退却」に四票以上投じられた場合は、我々は全員退却する。では採決するぞ。各自、賛否の符号を飛ばしてくれ。
*
採決は四対二に分かれた。




