アイリスの勧誘
「断る」
コウは目の前に座るアイリスに、にべもなくそう告げた。
テーブルを挟んで二人は向かい合っている。それぞれの前に、木の器に入ったスープとパン、それに干し肉の薄切り。この村の一般的な朝食だ。
アイリスはコウをまっすぐに見つめたまま、もぐもぐとパンを咀嚼している。固く締まったパンはハーブが練り込まれており独特の風味がする。主に長持ちさせるためと寄生虫対策だが、かなりクセが強いので村の外から来た者には慣れぬ味のはずだ。しかし彼女はさして気にした様子もない。
「どうして?」
「どうしてって……まず僕は君のことをよく知らない。それに――もう冒険者は引退したんだ」
その言葉に、自分の分の朝食を持ってきたリサがコウを見て、何か言いたげな様子で席につく。
*
「コルネリウス・イネンフルス。私の仲間になりなさい」
朝風呂帰りのコウに、家の前で待ち構えていた冒険者・アイリスはそう言った。
それに対するコウの返答は、
「――っくしょい!」
くしゃみだった。
風呂上がりで、外の空気の中で立ち話をしていると風邪をひく。コウはとりあえずアイリスを家の中に招き入れようと、玄関の扉を開けた。
「お帰りなさい旦那様。お食事の用意が――その方は?」
「この人はアイリスさん。昨日村に来た冒険者」
「あら~可愛い! 初めまして~!」
出迎えたリサの様子を見て、アイリスは急に様子がおかしくなった。膝を曲げて目線を合わせ、
「私、アイリスっていうの。冒険者のお姉さんよ~」
「ど、どうも……」
「あなたはこの家の子? このお兄さんとはどういう関係かしら?」
「コウ様は私の旦那様です。私はこの家に住まわせてもらってます」
「ん?」
アイリスは振り返ってコウを見、そしてリサに向き直る。
「いま旦那様って言った?」
「はい、コウ様は私の旦那様です」
不穏な間が生じる。コウは思わず申し開きを試みた。
「あー、その……彼女はわけあって村長から預かっていてだな」
「村長からは、コウ様の身の回りの世話をなんでもしろと仰せつかっています」
「なんでも!?」
アイリスはコウのほうを振り返り、いぶかしげな視線でにらむ。
「あなた、こんな子供に……いくら田舎だからって許されないこともあるんじゃない?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ――っくしょん!」
このままでは本当に風邪をひいてしまう。とりあえず、コウは家の中に入るのを提案した。
*
そして今に至る。
アイリスの誤解はなんとか解け、改めて「仲間になれ」と言われたコウは「断る」の二文字で却下したというわけだ。
「たしかにあなたは私のことを知らない。なので自己紹介をさせてもらう」
アイリスは朝食を食べながら器用にしゃべった。よく考えてみれば、突然人の家を訪ねてきて、言われるままに朝食をごちそうになり(ちなみに「アイリスさんも朝ごはんをご一緒にどうですか」と言い出したのはリサだ)、初対面の相手二人の前でくつろいでいるこの女は相当なつわものだ。
「あ、後で朝食代くらいは払うつもりだからね」
「そんなのは別にいいよ」
「そう? せっかくおいしい朝食をごちそうになってるのに」
「村の人たちが食べ物を融通してくれるし、必要とあればなんでも助けてくれる。ここでは『カネ』というものがそもそもそんなに必要でないんだ」
追放される際にパーティーメンバーから渡された金貨も、結局は手付かずのままだ。都会なら2~3週間かそれ以上は楽に生活できるくらいの金だが、この村に受け入れてもらってからは金銭のやり取りをしたことがなかった。
追放のことを思い出すと胸に刺すような痛みを感じる。気を取りなおしてスープを飲もうとスプーンを突っ込むと、スープの中身はニンジンだらけだった。しかも今日のスープは赤・橙・黄・白・紫の色とりどりのニンジンばかりだ。コウは眉をひそめた。
「旦那様、スープは召し上がらないんですか?」
「いや? 食べるが?」
コウはやけになって器を持ち上げ、ニンジンのスープを勢いよく食べ始めた。それを見て、アイリスがリサに耳打ちする。
「……意外と子供っぽいところがあるのね」
「……でも立派です、ちゃんと食べるんだから」
ひそひそと話す二人に、コウは気づいた様子もない。別の料理だったら残してこっそり懐に入れ、後で村の犬にあげに行くこともできるが、そもそもこの村は料理というものの種類が少ない。だいたい村で取れた野菜をハーブと一緒に煮込んだ塩味のスープがメインで、そこに硬いパンと干し肉のかけら。それが毎日のメインの食事だった。つまりコウがニンジンから逃れる術はない。
スープを完食し、少し顔色が悪くなったコウを見て笑いをこらえていたアイリスは、咳払いをして言った。
「まぁ一応、私のことは話させてもらうよ」
そう言って身の上話を始めた。




