悪夢と出会い
――お前は不要なんだよ、コルネリウス・イネンフルス。
――あなた冒険者として失格ね。顔も魔法もイケてないよ。
――旦那、あンたは用済みなんだよ。俺みたいに必殺技も持ってないしな。
Aランクパーティー・桜花騎士団。かつての仲間三人が、泥と屈辱にまみれて這いつくばるコウを見下している。
――待ってくれみんな、僕のなにがいけなかったんだ。もう一度チャンスをくれ。
三人に叫び、懇願する。だが真っ黒い影となったかつての仲間は、三日月のような笑みを黒い顔に浮かべ、刃物のように鋭い言葉をコウに投げつけてくる。
――お前の顔など見たくもない。腰抜けで弱虫の負け犬が。
――陳腐で凡庸なただの魔法使いには用はないね。
――しょせん華の無ぇ男なンだよ。Aランクのライセンスも怪しいもンだ。
三つの黒い影はケタケタと笑う。悪意ある笑い声がこだまし、コウの周囲をぐるぐると回る。
あたりは真っ暗だ。ここはどこだろう? 町はずれの荒れ地か?
――ハインリヒ! アンナ! エルガー!
――気安く、
――名前を、
――呼ぶンじゃねぇ!
黒い暴風がコウを打ちのめす。縦に横に打撃が飛んでくる。とっさに短杖で《障壁》の魔法を張るが、それを貫通して容赦なく殴りつけられる。
――終わりだ、コルネリウス・イネンフルス。永遠に燃え尽きるがいい。
ひときわ小柄な影が短杖を構える。そして赤色の光が膨れ上がり、《火球》が炸裂しコウの全身を焼き尽くす。
――ぐああああ!
激しい熱と苦しさにコウは絶叫する。視界が真っ赤に染まる。赤色の魔力が炎熱の魔法となり、コウの体を焼き尽くす。
……ちょっと待て。赤色だと?
*
毛布を吹き飛ばして跳ね起きたコウは、夢の終わりから無意識に発動させていた魔法を周囲に放出した。《束縛》と《除霊》を組み合わせた範囲魔法。コウの体から発した白と青の光は部屋の中を駆け巡り、部屋の壁に行きわたり結界を形成する。「ギャッ」という声があがり、何かが部屋の端に激突して跳ね返る。
コウは即座にそれを空中でつかまえた。小動物ほどの大きさのそれは一見、毛のないネズミかモグラのようだ。粘液質の魔力をまとわせて宙を浮遊し、就寝中の人間や動物に近寄り、悪夢を見せて生気を奪い取る魔物。夢魔だ。
あの日――パーティーからの追放を言い渡され、ハインリヒの《瞬間移動》で文字通り追放された時。天才魔道士の放った光は純粋な風のエレメントを指し示す緑色だった。けっして赤色の魔力で焼き尽くされたわけではない。
つまりは悪夢。夢魔は人の心を覗き込み、忌まわしい記憶を増幅して悪夢とし、魂を弱らせて無防備にし、精神力を吸い取る魔物だ。しかしその習性が幸いし、コウは悪夢を跳ねのけた。桜花騎士団の三人が言ってない言葉、使ってない魔法で「悪夢であること」が露見したのだ。
「う~~~~ん、どうしたんですか旦那様~、なんか音がしましたけど~」
ガチャリと扉を開けてリサが入ってくる。扉が開いた瞬間、結界のように展開されていた《束縛》と《除霊》が破れる。部屋の中には、ベッドの上には片膝立ちになったコウと、その手に捕まえた夢魔の姿。
「って……うぇえええ? な、なんですかそれは」
リサの持つランプの光に、不気味に蠢く魔物の姿が照らし出される。
「夢魔さ。人に悪夢を見せて生命力を食らう魔物だ」
ギイイイ、と夢魔は暴れる。ネズミやモグラよりも大きく、猫よりは小さい。丸っこい体躯に短い手足がついているが、宙を浮遊するため退化している。短いしっぽがあり、反対側には丸く開いた口。暗黒の地中に棲む地を這う生き物のように、眼は退化して無くなっている。
「気持ち悪い……こんな魔物がいるんだ」
「そう、眠っている間に人に取り憑くんだ。悪い夢を見る時はこいつが絡んでいることが多い」
《浄火》、と唱える。白と青、それに赤の光がコウの手の中にあふれ出す。夢魔はギイイイイイと鳴いて抗議するが、光は白い炎となって魔物を包み込み、焼き尽くしていく。半幽体の不浄の魔物が焼ける時の不快なにおいが立ち込め、リサは眉をひそめてランプを持っていないほうの腕の袖で鼻と口を覆った。
コウが手を放しても《浄火》の炎は宙に浮いたまま夢魔を焼き続ける。
「どうして火が下に落ちないんですか?」
「霊的な存在や幽体を浄化する《浄火》の魔法だからさ。一般的な物理法則は通用しない」
コウは窓際に行き、窓を開け放つ。瘴気と邪気の焼ける臭いが夜の外気に中和されていく。いや――もう朝か。夜はしらじらと明けかかっている。リサがほっと息をつく。
あと少し遅れていたら、夢魔は朝の光を恐れて闇の中に退散し、取り逃がしていただろう。か細い断末魔を残し、魔物は消え去った。
「もうすぐ朝か……ちょっと二度寝する気にはなれないな」
「旦那様、よろしければお風呂に行ってきてはいかがですか?」
「お風呂?」
「汗びっしょりですし、それに……なんかクサいです」
コウはあわてて自分の臭いをかぐ。たしかに異臭がする。夢魔は人に取りつき、悪夢を見せて生気を吸い取る際、同時に排出物とも呼ぶべき瘴気や邪気を排出するためだ。
「これは夢魔の瘴気が原因であってだな」
「はいはい、いいからお風呂行ってきてください。服は私が洗っておきますんで」
この村には温泉が湧き出ていて、公衆浴場もある。村人なら誰でも利用可能であり、しかも昼も夜も一日じゅう開放されている。それはいいが、両手を差し出すサラに、コウは当然の疑問を口にせざるを得ない。
「洗っておきますって……ちょっと待ってくれ、浴場までどうするんだ。服を持ってきてくれるのか?」
「だから、服を置いていってもらったら洗っておきますんで。タオルを腰に巻いて新しい着替えを持っていってください。村の男の人はみんなそうしてますよ」
「みんなって……そうかもしれないけど」
「ほら、恥ずかしがらないで脱ぐ」
「ちょっと待ってくれ、わかった。自分で脱ぐから」
衣服を剥ぎ取られかけ、慌てて寝間着を自分で脱いだコウは、半ば蹴り出されるように家を出た。タオルを巻き付けながら浴場へ向かう。
「やれやれ、これじゃどっちが家主だかわからないな」
「こんにちはー」
通りすがりに、隣のヘンソン一家の娘さんがにこやかに挨拶してきた。狼狽して着替えを抱きしめ、腰のタオルの合わせ目を握りしめる。
「あっ、どうも、こんな格好で」
「お風呂ですか?」
「そうです、ちょっと汗かいちゃって」
「まぁ」
娘さんはクスクス笑いながら、なんということもなしに通り過ぎる。コウはため息をついた。
「ここで暮らすんだから、こういうのにも慣れないとな」
*
早朝の公衆浴場で、訛りの強いお年寄りたちの間で汗を流し(雑談につき合ったが半分も聞き取れなかった)、早々に退散する。風呂上がりの体で湯気を出しながら家に戻ると、玄関の前に人影があった。
あれは……冒険者だ。昨日村に来たという女冒険者。
「あら、お風呂かしら。いいですわね」
「君は……」
肩のあたりで切りそろえたブロンドの髪に、きりっとした目鼻立ち。背の高さはかつてのパーティーの小柄なリーダー・ハインリヒと同じか……いや、ほんの少しだけ高く見える。
ゆったりとした暗い色の服を着て、太いベルトの荷物入れを斜め掛けにしている。ぴったりと背中に沿う荷物入れで、そこそこの容量もあり、いざという時も邪魔にならない。冒険者御用達の装備だ。そして、腰には魔道士の証である短杖。
「私はアイリス。見ればわかると思うけど、冒険者をやっている」
女冒険者――アイリスはまっすぐコウの目を見た。ざっ……と音がして一陣の風が吹き、アイリスは髪を抑える。風が過ぎた後、静けさが戻りアイリスは言った。
「単刀直入に言うね。コルネリウス・イネンフルス。私の仲間になりなさい」




