晴耕雨読
畑の様子を見回った後、木陰に横たわる。
のどかで平和な午後だ。
*
山奥のケネル村――国同士の戦争に巻き込まれない位置にあり、時おりちょっとした魔物が出る以外はいたって平和な村だ。
コウ――元冒険者コルネリウス・イネンフルスは晴れた青空を見上げ、しばし意識を宙に飛ばした。小鳥のさえずりと、遠くで乳牛の鳴き声が聞こえる。ここにいると時間がゆっくりと流れるようだ。
何も考える気になれなかった。目をつぶると冒険の日々や、あの「追放」の日にパーティーのリーダー、「天才」ハインリヒ・グラーベンから言われた言葉を思い出す。
――思い出したくもない。
なのでぼんやりと青空を見上げ、流れる雲の数をかぞえている。
手持ちの魔導書を読んで知識と技術の衰えを防いだり、庭に設置した木人で稽古をしたりしたこともあった。だが魔法の勉強や剣の稽古は、いやがおうでも冒険の日々を思い出させる。
いきおい、申し訳程度の畑を耕し、庭を片付け、家の掃除や点検、買い出しや道具の整理などに没頭することになる。
そして、それらを終えると、空を見上げることくらいしかやることがなくなる。
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あの「追放」の日から、三週間ほど経っていた。
ハインリヒの《瞬間移動》で転移させられた後、コウはこの村に行きついた。偶然にも、かつて依頼を受けていたことで村の人間とは知り合いになっていた。そのためコウが冒険者を廃業して定住したいと申し出た時も、村人たちはすんなりと受け入れてくれた。
――その代わり、たまに出でくる魔物ば倒してくれればいいべ。あど村の若者さ少し剣や魔法ば教えでくれればええ。
村長はそう言った。その言葉に従い、コウは村の若者に剣を、また子供たちには魔法の基礎を教えている。だが、若者や子供たちは村の重要な労働力でもあり、勉強や訓練ばかりに明け暮れるわけにはいかない。
どのみちコウは暇を持て余すことになった。
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青空と木の葉で占められた視界の端に、少女の顔がひょこっと現れる。
「またこんなところでさぼってる、旦那様」
少女は頬を膨らませた。暗い茶色のおさげ髪に幼い顔立ち、ややそばかすが見える。動きやすいズボンに袖まくりしやすい長袖シャツ。
肌は日焼けしており、手にはところどころ切り傷がある。一目見て、この少女が働き者であることは誰にもわかる。
「いつも寝てばかりいるんだから。少しは体を動かしたほうがいいですよ」
「ちゃんと仕事はしたよ、リサ。もうやることがないんだ」
「そんなこと言って。いつ魔物が襲ってくるかわからないんですからね」
「魔物なんて僕の敵ではないよ」
「そうかもしれませんけど」
大言壮語ではない。少し前も魔熊が村に出没したが、元Aランク冒険者であるコウの敵ではなかった――
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夕暮れ時のことだ。山側に接する村の境から、若い魔熊が出現した。成獣になるかならないかの個体だったが、村に侵入した限りは退治しなければならない。
コウは倉庫から剣を引っ張り出した。そして、鋤や鍬、鎌、ツルハシで魔熊と対峙する村人たちに加勢する。後方から放った《火球》は村人たちを避けてカーブし、魔熊に全弾命中。
その後《雲踏》で魔物の頭上を取ると、《鋭利》の魔法を付与した鉄の剣で脳天をかち割る。魔物はビクンビクンと震えた後、横倒しにどうと倒れた。
あくびが出るほど簡単な仕事だ。桜花騎士団の一員だった頃は、魔熊など依頼の道中に出る雑魚に過ぎない。
歓声をあげる村人たちを尻目に家に帰ろうとするが呼び止められ、その日は盛大な宴会に巻き込まれた。そして一人の少女を紹介される。
――この子はリサってんだが、身寄りを亡くしててな。家で引き取ってるんだばで、良がっだらお前さんどごの使用人さしてくれればいいべ。
村長は意味深な含み笑いをし、おさげの少女の両肩を押してコウの前に出した。少女はうつむきながら上目遣いにコウを見ている。どうやら魔熊を簡単に屠ったところを見ていたらしく、崇敬と畏怖の混じった表情で、若干顔を赤らめている。
――なんなら嫁さすればいいべ。お前もそれでいいべ、な?
村長に同意を求められ、少女は肯定とも否定ともつかない仕草をして、深くうつむいた。都会なら初等学校を終えたばかりの年頃だろうか。瘦せぎすで、正確な年齢はわからない。
こんな子供を、胡散臭い元冒険者なんかの使用人になどさせるなんて。あまつさえ「嫁にすればいいべ」とは。都会なら噂とともに評判が地に落ち、王立警備隊や街の自警団に逮捕されてもおかしくない。
不愉快な気持ちになったが、コウは半ばやけになって少女を受け入れることにした。好むと好まざるとに関わらず、自分はこの村に居着くことを決めたのだ。いくら気に入らないことで受け入れなければならない。
世界が気に入らなくても、世界より自分を変えたほうが早い――それはコウの個人的なモットーだった。
――お前さんはもう村の立派な一員だでな。これがらも活躍ば期待してるはんでな。
コウは翌日から、同居することになった少女――リサを半ば無視して、マイペースに日々を過ごすことに決めた。
そして今に至る。
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「いつも魔熊ばかり出てくるとは限りませんよ。ゴブリンやバグベア、オークの群れが襲ってきたらどうするんですか」
「この村の近くには亜人系魔物の集落なんてないよ。そういうことは起こらない」
「そういうことを言ってるんじゃありません」
じゃあどういうことだよ、とコウは心の中だけで反論した。面倒すぎる。
「それにオークは、亜人は亜人でもエルフやドワーフなどの亜人類に近い。話の通じる人たちだよ。人間より余程賢いかもしれない」
「そうなんですか?」
「そうだ。昔の冒険譚や何かではブタみたいな姿で描かれることが多いが」
「へぇ~……じゃなくて! 寝てばかりじゃダメだってことです! 体がなまりますよ!」
知ったことか、とコウは寝返りを打って、リサを自分の視界から追い出した。
横たわるコウのそばで、リサは不機嫌そうに地団駄を踏む。ずいぶん当たりは強いが、最初の頃と比べたらだいぶ打ち解けてきている。そこは良いことかもしれない。
「私には、旦那様にもっとやる気を出してほしいんです」
「やる気を出しても何にもならないだろ。それと旦那様はやめてくれ」
「じゃあ、なんて呼べばいいんですか」
「コウでいいよ」
リサが続けて口を開きかけた時、村の入り口のほうでざわつきが起こった。
「――なんだ?」
「行ってみましょう」
コウはのっそりと立ち上がり、駆け出したリサの後を追って村の入り口へ向かう。
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村の入り口、木で作られた柵の向こうに、一頭立ての馬車が止めてあった。馭者席にはフードをかぶった旅人の姿。
「あれは――恰好からして冒険者か」
「みたいですね。この村に冒険者が来るのは珍しいです」
馭者は馬から降りて柵に近づき、村の若者と話をしている。二言三言話をし、冒険者はフードを降ろした。
そこにはまだ若い、意志の強そうな女の顔があった。




