6 協力者 前編
アヤカシというものが何であるか。
実のところ、それはあまりはっきりとは分かっていない。
人間と近い姿を持つ者もいれば、異形の姿をした者や、自然現象のような者もいる。
姿形も性質も、何一つ統一感がない何か。それがアヤカシだった。
そして人間はそういう未知のものに好奇心をそそられる。
やがてアヤカシについて研究する人間がぽつぽつと現れ始めた。人ではないから良いのだと、非人道的な実験を平気で行えるくらいの、支配者面の傲慢さを持って。
◇ ◇ ◇
あれから程なくして、御堂を含めた大和守護隊の応援が到着した。
大和の守り手たちの行動は迅速だ。桂月は心の中でそう褒めつつ、百合たちを彼らに任せ、真宵邸のリビングに空いた穴から地下へと移動した。
上の屋敷と違ってそこには電気が通っており、機械や設備が稼働した研究施設が広がっていた。
ここへ足を踏み入れた時に寒いと感じたが、この部屋はそれよりさらに温度が低く感じる。
周囲を見回せば、大きなガラスケースが一つ割れており、そこから冷気が漏れていた。
どうやら寒さの原因はそこのようだ。ガラスケース内を冷やすことで中に入っていた何かの動きを制御していた、という感じだろうか。
(十中八九、先ほどの蔦のアヤカシですね)
あまり強くないと感じたのも、もしかしたらここから漏れた冷気で、動きが鈍っていたからかもしれない。
そんなことを考えながら、桂月もまた白い息を吐いて腕をさすった。神降ろしをして体力を消耗しているため、寒さが少々体に堪える。小刻みに体を震わせていると黎明が近付いてきて、
「桂月サン、ちょっと失礼。ツキ、いったんこっちへおいで」
と言って、ツキを持ち上げて自分の頭に乗せた後、着ていた羽織を桂月の肩にそっと掛けてくれた。感じていた寒さが和らぐ。
これは助かるが、黎明の方はこの寒さに耐えられるのだろうか。そう心配になって桂月は顔を上げる。
「ありがとうございます、黎明。ですがあなたは良いのですか?」
「ええ、俺は丈夫なんで。桂月サン、風邪引きやすいですからね。使ってください」
「おやおや、私の狐君はさすがですねぇ。それでは遠慮なくお借りします」
桂月はそう言いながら、黎明の羽織にそっと指を這わせた。
羽織に残る黎明の体温が心地良い。何だか間接的に黎明に触れることが出来た気がして、これいいなぁ、なんて黎明は微笑んだ後で、
(……いや、変態か、私は)
直ぐに我に返って、ンン、と咳をしてそれを誤魔化す。
たぶん誰も気にしていないが、自分自身が妙に恥ずかしかったのだ。
まぁ、それはそれとして、だ。身体に当たる冷気が少し軽減されたため動きやすくなった桂月は、部屋の中を見て回ることにした。歩く度にコツコツと靴の硬質な音が響く。
(部屋の大きさは……真宵邸の敷地と同じくらいか)
そう考えるとだいぶ広い。そこに筒状のガラスケースが、割れたもの以外にも幾つか置かれている。インゲンの大人が一人入っても余裕なくらいの大きさがある。
そのガラスケースの一つに、淡く光る大きな青い花が入っていた。
(この花もあの蔦と同じように脈打っている……)
心臓の鼓動を彷彿とさせるあの光だ。ただ、蔦のアヤカシと比べてその動きは控えめだった。
「これもアレと同じアヤカシですかね」
「恐らく。……ただ、このタイプは正直、見たことがありませんね」
「うーむ。植物の体を持ったアヤカシは確かにいるが、このようなタイプはわらわも初めて見たぞ。……何なのじゃ、これは。体がゾワゾワする」
そう言ってツキはその小さい体をぶるりと震わせ、ぴとっと桂月に引っ付く。ふわふわした温かさを感じながら、桂月は腕を組んだ。
「恐らくアヤカシ研究の一環なのでしょうが……真宵氏はどんな研究をしていたのか」
「人をアヤカシにする実験ですよ」
すると、上からそんな声が降ってきた。顔を上げると御堂がこちらをのぞき込んでいるのが見える。
彼は「お疲れ様です」と笑ってから縄梯子を垂らし、それを伝って下りて来た。
「人をアヤカシに? それはまた……どう考えても非合法ですね」
「ええ、その通りです。だから大和守護隊は彼――真宵樂を逮捕するはずだった」
「ああ……確か亡くなったんでしたっけ」
「病死とのことですね。……表向きは」
「表向き、ですか? 実際は何です?」
「実験中に命を落としたんですよ。人をアヤカシにする実験をした際の事故でね」
御堂はガラスケースの花を神妙な顔で見ながら言葉を継いだ。
曰く、真宵はアヤカシを捕らえて、その血から生成した薬を人間に注入することで、その体を徐々にアヤカシへ変化させようとしていたらしい。
当然ながら非合法の実験だ。都市国家大和では人間とアヤカシが共存している。だからこそ法を守って普通に暮らしている一般アヤカシに対して、無体を強いることは禁じられているのだ。
人間を襲い暴れるアヤカシはもちろん例外だ。ただ、すべてが討伐対象というわけでもなく、ツキのように事情があって暴れたが大人しくなったり、人間の犯罪者同様に収監出来る程度の力の強さのアヤカシであれば、消滅させずに更生を促す形となっている。
さて、話は戻るが、そんな非合法の実験に協力するアヤカシや人間はまずいない。
アヤカシに関しては、討伐対象のものを捕まえて真宵に売り渡す協力者がいたらしいが、その薬の被験者となる人間は別だ。命の保証のないこんな実験に、進んで協力する人間はいない。
だからこそ真宵は自分自身の身体で実験を繰り返していたらしい。
その実験中に命を落とした――というのが実際の話なのだそうだ。
真宵はそれなりに名の知られたアヤカシ研究者だ。そんな彼が死亡したとなればニュースにはなる。だが内容が内容だけに、正確な情報を知らせるわけにはいかなかったため、病死という形で統一されたのだそうだ。
(……まぁ、これはいくら何でもまずいですからね)
都市国家大和は人間とアヤカシが共存する国だ。しかしその共存関係は案外脆いものでもある。もしも真宵の話が表沙汰になれば、厄介な騒動の引き金になりかね樂ない。
だからこそこの国は、真宵樂の死の真相を隠す方面で動いたのだろう。
「ただ……」
「ただ?」
「以前に守護隊が調査に入った際に、施設内の資料は回収し、設備に関しても稼働しないように処置したんです。それに長くアヤカシの研究を続けていた場所でもありますから、万が一何か起きないように閉鎖もしていて……」
「ああ、だから立派な屋敷の割には、買い手がついていなかったのですね」
御堂の言葉に桂月は軽く頷く。
これは納得できる話だ。聞いた限りでは真宵の所業はアヤカシの恨みを買っている。恨みの念という奴は、毒のように相手を蝕むことがある。アヤカシのような存在ならば特にその念は強い。もしも買い手がついたとして、その人が真宵とは何の関係がなかったとしても、この家に住んでいれば何かしらの危険に見舞われる可能性が高い。
だから大和守護隊は閉鎖したのだ。その判断は正しい。
――で、あれば、だ。
何者かがここへ不法侵入して、真宵の研究を続けていた、ということになるが……。
「ああ~……嫌な感じがした理由が分かるのう……」
「普通のアヤカシは近寄らないくらい、酷いですからねぇ……」
話を聞きながらツキと黎明も嫌そうに顔を顰めた。声からも嫌悪感が伝わってくる。
「……ちなみに、真宵氏の協力者について伺っても?」
「ああ、はい。ええと、確か……そうそう、氷月千明という人物です。氷月コーポレーションの社長ですね」
「――――」
その名前を聞いたとたん、桂月は大きく目を見開いた。心臓が嫌な音を立てて大きく鳴る。
心の底から聞きたくない名前だったからだ。
「桂月さん?」
「ああ、いえ。……何でもありません」
緩く首を振って、桂月は動揺を隠すように笑顔を顔に張り付ける。
「私たちの業界でも、頻繁に名前を聞く人物だったので驚いてしまって」
「あ~、なるほど。確かにそうですね。ちなみに氷月氏は暴れるアヤカシを捕まえて、真宵氏に引き渡していたらしいですよ」
「守護隊的には有りなんです?」
「無しです。ですが大和の政治家方面と繋がりが合る人なので」
「ははぁ、揉み消していたと。なるほど、氷月のやり方らしい。嫌ですねぇ、あそこは本当に」
「桂月さんが言うならよっぽどですねぇ」
「おやおや、御堂君? 先ほども言いましたが、私、執念深いタイプですよ?」
「あはははは! 冗談です!」
御堂と話をしながら、何とかいつもの自分まで感覚を戻すことが出来た。桂月がひっそりと安堵していると御堂は「ここの調査と封鎖を、もう一度念入りに行う予定です」と言った。仕事熱心なのが彼の良いところである。
「その方が良いでしょう。浄化が必要でしたら、呼んでいただければ直ぐ来ますよ」
「ありがとうございます、助かります!」
「いえいえ。では、今日のところはこれで」
「はい。お疲れ様でした!」
「はい、ではまた」
御堂に軽く手を振って、桂月は背を向け、彼が降ろした縄梯子に向かって歩き出す。
しかし、そうして背を向けたとたんに、桂月は自分の顔からフッと表情が消えるのを感じた。
「…………」
――二度と、関わるつもりなどなかったのに。
そう思いながら桂月は縄梯子を上った。