後日談 ツキのあどばいす
「……最近、黎明の距離感がやたらと近いんですよ」
「惚気か」
「半分は」
「貴様も言うようになったのう」
その日、桂月はアヤカシのツキと一緒に、喫茶店でお茶を飲んでいた。ちょっとした相談に乗ってもらうためだ。
内容は桂月が言った通り「黎明の距離感」についてだ。
先日、桂月と黎明は両想いになったばかりだが、その日から黎明がやたらと桂月に甘えてくるようになったのである。ふっと気付くと隣にいるし、ごく自然に膝に頭を乗せて来る。
(別に嫌ではないのですけれど)
むしろ嬉しいのだが、あまりに突然の変化に桂月は少々戸惑っているのだ。だから誰かに相談したいと考えていた。
しかしこんな話は、誰彼構わず出来るわけではない。桂月は自分の知り合いの中で、わりとしっかり話を聞いてくれそうな相手を考えて、まず浮かんだのがツキだった。アヤカシであるツキならば、半妖の黎明の考えも分かるかもしれないと思ったのものある。
そういう事情で、こうして喫茶店で待ち合わせをして彼女に相談をしたのだが、
「まぁ、それはアレじゃ。甘えておるだけじゃな。猫や犬がなつくとやるアレがあるじゃろ?」
とツキは言った。
「顔には出ておらんが、今までだいぶ我慢しておったからのう。触れるようになったから、遠慮しなくなっただけじゃて。そもそも元から貴様らはそれなりに距離が近かったぞ」
「え? そ、そう……でしたっけ?」
「気付いておらんかったか。まぁ、比較対象がおらんかっただろうからなぁ。黎明の奴は、桂月がわらわを撫でる時、だいぶ羨ましそうな顔をしておったぞ?」
ツキはそう言いながら、あむあむとケーキを食べる。
彼女の言葉に桂月は目を丸くした。そうだったのかと少し驚いた。まったく気付いていなかったからだ。
ツキはそんな桂月を見上げて、嘴にちょっと生クリームをつけながら、ふふ、と笑う。
「ま、貴様らが楽しそうで良かったよ。辛気臭い顔をしていたら、霊力を吸い尽くす気も起きんからの!」
「ちょっと。まだ諦めていないんですか、それ」
「当然じゃ! わらわがないすばでぃに戻るまでは諦めんぞ! ……だが、またケーキを奢ってくれるなら勘弁してやろうではないか」
「まったく、あなたね?」
ご機嫌にケーキを食べるツキを見て、桂月はくすくすと笑う。何だかんだで本当に気の良いアヤカシである。
こうして知り合えて良かったなぁと桂月が思っていると、ツキは「そうじゃ!」と明るい声を出した。
「わらわが一つ、ないすなあどばいすをしてやろうか?」
「アドバイスですか?」
「うむ。黎明が喜びそうな奴じゃよ」
「おや、それは興味深い。ぜひ」
「それはのう……」
ツキはぱたぱたと跳び上がると桂月に近付く。そしてそっと耳打ちした。
ごにょごにょ、と短く話した後、彼女の提案に軽く目を見開いた桂月は、
「……なるほど、やってみます」
と神妙な顔で頷いたのだった。
◇ ◇ ◇
「今日のツキとのデート、どうでした?」
「デートじゃありませんよ。ちょっとした人間アヤカシトークです」
桂月霊能事務所へ戻ると、黎明からすぐにそう訊かれた。
彼が出してくれた抹茶を飲みながら桂月がさらっと答えると「ツキだけずるい……」彼はちょっとだけ拗ねた声でそう呟いている。
以前と比べて黎明は、本音を言葉にすることが増えている気がする。ツキも言っていたが、甘えてくれているということなのだろう。素直に気持ちを伝えてくれるのは、こんなに嬉しいことなのかと桂月が思っていると、こてん、と黎明の頭が肩に乗った。
まるで恋人にするような行動に、さすがの桂月も少し照れる。
(いや、ような、ではなく。……実際に恋人なんですよね)
報われるなんて思っていなかった恋心だから、黎明とそういう関係になれていることが、実のところ少し不思議だ。夢なのではと頬をつねることだってある。しかしいくらやっても痛いだけで、目が覚めたりしない。現実だ。現実なのだ。
改めてそう実感して、桂月は小さく笑った。
「桂月サン? どうしました?」
「ああ、いえ。……幸せだなと思いまして」
「……そんなかわいいことを言われると、抱きしめたくなるんですが」
「真顔じゃないですか。そんなに真剣な様子にならないで」
本当に遠慮をしなくなった男である。まぁ、そういう部分も含めて桂月は好きなのだが。
肩に乗った頭を撫でてやると、獣の耳が気持ちよさそうに垂れた。尻尾もふさりと揺れている。
それを見て、桂月は「そうだ」と言って、ひょいと立ち上がった。黎明はほんのり不満そうに桂月を見上げる。
「桂月サン?」
「ちょっと待っていてくださいね」
黎明にそう言うと、桂月は自分のデスクへと歩いて行く。そしてそこに置いてあった紙袋から、ブラシを一つ取り出した。獣のアヤカシ専用のブラシである。それを持ってソファへ戻ると、黎明に自慢げに見せてみた。
「何です、それ?」
「ブラシですよ。あなたをブラッシングしようと思って」
「えっ」
そう言うとサングラス越しの黎明の目が輝く。三白眼なので少々分かり辛いが、喜んでくれているようだ。
黎明はそわそわした様子で、自分の尻尾を動かして桂月の膝に乗せた。
行動が早い。ふふ、と微笑みながら、桂月は黎明の尻尾をブラッシングし始める。
「…………」
すると黎明の顔が気持ちよさそうにとろんとして来た。
眠る前の無防備な表情に似ている。ああ、こんな顔が出来るんだと、桂月は新鮮な気持ちになった。
(これはツキに感謝しなければ)
そんなことを考えながら桂月は手を動かす。ふさり、ふさり。ブラッシングをするたびに黎明の表情が溶けていく。
格好良いだけではなく、可愛い面もあるのが何だか楽しくて、うっかり黎明が眠ってしまうまで、桂月はしばらくそれを続けたのだった。




