17 必要
世の中には必要とされる者と、必要とされない者の二種類がいると黎明は思っている。
そこには決まった理由があるわけじゃない。時と場合によって取捨選択は変化する。
ならば、果たして自分はどちらなのだろうか。それを考えた時に黎明の頭に浮かぶのは、自分の飼い主である雪宮桂月の顔だ。
彼は自分を必要としてくれている――黎明はそう思っている。
夏生黎明は人間の母と狐のアヤカシの間に生まれた半妖だ。
化かす術が得意なアヤカシの血を引いているわりに、父のようにアヤカシの特徴を隠したりすることが出来なくて、狐の耳と尻尾は常に見えたまま。それを両親はかわいいと褒めてくれたが、そのせいで雪宮家から隠れ続けるのが困難になっていたことは、子供の自分にも分かっていた。
何とか逃げて隠れ続ける日々が続いた、ある日。黎明の両親が暴走するアヤカシに襲われて亡くなった。生活費と逃亡資金を稼ぐための無理がたたったのだろう。普段であれば問題なく倒せていたであろうアヤカシから黎明を守って息絶えた。
あの時のことを思い出す度に黎明はいつも思う。自分も一緒に、アヤカシに喰われてしまったら良かったのに、と。むしろもっと前にそうなっていたら、両親はあそこまで苦労せずに、雪宮家から逃げられていたかもしれない。
自分がいたから両親は死んだ。黎明はずっとそう後悔している。
特に雪宮に引き取られた頃の黎明は、自分の生きる意味や価値が見いだせずにいた。それでも両親が守ってくれた命なのだからと自分に言い聞かせ、何とか生きようとしていたのだ。
そんな時に雪宮桂月と出会った。
初めて見た時、こんなに綺麗な子が現実にいるのだなと驚いたのをよく覚えている。
しかしその子の顔に浮かんでいたのは、人生のすべてを諦めたような暗い表情だった。裕福な家庭で育っているはずの桂月の顔は、他の誰よりも暗い。下手をしたら自分の顔よりもそうだったかもしれない。
黎明は雪宮家の当主から、桂月の世話係になれと命じられた。歳が近いからちょうど良いだろう、と。しかし黎明は他人の世話なんてしたことがないので、当然ながらなかなか上手く行かない。しかも桂月は警戒心の強い猫のように、自分にまったく心を許してくれなかったのだ。まぁ、嫌われているのだろう。どうしたら良いのだろうと、誰にも相談することが出来ず、途方に暮れたことは何度もあった。
それでも何とか接していたら、桂月は他の雪宮の人間と違って自分を蔑んでいるわけではないことが分かった。黎明が怪我をしたり、雪宮の人間から辛く当たられて落ち込んでいる時に、彼は不器用ながらも気遣ってくれるのだ。
桂月は自分のことを好意的に思ってはいなかもしれない。けれども優しい子なんだなと黎明は思った。
優しくされたら優しくするんだよと両親に教わっていた黎明は、桂月に対して自分もちゃんと優しくしようと思った。そうして接している内に、だんだんと桂月から自分へ向けられていた態度が軟化していったのだ。
そんな日々が続いた、ある日。桂月が風邪で寝込んだことがあった。
「黎明、私を……置いていかないで、くださいね……」
熱に浮かされた桂月が、黎明の服の裾を掴んでそう言った。
涙目で、不安そうなか細い声で、桂月は自分を必要としてくれたのだ。
その言葉が黎明には衝撃だった。両親を亡くしてからずっと、誰からも疎まれていると思っていた自分を、自分自身ですら価値がないと思っていた黎明を、桂月は必要としてくれた。
黎明はその時、闇の中に一筋の光が差し込んだような錯覚を覚えた。救われた気がしたのだ。
その日から黎明は桂月の事が誰よりも大事になった。何においても優先すべき大事な存在となったのだ。
◇ ◇ ◇
その日黎明は、桔梗区に住む信用できると判断している人たちの元を訪れていた。今回の作戦に協力してもらえないか交渉するためだ。
本来、こういう役割は桂月が担当している。けれども彼は今、情報収集や諸々の調整で手が回らないため黎明が代わりを務めることになったのだ。
今訪れているのはジャンク屋だ。何度か桂月霊能事務所に仕事を依頼されて訪れたことがある。
骨董品等もそうだが、ジャンクパーツの中には想いが強く残っているものがあり、特定のアヤカシがそれに惹かれてやってくることがあるのだ。その対処と、浄化の依頼を請け負っている。
「へーえ、なるほどね。何か面白そうなことしてんねぇ」
「面白くはないですけどね」
「あっはは。だろうねぇ~。あの氷月コーポレーションと大和守護隊を敵に回すって相当よ?」
「はぁ、俺は放っておきたい派でしたよ」
「だよね。黎明ちゃんは桂月ちゃんの安全が第一だからさ」
「そりゃそうですよ。だって俺の飼い主ですからね」
「いいねぇ、仲が良くて羨ましいよ。うちの旦那もそれくらい、あたしのことを大事にして欲しいもんだ」
「大事にされているでしょ。この間なんて薔薇の花束プレゼントされたそうじゃないですか?」
「そうだよ、すごいだろ? いや~、あれはすごく嬉しかったなぁ。黎明ちゃんもやってみな。桂月ちゃん、きっと喜ぶよ」
やや開放的なデザインのつなぎ服を着た店主の菅良葉月が、ニヤニヤしながら腕を組む。葉月は黎明とほとんど変わらない年齢のはずだが、話をしていると妙にこちらが子ども扱いされてしまって、何とも不思議な気分になる。たぶん彼女が纏っている雰囲気のせいだろう。黎明には兄弟はいないが、もしも姉がいたらこんな感じだったのかもしれない。
そんなことを考えながら話していると、
「仕事の話だけど、いいよ。協力してあげようじゃないか」
葉月は手に持ったスパナを肩に当てて、ニッと笑った。
断られる場合を想定して桂月からいくつか案をもらっていたが、特に使う必要がなくするりと承諾を得られたことに黎明はほっと息を吐く。
それから葉月に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます、助かります」
「気にしなさんな。桂月霊能事務所にはずっと良くしてもらってるからね! それに……」
「それに?」
「あんたたちはあまり他人を頼らないでしょ。だから頼ってもらえて嬉しいよ」
黎明は予想外の言葉に目を丸くした。確かに、言われてみれば他人を頼ることはなかったかもしれない。だが、それが嬉しいとはどういうことだろうか。
(そう言えば、バーのマスターも同じことを言っていたな……)
頼られて困るという感情ならば分かるが、その逆はよく分からない。
思わず黎明が首を傾げてしまったら、葉月から「どうしたんだい?」と訊かれた。
「ああ、いや、皆からそう言われるので……。何か、連絡網でも回っているのかなと」
「連絡網って、あはは。ここの連中はそこまでまめじゃないよ」
葉月は明るい声でカラカラと笑う。それからとても優しい眼差しになった。
「……あんたたちはいつもさ、頼んだ仕事をきっちりこなしてくれる。大和には桔梗区の人間ってだけで低く見る奴や、足元を見る奴がそこそこいるんだ。だけどあんたたちはそうじゃなかった。他の区から来た人なのに、一度だってそういうことをしなかった。だから皆嬉しくなって、あんたたちのことが好きになっちまったんだよ」
「……ちょろい」
「その通りさ」
何と答えたら良いか分からなくて若干失礼な言葉が出たが、葉月は気にせず、それどころか楽し気に口の端を上げた。
「だからまかせときな。あたしらも頼まれた仕事はきっちりするよ」
そして、そう言って頼もしい声で請け負ってくれたのだ。
黎明にとって仕事とは、頼まれた通りをこなせばお金をもえるというだけのものだった。そこに誇りとかやりがいとかを感じたことはない。
けれど真面目に働けば、こういう風にも想ってもらえるのかと、ほんの少しだけ感動してしまった。信頼、という奴だろうか。
黎明は少しだけ照れながら、
「……ありがとうございます」
とお礼を言うと、葉月は満面の笑みを返してくれたのだった。