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16 黎明の怒り


 話を終えた後、桂月はいったん百合を帰らせた。これから情報収集と今回の作戦を練るからだ。

 だが帰したと言っても彼女の自宅へではない。百合の行動が監視されている可能性も考えて、信頼できる馴染みのバーに彼女のことを頼んだのだ。バーのマスターは「桂月さんからの頼みごとなんて嬉しいですね」なんて笑って快諾してくれた。

 

(マスターはお歳だが腕が立つ方だから大丈夫だとして……)


 たまに様子を見に行こうと思いつつ、ちらり、と桂月は黎明の方へ目を向ける。

 黎明は事務所のソファに座って、テーブルの上に並べた資料から今回の依頼に利用出来そうなものを探している――のだが。どうにも様子がおかしい。桂月が百合の依頼を受けてから、明らかに口数が減ったのだ。


(……機嫌が悪い、のだろうか)


 黎明は普段もそこまで饒舌な方ではないが、今日はいつにも増して沈黙が多い。どう考えても、百合の話の後からこうなったので、理由を考えるとそれだろう。

 しかし、別に百合に対して怒っている風ではなかった。ならば彼の機嫌が悪くなったのは桂月の対応の仕方だ。


(ショッピングモールで「気にするな」と言われていたのに、敢えて関わろうとしたから怒っているのだろうか……)


 ここまで黎明の機嫌が悪いのは、この事務所に引っ越した時以来だ。

 あの時の桂月は、いざ外へ連れ出してもらったものの、周りに対する不安と不信感が強すぎて、部屋から出られなくなってしまっていたのだ。

 ずっと自室に閉じこもって食事も碌に取っていなかったものだから倒れて、次に気が付いた時には目の前に見たことがないくらい複雑な顔の黎明がいた。

 彼は怒りと心配が同じ分量で混ざったような表情で、怒りながら何かを食べさせてくれた。そのおかげで桂月は何とか生き延びることが出来た――らしい。


(正直、意識が朦朧としていたから、はっきりとは覚えていないんですよね……)


 それから少しの間、黎明の機嫌は悪かった。ぼうっとしている間に、彼を傷つけるようなことを口走ったのではと心配になって訊いてみたが、黎明は言葉を濁すだけで何も答えてくれない。

 もしかしたら熱に浮かされて、黎明のことが好きだとか告白して、それで気味悪がられたのでは……とも危惧したが、しかし特に避けられることもない。

 結局今になっても理由は分からないが、倒れたことについてのみを心配して怒っていたのだろうと桂月は思っている。


「……あの、黎明」

「何ですか?」


 おずおずと声を掛けてみると黎明は顔を上げた。一応ちゃんと返事はしてくれる。そのことにほっとしながら桂月は「……怒っていますか?」と素直に質問した。すると黎明は目を瞬いて「まぁ、ちょっと」と頷く。


「百合さんの依頼を受けたことですよね」

「ええ。今回の仕事は、がっつりと氷月に関わりますから。俺はね、氷月にはこれ以上触らない方が良いと、今も思っていますよ」

「それは……確かに。ですが、それならばなぜ百合さんを門前払いせずに、事務所へ入れたんですか?」

「依頼内容については聞いていなかったので、まぁ。ただちょっと嫌な予感はしたんで、追い返しても良かったんですが……桂月サン、百合サンを心配していたでしょう? 顔を見せた方が、桂月サンが元気になるかなと思ったんですよ」


 桂月がもう一度問いかけると、黎明はからそんな答えが返って来た。

 思わず桂月は目を丸くする。どうやら全部桂月のためだったらしい。嬉しいやら何やらで桂月は小さく笑った。


「ありがとうございます、黎明。ええ。百合さんが大丈夫か心配だったのもあります」

「依頼を引き受けたのも?」

「そうですね。あのまま断っても彼女は一人で行くでしょうから……というのは後付けで。もっと自分勝手な理由ですよ」


 桂月が少し間を空けて答えると、黎明は首を傾げた。


「自分勝手?」

「このままで良いのかと思ったんです。この先ずっとあいつらに怯えて、全部を諦めて、逃げ続けていいのかと」

「俺は良いと思いますけどね。逃げるのはちゃんと選択肢の一つです。立ち向かうだけが生きるってことじゃありませんし」

「ええ、そう思います。……ですが、それでは私はずっと黎明に甘えたままだ」

「俺に?」


 黎明は意外そうに目を丸くする。桂月はそんな彼に頷いた。

 彼の優しさに甘えて、その中だけで生きるのは、桂月にとっては幸せだ。黎明が自分のことを恋愛的な意味で見ることがなくても、今のままであればずっと彼は自分のそばにいてくれる。そんなぬるま湯のような関係でも桂月は満足だったのだ。


 けれど果たして黎明はそれで幸せなのだろうか。自由の少ない世界に、ずっと黎明を縛り付けていて良いのだろうか。

 ――否だ。少なくとも氷月や雪宮、一部の大和守護隊に監視されるような狭い世界は、彼には似合わない。


 黎明を手放す選択肢は桂月にはない。黎明が自分から出て行きたいと言えば止めることは出来ないが、そうでなければずっとそばにいて欲しい。

 けれど、そのどちらであっても、彼を取り巻く世界はもっと自由であって欲しい。


 そのために氷月がこちらに干渉して来る可能性を排除したい。

 それが理由の半分だ。だから桂月は百合の依頼を受けたのだ。

 他人のためだなんてとんでもない。自分のための、自分勝手な理由だ。


 そんな話を適当に掻い摘んで桂月は黎明にする。

 彼は桂月の言葉を静かに聞いていた。


「……ま、もう少し格好良い理由を言えたらいいんですけどね」

「…………」

「……幻滅しても良いですよ。そのくらい情けないことを言っていると理解しています」

「ふざけていますかね」


 すると黎明はやけに低い声でそう言った。桂月が「え?」と聞き返すのとほぼ同時に、彼はふわりと事務所の中を跳躍し、桂月のデスクの上に着地する。

 そしてまるで本物の狐のような態勢でしゃがむと、椅子のひじ掛けに手を置いて、ずい、と顔を近づけて来た。


「え、っと、あの、黎明? ……もっと怒っています?」

「ええ」


 問いに対する短くはっきりとした言葉に彼の怒りの悪化を感じて、桂月は冷や汗をかいた。何なら殺気のようなものまで出ている気がする。

 ここまでの怒りを黎明から向けられたことがなかった。顔が引き攣る。彼がどうしてここまで怒っているのか分からず、桂月はあたふたと困惑した。


「俺を捨てるんですか」

「す、捨てるとは言っていませんよ。ただお前があまりに不自由だなと思って……今更ですが……」

「俺は別に選ばされてそうしているんじゃないですよ。自分で選んでここにいます。ねぇ、桂月サン。前にも言いましたよね。俺は桂月サンだけが大事だって。なのに何であんたが俺を捨てるみたいなことを言うんです」

「黎明、あの」

「桂月サン」


 黎明は瞳孔の開いた目で、さらに桂月に顔を近づける。もう数ミリで鼻と鼻が当たりそうなくらい近い。

 当たる――と考えた瞬間に、ぐ、と喉の奥から吐き気が競り上がってくる。それを何とか堪えて桂月は言う。


「ち、近い、ですよ、黎明。少し離れて……」

「なら俺を捨てないと約束してください」

「す、捨てません! そもそも捨てるつもりなんてありませんよ。黎明がいないと私が困るんですから」


 桂月が必死にそう答えると、黎明はしばらくじっと黎明の目を見つめた後で「分かりました」と顔を離した。同時に吐き気も治まり、桂月は安堵の息を吐く。


「……喰われるかと思いましたよ」

「返答によっては、そうですね」

「はい?」

「まぁ桂月サン、ガリガリなんで腹に溜まりそうにないですけど」

「……」

「冗談ですよ」

「冗談に聞こえない冗談を言うんじゃありません、この駄犬」

「俺は狐なんで駄犬に該当しないですね……よっと」


 そう言いながら黎明はデスクからも下りる。見ると綺麗に並べてあった資料がぐしゃぐしゃになっていた。それを見て桂月は頭を抱える。


「ああ~! どうしてくれるんです、これ!」

「はぁ、すみません」

「まったく心が籠っていない! ああ、もう~……!」

「抹茶のパフェ作るんで機嫌直してくださいよ」

「えっ、直します」


 黎明のパフェは滅多に食べられないご馳走である。桂月がパッと表情を明るくすると「ちょろいんですから」なんて言って黎明は笑った。

 そしてそのままキッチンへ向かって歩きながら、


「あんたは俺の飼い主なんですから。……だから捨てないでくださいね」


 こちらを振り向かずにそう言った。

 その声が何だか寂しそうで、桂月は少し驚いてしまって――そしてそう乞われるくらいには好かれているのかと嬉しくなって、


「……捨てませんよ。あなたが望まない限り、ぜったいに」


 と言って微笑んだのだった。


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