15 日向野百合の理由
百合の言葉に、桂月と黎明は大きく目を見開いた。
大和守護隊のやっていること――つまり氷月家と組んで、アヤカシを使って行っている実験を公にしようと彼女は言っているのだ。
その真っ直ぐな目に桂月は思わず言葉に詰まった。心臓が嫌な音を立てて鳴っている。
「百合サン、それは」
「桂月さんたちと氷月さんの間に何か事情があるのは、見ていたら私にも分かります。その上で依頼をしに来ました」
「……理由を聞きましょうか」
テーブルの上で両手を組み、動揺を押し殺しながら桂月は、努めて静かに百合に問いかけた。
正直に言えば、理由なんて聞かずに「無理です」と断ってしまいたい気持ちはある。けれどそれ以上に、あの時に感じた後悔と罪悪感の方が強かった。だから桂月は彼女の話を聞くことにしたのだ。
百合に話の続きを促した時、黎明からは心配そうな眼差しを向けられた。しかし、桂月が受け入れる意思を示したため口を閉じている。百合はそんな自分たちの顔を順番に見て、
「篠崎良太君を助けたいんです」
と続けた。
篠崎良太――ショッピングモールで捕まえた少年だ。御堂が解放して構わないと言って、千秋がそのまま連れて帰った。あの後、彼がどうなったのか桂月には分からない。ただ千秋に対して恐れのような感情を抱いているのは分かる。
(けれど彼はあくまで未成年だ。氷月千明も、そこまで酷い真似はしないはず)
これがもしも身内や成人済みの人間であれば、違った対応になっていたかもしれない。しかし氷月千秋は子供に暴力を振るわない男だ。
幼いの頃に桂月も、父親に連れられて氷月の集まりに行った際に、彼の目の前で何度か失態を演じてしまったことがあった。神降ろしの疲れでふらついて倒れ、たまたま人と接触した際に吐いてしまったのだ。けれど千明はそれを見ても罰したりはしなかった。むしろ桂月を叱責する父を止めてくれたこともあった。
それは桂月以外の子供に対しても同じ対応だったので、それが千明にとって普通のことなのだと桂月は思っている。
だから良太も、そこまで酷い目には合っていない――はずだ。もちろん、あくまで推測の話だが。
「彼は理由があって犯罪に手を染めている。だけどまだ立ち止まれる位置にいると思うんです」
「……そうですね。納得して協力しているわけではなさそうですし。彼の言葉を信じるならば、まだ取り返しがつかないような内容の犯罪を指示されてもいないでしょう」
「はい。だから今しかないんです。モールでの一件が彼にとってのターニングポイントになり得る。良い意味でも、悪い意味でも。そしてただ助けても、守護隊がグルになっているなら、彼はこの先ずっと自由になれない」
だから守護隊ごと何とかする必要があるのだと百合は話す。
彼女の言う通り、良太の仕事が誰にもバレていない状態であれば、これからも同じ仕事をやらさられるだろう。そして一度露見してしまった今は「もう後には引けないぞ」と脅され、より重い犯罪に関わらせられる可能性が高い。
で、あれば、確かに百合の言うように、助けられるのは今しかないのだ。事実を目の当たりにした良太の心が折れる前に何とかしなければならない。
だが、それだけでは百合がここまでする理由の説明にはならない。
「だから……」
「まだですよ、百合さん。あなた個人の理由がまだです」
百合がしようとしているのは、彼女の命が危なくなることだ。そしてもし、それが成功したとしても、今回の件が公になった時点で大和守護隊への批判が強くなるだろう。
どちらへ転んでも百合自身は苦難の道を歩むことになる。普通に考えても、守護隊の新人隊員がただの正義感だけで突き進めることではない。
良太のことは心配だし、守護隊と氷月の関係も危険だと桂月も思う。けれども桂月は、それと百合の安全を比べるならば彼女の方を選ぶ。
それぞれに抱いている感情の差だ。桂月にとっては百合の方が重要度が高い。だからこそ、もしも彼女が、生半可な覚悟でこの件に手を出そうとしているならば止めようと桂月は思ったのだ。
桂月に問いかけられた百合は一度目を伏せた後、
「……私もそうだったからです」
胸に手を当ててそう言った。
「私、あんまり良い家庭で育っていなかったんです。親は放任主義でずっと家にいなくて。なのにお金もほとんど置いてくれないから、スリとかコンビニの品物を盗んだりとかして生活をしていたんです」
「百合さんがですか? ……意外ですね」
「あはは、よく言われます。だけど本当にそうだったんです。それである日、怖い人の財布を盗んじゃって。しかもバレちゃって。それで殺されそうになった時に、御堂先輩が助けてくれたんです」
「御堂……」
名前を聞いて桂月の頭に御堂の顔が浮かんだ。百合の前に桂月たちとやり取りをしていた守護隊の人間。そして先日、氷月千明の側の人間だと分かった男だ。
桂月たちの味方ではないのはショッピングモールの一件で分かったが、かと言って完全に敵かといえば微妙なところだ。冷静になってからあの時の言動を考えてみると、御堂はこちらを助けるようなことも言っている。本当に分からない男だ。
しかし――、
「御堂さんが助けてくれたから、今の私がいるんです。守護隊に入るまで、時々様子も見に来てくれていたんですよ」
大事な想い出を話す百合の優しい笑顔を見ていると、桂月が知っていた御堂という人物もまた嘘ではなかったようにも思えた。
「だから私は篠崎良太君を助けたいんです。私がそうしてもらったように」
「その結果、御堂君を捕まえることになっても?」
「はい。私は、私を助けてくれた御堂先輩みたいになりたくて、大和守護隊に入ったんです。それが御堂先輩を捕まえることになったとしても私はやります。そうでなきゃあの日助けてくれた御堂先輩に顔向けが出来ないから!」
桂月の言葉に百合は頷いた。彼女の目は真っ直ぐで躊躇いは一切感じない。
ああ、何て眩しいのだろうか。どん底にいても、それでも腐らずに必死で前を向いて生きてきた人間の顔だ。
(……私とは全然違う。私は逃げてばかりだ。今も、どうやったら逃げ続けられるかを考えている)
黎明に連れ出してもらって、雪宮と氷月から逃げて。
ショッピングモールで突きつけられた事実からも逃げて。
(また逃げ出せば、自分は一生、これを逃げる言い訳に使い続ける)
桂月にはその確信があった。
そうして悪夢に魘され続ける自分を憐れだと、情けないと嘆いて安心する生活を続ける。
(私はいつから立ち向かう勇気を失くしたのだろう)
母のために頑張ろうと思ったのが最後だっただろうか。
与えられるものを受け入れるだけで、自分から何かを変えようという気持ちは桂月になかった。
ずっと黎明に、周りに、寄り掛かるだけで生きていて。
――本当にこのままで良いのか?
桂月はテーブルの上で組んだ手に、ぐっ、と力を込める。
そして目を閉じて、しばしの時間考えた後、
「……いいでしょう」
開いた目で真っ直ぐに百合を見て、桂月はそう言った。
黎明は少し目を細くしながら、
「桂月サン、こちらにあまりにもリスクが高い依頼ですよ。本当に受けるんですか?」
と訊いてきた。一見すると咎めるような言い方だが、彼は単純に桂月を心配してくれているのだ。そして桂月が少しでも躊躇する様子を見せれば、自分が悪者になって百合の依頼を断ろうとしてくれている。
黎明は本当にいつでも桂月に優しい。しかしそれは、桂月がずっと彼の優しさに甘えていたせいだ。
自分がこのままでは黎明はずっと自由ではいられない。桂月の世界に合わせて不自由な人生を歩むことになる。
黎明を少しでも自由にするためには、桂月自身が変わる必要がある。そのために自分のトラウマとちゃんと向き合わなければ。
「受けます。いい加減、頭の中に連中の影がちらつくのも鬱陶しいですからね。それに良太君の件は私のせいでもあります。……百合さん」
「はい」
「やるからには玉砕覚悟じゃだめですよ。お分かりですね。勝ちに行きます」
「……っ、はい! よろしくお願いします!」
桂月の言葉に百合は満面の笑みを浮かべて頷く。桂月もふっと微笑を返した。
――そんな二人を黎明だけは複雑そうな顔で見ていたのだった。