14 仕事の依頼
もともと桂月は、それほど明るい性格ではない――というよりも、本来どうだったかすら分からない。
雪宮の家に生まれ、神降ろしの修業を始めてからずっと苦痛に耐える毎日だったから、表情もずっと暗かった。父親や周囲から陰気だと陰口を叩かれていたくらいだ。
その言葉を聞いた時は、明るくなれる要素がどこにあるのかと思ったものだが。
それでも桂月の母が生きていた頃は違った。
母と父は完全に政略結婚で、そこに愛情はほぼなく、夫婦として最低限の付き合いがあるだけだったそうだ。
しかしそんな冷え切った関係であっても母は、その間に生まれた桂月を愛してくれた。
優しい腕で自分を抱きしめてくれる母のことが桂月は好きだったし、そんな母を蔑ろにする父が大嫌いだった。
いつか自分がこの家を継いだら、母が穏やかな気持ちで過ごせるようにするのだと、そう決意していた。
しかし母は病で死んだ。そして母は最後の最後まで桂月の身を案じてくれていた。
父は見舞いにも来ることはなく、母が危篤と聞いても氷月家の集会を優先し、そして母が亡くなっても「そうか」としか言わなかった。
それを見て桂月は理解した。父にとって家族というものは、氷月に認めてもらうためだけの、ただの道具の集まりなのだと。
理解して、諦めて、目標もなくなって。そうして生きてたら、自然と桂月の顔からは明るい表情は消えていた。
どうやって笑っていたのか、その頃にはもう思い出せなかった。
そんな日々を過ごしていた頃だ。夏生黎明が雪宮の家にやって来たのは。
黎明がいたから桂月は生きていられた。寄り添ってくれた彼だけが桂月の心の拠り所だったのだ。
けれど、自分に縋られた、黎明は果たしてどうだったのだろう?
◇ ◇ ◇
ショッピングモールの件から三日経った。
桂月は事務所で経理関係の書類をある程度纏め終えて、ふう、と息を吐く。
テーブルの上には黎明が淹れてくれた抹茶が置いてある。それに手を伸ばして一口飲みながら、窓の外へ目を向けた。窓ガラス越しに見える空には、綺麗な青色が広がっている。
「…………」
氷月千明に再会した後、桂月たちは本当にいつも通りの日常を過ごしていた。
千明が何かしてくることもなく、守護隊からも不気味なほどに普通に連絡がある。
だからこそ余計に「そうしてやっているのだ」という意図がひしひしと伝わってきた。
雪宮から逃げ出しても、結局自分は氷月から首輪をつけられたままだ。
生かしてやっているのだ。だから大人しく飼われ続けていろ。暗にそう言われているような気がして、桂月は何度目かになるため息を吐く。
そんな変わらない日常の中で一つだけ変化ことがあった。
大和守護隊からの連絡役だ。日向野百合から、別の人間へと変わったのである。
人事がどうのという話だったが、理由はどう考えてもショッピングモールの件と真宵邸の件だ。あのせいで彼女は桂月たちの担当から外されたのである。
(百合さん、何かされていないと良いのですが……)
一応は百合から電話で、当たり障りのない挨拶はもらっている。しかし桂月は心配だった。
百合は、明るく朗らかでいつも一生懸命な、向日葵のような子だった。桂月自信、からかって楽しんでいた部分もあるが、百合という人間はとても好ましく思っていたのだ。
自分と関わらなければ、あの子もいつも通りの日常を過ごせていたはずなのに。
そのことを考えて桂月が自己嫌悪に陥っていると「桂月サン、ちょっと良いですか?」と黎明に声を掛けられた。
顔を上げそちらを向くと、そこにはTシャツにスラックスという珍しい装いの黎明の姿があった。
ショッピングモールに彼の服を探しに行ったのに、あの一件のせいで何も買わずに帰って来ることになってしまったため、急遽予定を変更して桔梗区の服屋で揃えたのである。
店の主人が「あら~! 黎明ちゃんったら、相変わらずいい男ね! ならこれおすすめよ、おすすめ!」なんて、なかなかの勢いで着せた一つがアレだ。Tシャツに奇妙な生き物の絵がプリントされているが、思っていたよりも奇抜なものを勧められなかったのは何よりである。
「はい、どうしました?」
「桂月サンにお客サンです」
「おや、仕事ですか?」
「仕事と言えば仕事……になるんですかねぇ」
黎明はそう言いながら、ドアの方へ視線を向けた。少しして、キィ、と控えめな音を立ててそれが開く。
するとそこには、
「お邪魔します、桂月さん!」
――私服姿の百合の姿があった。
「百合さんっ?」
思わず少し大きな声が出てしまった。
彼女のことを考えていたタイミングで、目の前に現れたものだから驚いたのだ。目を丸くする桂月に、百合はにこっと笑顔を浮かべた後、
「お仕事を依頼しに来ました!」
と手を挙げて元気にそう言った。
「仕事?」
「はい! あっ、大丈夫です! お金ならあります! お給料からしっかり貯めた分持ってきました!」
そう言うと百合は鞄に手を突っ込んで、ごそごそと中身を探る。
少しして分厚く膨らんだ封筒が出て来た。
「いえ、ええ、仕事の話はお伺いしますが……百合さん、あなた大丈夫なんですか? 私たちに接触して……」
「はい! 大丈夫じゃないですね!」
心配していたことを尋ねたら、ユリからそんな返事があった。元気に言うことではない。桂月は思わずポカンと口を開けた。
「ま、立ち話も何でしょうから。とりあえず座ってください。お茶出しますから」
「はーい!」
そうしていると黎明が彼女にそう促して、キッチンの方へと歩いて行く。百合はにこっと笑って、相変わらず口を開けたままの桂月をよそにソファに腰を下ろした。
「さすが桂月霊能事務所……良いソファ使ってる……おおう、良い感じに沈む、すごい」
そして何だか楽しそうに、ソファを軽く揺らしている。それを見ながら、桂月は少しほっとしていた。いつも通り元気な姿を見ることが出来たからだ。
――いや、いつも通り、というか。
(いつも以上に元気なような……)
見たところ、空元気というわけでもなさそうだ。機嫌が良くなることでもあったのかと一瞬思ったが、それならば桂月に仕事を依頼に来ることはないだろう。だって、ここはアヤカシ絡みの事件を専門に取り扱っているのだ。失せ物探しとか、猫の里親探しとか、そんな日常的な仕事を依頼に来るはずがない。
もしかしたら百合は何かおかしな術を掛けられたとか――そう心配もしたが、そうであるなら鼻の利く黎明は事務所の中へ入れたりしないだろう。
では、何が。そう考えながら桂月は自分のデスクから立ち上がると、百合の向かい側のソファへ向かい腰を下ろした。
「百合さん」
「はい、何でしょう?」
「あの後……あなたは大丈夫でしたか?」
桂月はとりあえず、一番気になっていることをまず質問することにした。どう聞くべきか少し悩んだが、回りくどくする必要はないかと、ストレートに言葉にする。
すると百合は目を瞬いてから、ふわっと微笑んだ。
「ご心配、ありがとうございます。私の方は全然! ちょっと上に嚙みついたら、異動になっちゃったんですけどね!」
「噛み付いた?」
「ショッピングモールの件で……。だって未遂でも、アヤカシの子を誘拐しようとしたんですよ。未成年であれば、何か事情があるんでしょうし、ちゃんと話を聞かないとだめだと思ったんです。なのに御堂先輩も、うちの隊長も、手を引けとしか言わないから」
「……もしかしてあなた、上司を通さず直接『上』に言いました?」
「はい!」
百合はそう言って大きく頷いた。
猪突猛進と言うか、行動力の塊と言うか。彼女の屈託のない様子に元気をもらったような気持ちになって、桂月は思わず小さく笑った。
「はい、じゃありませんよ。そこはもう少し上手くやらないと」
「ですよねぇ、あははは。……んふふ」
「どうしました?」
「いえ! 桂月さん、笑ってくれて良かったなって。ショッピングモールで別れた時から元気がなかったので、気になっていたんです」
にこにこ笑う百合に、桂月は軽く目を見開いた。
気遣ってくれていたのだ、この子は。それを理解して、また自分より年下の子に気遣われるくらい酷い顔をしていたことを自覚して、桂月は少し恥ずかしくなった。
ただ、それでも嫌な気分にはならないかった。思ったよりも自分は百合を信用しているのだと気が付き、桂月は少し照れながら指で頬をかいて「それは、ありがとうございます」とお礼を言った。
そうしていると黎明が抹茶ラテの入ったマグカップを三つ、お盆に乗せてやって来る。
「百合サン。桂月サンを口説いちゃだめですよ。この人、案外ちょろいんですから。はい、どうぞ」
「ありがとうございます! あはは、大丈夫ですよ。私、ちゃんと好きな人いますからねっ」
「誰がちょろいんですか、誰が。いただきます。……うん、良い香りですね」
桂月は少し黎明を睨みながら、自分の分のマグカップを受け取る。そしてその香りにうっとりしていると、
「……ほらね?」
「なるほど~」
なんて言われてしまった。どうしてそういう反応になるのか桂月はよく分からない。そして今の行動とちょろいという言葉は結び付かないはずである。
解せぬ、と桂月が思っていると、黎明と百合も自分の分の抹茶ラテを一口飲んだ。
「美味しい……。桂月さんがいつも自慢するから、ずっと飲んでみたかったんですよ」
「おや、そうなんですか、桂月サン? 直接褒めてくださいよ」
「うっ! そ、それは……。ま、まぁ、そんなことよりも! それでは百合さん、依頼内容をお伺いしても良いですか?」
黎明が少しにやにやした雰囲気でこちらを見たものだから、桂月は大慌てで話を逸らす。
そんな桂月の様子を見て百合はくすくす笑いながら「はい」と頷いた。
「私は大和守護隊のやっていることを暴こうと思っています」