13 余計なこと
「…………あー! 怖かった!」
氷月達が部屋を出て行って後、少しして御堂が元気に叫んだ。先ほどまでの様子と違い、今の彼は桂月が知っている御堂藍という人物だ。
しかし元に戻ったと言うには、あの振る舞いから受けた印象はあまりにも強烈だった。
桂月は警戒心を消さないまま、すう、と目を細くする。
「そのように振舞わなくても結構ですよ、御堂君」
「あっ、桂月さん怒っていますね? いや、違うんですよ……。ほら、氷月千明さんってめっちゃ怖いじゃないですか。だからこっちも、粗相がないようにしないといけなくて」
「そうですか。ですがね、あなたが私たちの担当だった頃から今まで、氷月千明とやり取りをしていると聞いたことはありませんでしたよ。この間も、ずいぶん他人行儀だったじゃないですか?」
「そりゃ、いくら仕事をお願いしているあなた相手でも、何でもホイホイ話すはずないじゃないですか。上からも圧力かかってますし……」
心外だなぁ、と言わんばかりに御堂は笑う。
わざとらしい。先ほどの態度を見て、それを言葉のまま信じるほど桂月は素直ではない。じとりと御堂を睨んでいると、黎明が代わりに口を開いた。
「まぁ、そうですよね。そりゃそうです。俺だってあの人、好きじゃありませんから」
「あ、やっぱり? 先ほどのバチバチした雰囲気から見ても、そうじゃないかなって思っていました。桂月さんを取られたくないって感じが、黎明さんからひしひしと伝わってきましたよ」
「自分の飼い主を取られたくないのは普通でしょ」
「どうでしょうね。俺には取り合う相手がいないので分かりませんけれど。やっぱり駆け落ちした人たちは違うな……」
御堂の言葉を聞いて、おや、と桂月は違和感を感じた。
桂月と黎明は駆け落ちとは少し違う。ただ家から逃げ出しただけだ。人によってはそう見えるかもしれないが、駆け落ちなんて表現をされるのは、お互いに想い合っている関係の者たちだけなのだ。
桂月は黎明のことを恋愛対象としても好きだが、黎明のそれは主従感情によるものだろう。だからそう表現するのはおかしいし、何よりそれを御堂が知っているはずがない。
それは黎明も同様に感じたようだ。
「取り合う相手なんていない方がいいですよ。……ところでね、御堂サン」
「何ですか?」
「俺たちは俺たちの事情を、あんたにも守護隊の誰にも話していないんですけどね」
「ああ、それは前に、氷月千明さんから聞いたんですよ」
「それはそれは、ずいぶん親しい間柄のようだ」
「ええ~? 何で……」
「氷月の次期当主が伴侶候補に逃げられたなんて醜聞、あの氷月至上主義の男が、どうでも良い相手に漏らすはずがない」
「…………」
黎明と桂月が続けてそう言うと、御堂は軽く目を見開いて言葉に詰まった。
少しの間の後、
「ああ、なんだ。……それは光栄だなぁ」
彼はへらりと笑ってそう言うと、とたんに御堂の雰囲気が一気に変わった。
先ほどまでの気の良さそうな青年という雰囲気が消えて、どろりとした何とも言えない嫌な表情な笑みが顔に浮かんでいる。
「ん~、それはいいな。嬉しいことを聞いた。そっか、俺、どうでも良くない程度には思われているんだ。教えてくれてありがとうございます、桂月さん」
「……それは、どうも。ですが喜ぶなんて、とても正気とは思えませんがね」
「アハ。そうですか? まぁ、飼い主側には分からないかもですねぇ。俺の気持ち、黎明さんなら分かるんじゃないですか?」
「俺に振らないでくださいよ。それに桂月サンと千明サンじゃ比べものになりません」
「あ~、千明さんの方が上ってことか」
「馬鹿言わないでください。桂月サンのが遥かに上ですよ」
黎明が、ハァ、と頭が痛そうにため息を吐く。
本当にこれはあの御堂なのか。目の当たりにしても未だに信じ難い気持ちが桂月の中にある。
もしかしたら、信用していた相手が自分を裏切ったと、思いたくないだけかもしれないが。
「あなたは千明さんに飼われていると」
「ええ! 五年くらい前からですけどね。だから最初から、あなたのこともそれなりに知っていましたよ、雪宮桂月さん。千明さんが唯一欲しいと望んだ人間だ」
御堂はニコッと人好きのする笑顔になってそう言った。
表情こそ笑顔だが、その声にはどこか嫉妬のような感情が混ざっているように感じられた。
「いいですよねぇ、雪宮の血って。ほら、神降ろし。あれが使えて霊力が強いから、千明さんは桂月さんを伴侶にしたいと望んでいる。持って生まれたもののおかげで、同性でも千明さんから求められるだなんて、最高じゃないですか。それの何が不満で逃げ出したんですか?」
御堂は一人でぺらぺらと話し続ける。
彼の言葉に出るどれもが、桂月はずっと手放したいと思っていたものばかりだ。欲しいというのならば、熨斗付きで投げつけてやりたいくらいのものなのだ。
それを御堂は恍惚とした顔で羨ましいと言う。
――――聞きたくない。
桂月がぐっと奥歯を噛みしめる。
それとほぼ同時に黎明が、御堂の胸倉を掴んだ。
「……ホント、よく回る口ですね。あんたに桂月サンの何が分かるって言うんです。こちらの事情を碌に知らないくせに、勝手に嫉妬しているんじゃないですよ」
「アハハ。知りませんよ、興味もありません。俺が大事なのは千明さんだけですから。あ、殴ったらさすがに公務執行妨害になりますよ」
「殴りませんよ。その辺の分別はついているんでね」
「あら残念。俺としては邪魔な黎明さんがいない方が、桂月さんを捕まえやすいから良いんですけどね。捕まえて、リボンでも巻いて千明さんにプレゼントしたら、あの人喜んでくれるかな~」
「桂月サンを、物扱いするな」
「……ぐ」
黎明の手に力が籠る。首が閉まったのか、御堂の顔が少し歪んだ。
けれども彼は口元の笑みを崩さず、
「……だったらちゃんと守っていてくださいよ。あなたたちが余計なことに首を突っ込みかけたから、出てきてやったのに」
と言った。雰囲気が少しだけ、本来の御堂のものに戻ったように桂月には感じられた。
「何……?」
「真宵邸の一件はうちの不手際ですよ。あなたたちに知らせるつもりはなかった。日向野さんは新人なんで氷月と守護隊の関係を知らなかったから、同行していた奴に言われるがままに、あなたたちへ連絡をしてしまったみたいですけど……本来は内内で処理する予定だったんですよ。あの研究施設は外の人間に見せるつもりがなかったので」
「……では、あれはあなた方も協力していたと」
「そりゃあね。あんな非道なことをしているのに、お目こぼしがあったなんておかしいでしょ? ……まぁ、守護隊のお偉いさん方の中でも意見が分かれているんで、その辺の連中の仕業かもしれませんけど」
そう言いながら御堂は黎明の腕を掴む。そして力任せに振り払うと、ふう、と息を吐いて服を整えた。
「……何が目的で、あんなことをしているんです?」
「人間をアヤカシの様にする薬を作るためですよ。色々と物騒な世の中になっていますからね。上は対抗手段として、守護隊の強化がしたいんだそうです。まぁ、千明さんの目的は少し違いますけれど」
「違う?」
「さっきあの人が言ったでしょう? あなたが氷月から――千明さんの伴侶になることを拒んで逃げ出したから。だからその代わりとなる伴侶を、あなたの状態に近い人間を、あの人は作ろうとしている。アヤカシってのは霊力の塊みたいなもんですからねぇ」
「…………」
確かに千明は先ほど確かにそう言っていた。桂月の代わりになる伴侶――つまり霊力が強く神降ろしの才能が強い人間を作るため。研究を完成させたら雪宮の人間の誰かに使うつもりなのだろう。
ああ、と桂月は心の中で呟く。何もかも全部自分のせいだったのか、と。
あの時、桂月が黎明に願って連れ出してもらったから。逃げ出したから。
多くのアヤカシが実験の犠牲になり、ツキが傷つき、あの無関係な子猫のアヤカシまで被害に合いそうになった。
桂月が逃げ出していなければ、あの良太という少年だって、犯罪に手を染めることはなかったかもしれない。
自分のせいだ。桂月が諦めて、受け入れて、言われたように大人しく千明の伴侶になっていれば、少なくとも一部の被害は起きなかったのだ。
その事実を突きつけられて、桂月は気が付いた時には俯いて、自分で自分を抱きしめてガタガタと震えていた。
黎明が気付いて「桂月サン」と名を呼び、気遣うように顔を覗き込んで来る。けれども桂月は、その顔を見上げることが出来なかった。
すると御堂は面白そうに口の端を上げる。
「……あなたがそうなるの、初めて見ましたよ。何だ、意外とかわいいところがあるじゃないですか」
からかうようにそう言って、それから彼は人差し指を立てた。
「千明さんもね、別に無理強いがしたいわけじゃないそうですよ。あなたが嫌だって言うから別の手段を考えてあげただけです。今日だって釘を刺すためにわざわざ出てきてくれたんですよ? ですからあなたたちはあの研究にはもう首を突っ込まないでください。そうすれば今まで通り、お目こぼしをしてくれますよ」
愛されていますね、なんて嬉しくもない言葉を御堂は言うと、桂月たちにくるりと背を向けた。
そしてそのまま、
「それでは、失礼。あ、お仕事の方、またお願いしますね」
なんて手を振りながら部屋を出て行った。
ややあって、ぱたん、とドアが閉まる。
「……っ」
「……桂月サン、帰りましょう。あんな奴の言葉なんて気にする必要はないです」
「ですが黎明、私のせいで……っ」
「桂月サン」
黎明は桂月の前に跪いて、顔を見上げて来る。
「ああ、目が合った」
すると黎明は彼にしては珍しく、とても優しい笑みを浮かべた。
そのまま両手を伸ばし、黎明の頬に触れないような位置で止める。決して触れられてはいないのに、その手で顔を包み込まれているような気持ちになった。
「俺は桂月サンのことが大事です。何よりも誰よりも、桂月サンだけが大事なんです。ですから俺のために気にしないでください」
「黎明……」
黎明は優しい。どこまでも優しい。雪宮の家にいた頃だって、黎明は桂月にずっと優しかった。味方が誰もいない冷たい家の中で、黎明だけが桂月に寄り添ってくれたのだ。
だから恋をした。だから黎明の優しさに縋ってしまった。
そしてそれが、こんなことになるとは思わなかったのだ。
(私はどれだけ黎明に、負担を掛けているだろう)
泣きそうになりながら桂月は黎明の言葉に頷いて、そして、そのまま言葉少なく、部屋を出たのだった。