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1 桂月と黎明


「……ねぇ、黎明。私を連れ出してくれませんか」


 それはほんの我儘で、叶うはずがないと思っていたことだった。

 全部が嫌になって、ただただ息苦しくなって。

 暗い水の中から空気を求めて水面に顔を出したように、自分の口からぽろりと零れた。

 きっと断られるだろう。桂月はそう諦めていた。


「行きますよ、桂月サン」


 しかし、彼は静かに、そして力強い声でそう言ってくれた。

 そして自分を抱えて、まるで牢獄のようなあの家から、外の世界へ連れ出してくれたのだ。



 ◇ ◇ ◇



 ごとり、と目の前で化け物の首が落ちた。

 つい先ほどまで、図体のでかい毛むくじゃらの首についていたその頭は、だらりと舌を垂らしたまま地面をごろごろと転がっている。

 醜悪としか言いようのない形相をしたソレを見て、雪宮桂月(ゆきみやけいげつ)は、黒い手袋を嵌めた手を顎にあてながら、断面だけは綺麗だな、なんて感想を心の中で呟いた。


 桂月は綺麗なものが好きだ。二十二年生きただけで、世の中は汚いものだらけだと悟ったものだから、殊更そう思うようになった。

 一言で綺麗と言っても、その種類は様々だ。見た目なり、心なり、生き方なり、それぞれが持つ、それぞれだけの「綺麗」を桂月は愛している。


 幸いなことに自分も、他人から見て綺麗な容姿だとよく言われる。艶のある長い黒髪に白い肌、中性的で整った顔立ち、そしてすらりとした痩躯の体。

 自分でも、女性の装いをすれば性別を見紛うくらいには、どちらとも見えるくらい美人だと思っているけれど。


 ――さて話は戻るが、その綺麗さとは断面以外論外なものが、桂月の目の前に転がっている。

 それは『アヤカシ』と呼ばれる異形の存在だ。見た目だけなら『化け物』と呼ばれるくらい、恐ろしいものだっている。

 このアヤカシという種族は、人間と上手く共存している者もいれば、目の前の化け物ように人を喰らって楽しんでいる者もいた。

 後者は排除すべき敵と認識されている。

 桂月は相棒と共に、そういうアヤカシが起こす事件を調査・解決する仕事を請け負っていた。


「桂月サン、これもう首を落しちゃっていいでしょ?」


 桂月の相棒が、やる気のなさそうな顔で、化け物の背から向かって呼びかけてきた。

 白色の狐の耳と尻尾を生やした長身の、サングラスをかけた男だ。白髪をさらりと揺らし、着物に身を包み、大振りのナタを肩に担いだその男の名前は夏生黎明(なつきれいめい)と言う。

 歳は桂月より四つ上の二十六歳。しかし仕事上の立場では桂月の方が上になる。


「……黎明。いいでしょも何も、すでに落としているじゃありませんか。やる前に聞きなさい、この駄犬」

「俺は狐なんで駄犬に該当しないですね。よっこらせっと」


 ため息を吐きながらそう言うと、黎明は桂月の言葉をさらっと流し、アヤカシの背から飛び降りた。

 すとん、と彼の足が地面についたのとほぼ同時に、討伐したアヤカシの体が赤色の塵へと変化して、風に吹かれたさらさらと消えて行く。

 周囲を破壊し、暴れ回った化け物の最期は、何と儚くて綺麗なものだろうか。ほう、と桂月は小さく息を吐いて見つめる。


「桂月サン、怪我はありませんか」


 そうしていると、黎明が屈んで桂月の顔を覗き込んできた。サングラスの向こうに、月のような色の三白眼の目が見える。真っ直ぐで、悪意のない綺麗な瞳だ。桂月は彼のその目が好きだった。


「…………っ」


 至近距離から見つめられて、少し照れてしまって、桂月は僅かに仰け反った。心臓がドキリと跳ねる。

 それを誤魔化すように、桂月はコホンと咳をして、


「ええ、問題ありませんよ。うちの狐君は優秀なので、傷の一つもついてはいません」


 と言って軽く両手を開いて見せた。黎明は「そうですか」と軽く頷くと体勢を戻す。


(……突然の行動が多いから、こちらの心臓に悪い)


 はぁ、とため息を吐いて腕を組む。とは言え、こういうところも気に入っているので、自分も大概ではあるのだが。八つ当たりのような眼差しを黎明に向けるが、彼はこちらの心の内などまるで気付いていない様子で、ぐるりと周囲を見回している。


「それで桂月サン、これ、どうします?」

「ああ、そうですねぇ……」


 これ、というのは後処理の話だ。アヤカシを退治するための戦いで黎明が暴れ過ぎたために、辺り一面が瓦礫の山となってしまったのである。

 周辺住人の避難は済ませているので人的被害はないのだが、これは少々後始末が大変そうだ。

 ――とは言え、それをするのは自分たちの仕事ではない。桂月たちに依頼をした組織がするものだ。


「だいぶ派手にやってしまいましたから、そろそろ……」


 桂月がのんびりとした口調でそう言った時、背後からタッタッタッと軽快な靴音が近付いて来る。

 おや、と桂月は口の端を上げて、そちらへ顔を向ける。この国を守る大和守護隊の制服を見に纏った女性が走っているのが見えた。彼女は周囲の状況を確認して顔色をサッと変えると、


「やだああああああ! やっぱり桂月霊能事務所に任せるんじゃなかったあああああ!」


 絶叫した。半泣きである。その声の大きさに聴覚に優れた黎明が、頭の耳をぺたんと伏せた。

 彼女の名前は日向野百合(ひゅうがのゆり)と言って、大和守護隊の新人隊員だ。今のようなアヤカシ関係の事件を担当する部署に所属している。桂月たちへの連絡係でもあった。


(ま、押し付けられただけでしょうけどね)


 そんなことを考えながら桂月は、百合に向かってにこりと綺麗な笑みを浮かべた。


「いやぁ、元気ですねぇ百合さん。すみませんね、アヤカシが大暴れしてしまって」

「アヤカシだけじゃないですよね⁉ 黎明さんがアヤカシをボコスカと蹴り飛ばして建物を破壊しているの、遠くから見えましたもん!」

「チッ、見えていたか」

「桂月さん、舌打ちしたぁ! もうもう、どうするんですか、この惨状!」


 百合は涙目になって、左右の手それぞれで作った拳を、縦にぶんぶん振っている。

 そんな彼女に対して桂月は笑みを深めて、


「さあ? それを調整するのはそちらの役目でしょう?」


 と無情な言葉を返した。

 とたんに百合が「桂月さぁん!」と悲鳴を上げる。


「私たちは悪さをするアヤカシを退治するのが仕事。で、あなたたちはその後始末をするのが仕事。役割分担ですよ、役割分担」

「なーにが役割分担ですか! 毎回ね、これね、馬鹿みたいな請求になるの! お分かりです⁉」

「なぁに、百合さんが優秀だからいつも上手く収まっているじゃないですか」

「えっ! 本当ですか、えへへへ、嬉しいな……って違いますよ! そうじゃないですよ! 毎回地獄ですよ!」

「あっはっはっ」


 子犬がきゃんきゃん吼えるような素直な反応が、実に好ましい。ついつい意地悪をしたい気持ちになりつつ桂月がくつくつ笑っていると、隣に並んだ黎明がため息を吐いて、咎めるように軽く目を細めた。


「桂月サン、あんまり百合サンをいじめちゃだめですよ」

「おやおや、人聞きの悪い。いじめてなんていませんよ。これがいつも通りです」

「なお悪いですよぉ!」


 わぁん、と百合が大袈裟に嘆く。しかし本当にこれがいつも通りなのだから仕方がない。

 ちなみに桂月は百合の前任者に対しても同じ対応をしているので、ある意味では平等だ。むしろ百合は女性なので、その前任者と比べると優しい対応をしている方である。


 桂月のコレが嫌ならば、大和守護隊の方で仕事を振らなければ良いだけだ。けれどもそれがないので桂月の態度は容認されているのだろう。

 だから桂月もにっこり笑って、


「それでは、百合さん。後をよろしく」


 と、それこそいつも通りのお願いをして、百合に背中を向けてスタスタと歩き出す。

 黎明は気の毒そうな視線を百合に向けていたが、それでも特に助け船は出さずに桂月の後に続いた。

 残された百合はぶるぶる震えた後、


「鬼ぃぃぃぃっ!」


 遠ざかって行く二人の背に向けて、そう叫んでいた。


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