04. 薄れゆく意識とお姫様抱っこ(被)。
ギルド職員のお姉さんが構えたのは、長柄の武器だった。
一見すると槍のように思えたけれど。その先端には槍らしい突起だけではなく、斧のようなパーツも備わっている。
RPGなどにたまに登場する、いわゆる槍斧と呼ばれる武器だろう。
「申し訳ありません。私が話し込んでしまったせいで、ダンジョンに2人組として見做されてしまったようですね」
「それは、しょうがないですよ」
ダンジョン内では単身で居れば必ず1体の魔物としか遭遇しないけれど、2人で居ると最大で3体の魔物と一度に遭遇することがある。
そのせいなのか、いま駆け寄ってきている魔物――ピティの数は全部で3体。
最弱の魔物とはいえ、こちらより数が多いわけだから。攻撃の避け方は少し考えたほうが良いかもしれない。
でないと壁際に追い詰められたり、回避行動の際にギルド職員のお姉さんと身体がぶつかったりして、ピティの攻撃を食らうということも有り得そうだ。
「後ろに下がっていてください。私が相手をしますので」
「えっ……。3体もいますが、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。これでも一応〈戦士〉ですから」
そう告げるとギルド職員のお姉さんは、迫りくるピティ達に向かって突撃。
勢いのままに、まず最も近いピティを頂端部で鋭く刺し穿ち――それだけで1体のピティが光の粒子に変わって溶け消えた。
続いて、今度は斧頭での薙ぎ払いで2体目も光の粒子へと変える。
残る1体はジャンプ攻撃を回避し、腹から地面に叩きつけられたピティの背中を足で踏みつけ、短く持ち直した槍斧の頂端で刺殺していた。
(――凄い)
僅か2~3秒ほどの間に繰り出された、鮮やかな一連の攻撃に、思わず僕は心の中で感嘆してしまう。
ほぼ無意識のうちに、パチパチパチと拍手を送っていると。それを聞いたお姉さんが「ありがとうございます」と、はにかみながら軽く照れてみせた。
「もしかして、お姉さんは熟練の掃討者なんですか?」
「熟練……かどうかは判りませんが。一応、レベルは20を超えていますね」
「そ、それは、かなり凄いのでは」
以前にテレビか何かで見た情報によると、掃討者はレベルが10を超えていれば問題なく暮らせるだけの収入が得られるらしい。
目の前に居るお姉さんの場合、その倍ものレベルがあるわけだから。間違いなく一端の実力者と言って申し分ない腕前の筈だ。
「お姉さんが討伐したピティの魔力、僕も頂いちゃってすみません」
きらきらと光る3体分の粒子が、周囲に霧散する光景を眺めながら。ギルド職員のお姉さんにそう告げて、僕は軽く頭を下げる。
討伐した魔物から霧散した魔力は、その場に居る全員が貰える。今の僕みたいに戦闘に全く参加していなくとも例外ではない。
「ああ――そんなことは気にしないでください。私にとってピティの魔力は、もう大して価値もありませんので」
「やっぱりレベル20ともなれば、そうなっちゃいますか」
「なっちゃいますねー」
ピティを討伐して得られる魔力は、たったの『1』。
RPGで、キャラクターのレベルが高くなるにつれて必要経験値が増大するのと同じように。現実でもレベルが上がれば、次のレベルへ成長するために必要な魔力量はどんどん増えていく。
レベル20のお姉さんにとってはもう、ピティから得られる魔力なんてRPGで最序盤のモンスターを倒して得られる経験値と同じようなものだろう。
けれど、僕にとってはそうではない。
3体のピティから得られる合計『3』の魔力は、充分に価値があるものだ。
「――わっ」
それを裏付けるかのように――僕の身体から、真っ白な強い光が一瞬溢れる。
ダンジョン探索の様子を配信する動画で、何度か見たことがあるから。初めて経験するこれが『レベルアップ』を意味するものだと、僕にはすぐに判った。
「おめでとうございます! これが初めてのレベルアップですか?」
「あ、ありがとうございます。初めてですね……」
「他人の私からは見えませんが、いま高比良さんの目の前に何枚かのカードが浮かんでいると思います。それが『天職カード』と呼ばれるものですね。
まずはそこに書かれている天職名を一通りチェックして、どれを選択されるか悩むと良いと思いますよ」
ギルド職員のお姉さんの言う通り、僕の目の前にはカードが浮かんでいる。
ただし、その数は1枚だけだ。『衣装師』という天職名が記された、金色に輝くカードひとつだけが、悠然と浮かび存在感を放っていた。
「あの、カードが1枚しか無いんですが……」
「ああ……。1枚しか提示されない場合は、その天職カードを選ぶしかありませんね。運が悪いとたまに、そんな風に選択肢がないことがあるんです……」
「そうなんですか……」
選ぶ余地がないのであれば仕方がない。
いや……選択肢を与えられれば、かなり迷ったと思うから。いっそ最初からひとつしか提示されないほうが、僕の性格的には逆に有難いのかな。
とりあえず僕は〈衣装師〉と書かれた、金色の天職カードを手に取る。
いま僕が使用しているスマホと、ちょうど同じぐらいのサイズのカードだ。硬質でひんやりとした質感は鉄に似ているけれど、でも鉄ほど固くはないかな。
数秒間ほどカードを持っていると――今度は僕の身体から、白ではなく黄金色の強い光が、先程よりも長めに溢れた。
「――き、金色の光⁉」
ギルド職員のお姉さんから、大きな驚きの声が上がる。
たぶん金色のカードに触れたから、金色の光が溢れたんだと思うけれど。もしかすると金色というのは、少し珍しい色なんだろうか。
ほどなく光が収まると、選び取った天職カードは僕の手から消えていた。
けれど、同時に(失くなったわけじゃない)ということが不思議と理解できる。
僕が現れて欲しいと願えば、先程のカードはまた、いつでも目の前に現れてくれそうな、そんな気がした。
「もしかして……金色の天職カードが出現したのですか?」
「あ、はい。もしかして珍しいものだったりしますか?」
「珍しいなんてものでは……!」
大きな声を上げかけたギルド職員のお姉さんは、けれど何かに気づいたように、はっとしたような表情をしてみせる。
それから、少しだけ神妙な面持ちになって。真っ直ぐに僕の目を見つめてきた。
「すみません。これから高比良さんに、ご不快なことをしてしまうかもしれませんが。緊急時ということで、どうかご容赦願います。――では失礼致します」
お姉さんはそう告げると、急に僕の身体に触れてきた。
あまりに突然のことだったから。とても近い距離でお姉さんと接近し、思わず僕はどきりとしてしまう。
「ふえっ⁉」
「すみません、本当に時間の余裕がないので――我慢してくださいね」
僕の身体が横倒しにされ、お姉さんの手によって抱え上げられる。
――いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢だ。
男として、する方に憧れはあっても、される方なのはあまりに恥ずかし過ぎる格好だけれど。充分な身長差があるせいか、僕の身体はお姉さんの両腕にすっぽりと安定した形で収まった。
「あ、あの⁉ ぼ、僕は45kgありますし、重いですよ⁉」
「大丈夫です、問題ありません。それに……私より20kg近く軽いです」
実際にお姉さんの両腕は、軽々と僕の身体を持ち上げている。
どこからか、男としての尊厳がガラガラと崩れていく音が聞こえた。
「申し訳ありません、色々と思うところはあるでしょうが。本当に緊急ですので、少し急がせて頂きますね」
お姉さんはそう告げた後、小走り気味にダンジョン内を駆け出す。
走りながらも、なるべく僕の身体を揺らさないよう気を使ってくれていることがなんとなく伝わってきた。
「その、緊急というのは……?」
「舌を噛むといけませんので、なるべく喋らないでくださいね。――端的に説明させて頂きますと、高比良さんの体には今から高熱が出ます」
「……高熱⁉」
「はい。早ければ数分後にはもう、熱に浮かされたような状態になる筈です。そしてそのまま40度近い高熱が7日前後に渡って続きます。ですから急いでダンジョンを脱出し、安全を確保しなければなりません」
「な、なるほど……」
「実際にもう、顔が凄く赤くなっています。熱が出始めた証拠ですね」
「………………」
確かに、お姉さんに指摘された通り、今の僕の顔は凄く熱くなっているけれど。
でも――それは多分、高熱のせいじゃない。
抱きかかえられているせいで、僕の身体はお姉さんの身体と凄く密着している。普段ほとんど女性と接する機会が無い僕にとって、これはとても恥ずかしい体験に他ならないのだ。
それに――お姉さんの胸が僕の二の腕に、とても強く押し当てられていて。
顔が熱くなっている原因の殆どは、そちらに違いなかった。
胸が僕の腕に触れていることに、お姉さんは気づいているのかいないのか。
それは判らないけれど――僕を抱えて走りながらも、お姉さんは現在の僕が置かれている状況について、息ひとつ乱さず説明してくれた。
「世間にはあまり知られていないのですが……。『祝福のレベルアップ』の際に、金色や銀色の天職カードを選ばれた方々は、そのあと例外なく高熱に苦しめられることになる、と聞いています」
熱が出始めるまでの猶予時間には個人差があって、遅い人だと1時間後ぐらい経たないと症状が出なかったりするらしいらしいけれど。
早い人だと、それこそ5分後にはもう、高熱のあまりにその場で蹲り、一歩も動けなくなることもあるんだとか。
(わ、これはヤバいかも……)
そしてお姉さんの言葉通り、お姫様抱っこで運ばれているうちに、程なく身体が重くなってきたことを僕は実感する。
呼吸がなんだか上手くできなくなってきて。お姉さんにただ運ばれているだけで身体を動かしているわけでもないのに、ぜえはあと呼吸が荒くなってくる。
次第に靄がかかったように、思考が儘ならなくなっていく。
更には視界まで滲み始めてきて。ごく近い距離にあるお姉さんの顔さえ、まともに見えなくなってきた。
「ご、ご迷惑、かけ……て……」
「喋らなくて大丈夫ですよ。何も心配いりませんし、寝ちゃっても大丈夫です。安全な場所まで、私が必ず連れて行きますから」
口の中がカラカラに渇く。ぐるりと視界が回るような目眩までし始めた。
意識が朦朧としてきた時点で、僕はもう起きておこうとするのをやめる。
お姉さんの言葉に甘えて、今は少しだけ眠らせて貰おう。
(……お姉さんは、命の恩人かも……)
ぐわんぐわんと不快な何かが共鳴する頭の中で、僕はそんなことを思う。
もしお姉さんと出会っていなければ、たぶん僕は『祝福のレベルアップ』を体験した数分後にはダンジョンの中で高熱を発症し、倒れていたことだろう。
ダンジョンの魔物は人間を見ると問答無用で襲いかかってくる。
ピティは最弱の魔物ではあるけれど、10kg近い体重を武器にした飛び掛かり攻撃は、まともに喰らえば大怪我をすることも珍しくはない。
まして、無抵抗で倒れている人間の命を刈り取るぐらいは、容易いことで。
それを思えば、間違いなくお姉さんは僕にとって、命の恩人だと言えた。
(せめて名前ぐらい……最初に……聞いておくべきだったな……――)
ギルド職員の人の筈だから、またきっと会うことはできるだろうけれど。
恩人であるお姉さんの名前ぐらいは、ちゃんと知っておきたかったなと。奈落に落ちていくかのように急速に薄れゆく意識の中で、僕はそんなことを思った。