03. ピティ狩りとギルド職員のお姉さん。
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ダンジョンの『第1階層』に侵入する。
白鬚東アパートの地下連絡通路から階段を降り、その先にある石碑の間から更に階段を降りたから、感覚的にはここは地下3階なんだけれど。
ダンジョンでは、内部に棲息する魔物区分ごとに階層を分ける、という決まりがある。なので最初に魔物が出現し始めるこの場所が『第1階層』になるのだ。
石造りの廊下を、ひとりきりで歩く。
照明器具は特に持ち歩いていないけれど。ここのダンジョンは常に天井や床面がぼんやりと淡い光を放っているため、それほど暗くはない。
特定の瞬間にだけとかならともかく、恒常的に光を放つ石材というのは聞いたことがない。おそらく『石造り』とは言っても、ダンジョンを構成している岩石は、現代科学でも未知のものなんだと思う。
ひとりきりでダンジョンに潜るのは危険じゃないかと、そう思うかもしれないけれど。ダンジョンには幾つかの不思議なルールがあり、その中のひとつに『遭遇する魔物の最大数は、こちらの人数によって決まる』というものがある。
そのことは掃討者資格の仮免許講義の際に教わっており、具体的には最大でこちらの人数を1.5倍した数の魔物と遭遇することがあるそうだ。
ちなみに端数は切り捨てになるらしい。
つまりダンジョンに単身で挑めば、遭遇する魔物も1体だけで済む。
むしろ多人数で挑むほうが、危険度としては高くなる傾向がある。例えば6人でパーティを組んでダンジョンに挑めば、最大で一度に9体もの魔物と遭遇する可能性があるからだ。
ただし、人数が多いのも悪いことばかりじゃない。
討伐した魔物から得られる『魔力』。RPGで言うところの経験値と同じ役割を果たすこれは、人数が多いほど効率よく集めることができる。
パーティの人数によって獲得量が減少しないからだ。単身で1体の魔物を倒した場合に得られる魔力が『1』だとするなら、6人で9体の魔物を倒した場合には全員が『9』の魔力を得ることができる。
人数が多ければ、その分リターンも増えるわけだ。
もちろん数的不利のリスクは大きいけれど、それも様々な天職の所持者を揃えてバランス良くパーティを組めば、対抗できないほどではない。
なので本免許まで取得している掃討者は、3人から5人程度でパーティを組み、活動する人達が多いんだとか。
(……居た)
白鬚東アパートダンジョンの第1階層は、大して入り組んでいないけれど。それでも曲がり角ぐらいなら、そこら中にある。
ダンジョンに侵入して3つ目の曲がり角、その先を覗き込むと。そこには丸々と太った、巨大な兎の姿があった。
「来い!」
敢えて僕は、大きめの声を上げてピティを挑発する。
声に反応して、すぐにピティが僕のほうへ駆け寄ってくる――けれど。その走りは遅いので焦ることもない。
冷静にピティの動きを観察し、相手がこちらに向かって高くジャンプしてきたところで、右にステップを踏む。
当たり前だけれど、一度ジャンプしてしまえばもう、相手は攻撃の宛先を変えられない。なので避けるのはとても簡単だ。
「――ギピェ!」
2m近い高さまで跳躍したくせに受け身を取れず、お腹から地面にビターン! と勢いよく叩きつけられるピティ。その口から悲鳴のような鳴き声が上がる。
……何度見ても、痛そうだ。小学3年生ぐらいの頃に初めて水泳の飛び込み台を使用し、水面に腹からぶつかって悶絶した時のことを思い出す。
学習することを知らないのか、体勢を整えるなりすぐに、再度のジャンプ攻撃を仕掛けてくるピティ。
もちろん僕はそれを再びステップで回避する。良くも悪くもピティのジャンプ攻撃は、その時点で僕が居る位置を正確に狙ってくれるため、非常に避けやすい。
そのあと更にもう一度ジャンプ攻撃を回避し、お腹が三度叩きつけられた時点でピティの身体は光の粒子へと変わり、周囲に霧散した。
なので死体は残らない。代わりにピティが先程まで居た場所には、ピンク色のゴムボールが1個置かれていた。
「わ、幸先良い」
すぐにボールを回収して、背負ってきたリュックサックの中へ入れる。
ダンジョンに棲息する魔物は、討伐した時にアイテムを残すことがある。ゲームによくある『ドロップアイテム』というやつだ。
魔物が残すアイテムにも色々あるわけだけれど。とりわけ肉や野菜のように鮮度が重要となる生鮮品は、なぜかこんな風にゴムボールに入った状態で出現する。
……いや、もちろんゴムボールというのは俗称で、実際にはゴムで出来ているわけじゃない。
ゴムボールに似たこの膜は、とても不思議な物質で。これに包まれている間は、なんと中身の生鮮品が全く腐ることが無いそうだ。
今回ドロップした物は、おそらく『ピティの肉』だと思われるけれど。膜を開封しない限り、これはいつまでも――それこそ5年や10年が経った後でも、新鮮なまま好きな時に食べることができるんだとか。
なのでゴムボールに入った生鮮品は、国が備蓄用食料として買い取ってくれる。
まあ、このピティの肉は固く筋張っていてあまり美味しくないので、買取価格も肉が2kgぐらい入っているわりに600円程度と、だいぶ安めだけれどね。
売って小遣いの足しにしてもいいし、自分で食べて食費を浮かせてもいい。
固いお肉でも調理法次第では普通に食べられるし。
(今日は調子いいなあ)
それから、通路の角を2つか3つ曲がる度にテンポよくピティと遭遇できて。
しかも討伐すると、2匹に1個は何かしらのアイテムを残してくれた。
ダンジョンに侵入して1時間ぐらいで、討伐したピティは14匹。
5分に1匹よりも短い間隔で倒せているので、これはなかなかのペース。
手に入れたアイテムはピティの肉が入ったゴムボールが3つと、ピティの毛皮が3枚、魔石が1個。
魔物が落とすアイテムは大体なんでも、ダンジョンの受付窓口か掃討者ギルドへ持ち込めば買い取って貰える。
買取価格は確か、肉が600円で毛皮が300円、魔石が200円だった筈だから、これだけでも合計2900円の収入かな。
白鬚東アパートの第1階層は初心者向けなだけあって、あまり収入にならない。せいぜい時給換算で500円程度しか稼げない場所として知られている。
それなのに、今回は1時間経とうかという時点で既に2900円なわけだから、これはかなり美味しい。思わず顔が緩んでしまうぐらいだ。
(……とはいえ、こういう時こそ気を引き締めないと)
ダンジョンに限った話でもないけれど。何事も調子が良いときにこそ、油断や慢心で手痛いミスをしやすいものだ。
僕が怪我をしても、どうせ両親は何も思わないだろうけれど。ダイキを始めとした数少ない友人を悲しませたくはない。
「あっ。こんにちはー」
「はい、こんにちは。気をつけてくださいね」
途中で『警備』と書かれた腕章を付けた女性と遭遇し、軽い挨拶を交わす。
背が僕よりも20cmぐらい高い、大人のお姉さんだ。綺麗な人なんだけれど、それ以上にどこか(格好良い女性だなあ)という印象を受ける。
白鬚東アパートダンジョンの地下1階層は『法治区域』として認定されており、掃討者ギルドの職員や警察官の人達が巡回し、区域内の治安を保ってくれている。
なので歩いていると、それらの人達と遭遇することは珍しくない。
ちなみに警察官の場合は、街中と同じように大きく『POLICE』と書かれたベストを着用しているので、一目瞭然だ。
今回のお姉さんの場合だと『警備』と書かれた腕章を付けているので、こちらはギルド職員の人になる。
まあ、どちらにせよ遭遇したからといって、特に話し込むことはない。今みたいに軽く挨拶を交わすだけで、すぐに別れるのがいつものこと。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
「へっ?」
――その筈なんだけれど、今回は違ったみたいで。
ギルド職員のお姉さんは立ち去らず、なぜか僕に追加で話しかけてきた。
近い距離で視線が重なったことで、思わず僕はどきりとする。
お姉さんは日本人らしい黒髪なのに、一方で瞳は大海を思わせる濃い蒼色で。
そのせいなのか、真正面から見つめられると……虜にされそうなミステリアスな魅力というか、大人な色香のようなものを感じてしまったからだ。
「な、なんでしょう?」
「もしよろしければ、掃討者資格証をお見せ頂いてもよろしいでしょうか?」
「いいですけど……?」
拒むようなことでもないので、素直にリュックサックから仮免許証を取り出して提示する。
なぜ提示を求められたのか、理由は全然判らないけれど。仮免許証をチェックしたギルド職員の女性は、すぐに得心した表情で頷いてみせた。
「大丈夫ですね。高比良さんのご協力に感謝します」
仮免許証にはもちろん、僕の氏名も書かれている。
綺麗なお姉さんから急に名字を呼ばれて、ちょっとだけ再びどきりとした。
「なにかあったんですか?」
「ああ……いえ、その。女子中学生がおひとりでダンジョンに来られているのは、とても珍しいものですから。少し気になりまして……」
「……女子中学生? 僕がですか?」
175cmぐらいはありそうな、背の高いお姉さんを見上げながら、僕がそう訊ねると。
お姉さんは慌てて仮免許証の内容を確かめ、そして謝罪してみせた。
「あっ! すみません失礼致しました。17歳ですから、もう高校生ですよね」
「それ以前の問題として、僕は男なんですが……」
「えっ?」
その場でたっぷり3秒間ほど硬直したあと。
ギルド職員の女性は更にもう一度、仮免許証に記された内容をチェックして。
それから、ぶんぶんと凄い勢いで何度も僕に向かって頭を下げてみせた。
「た、大変申し訳ありません! 申し訳ありません!」
「いえ、大丈夫です……」
今日ここまでに戦ってきた14体のピティからは、かすり傷ひとつ負わされてはいなかったんだけれど。
……まさかこんな所で、手痛い精神ダメージを食らうことになるとは。
「あ、あの、大丈夫ですよ! 高比良さんはそこらの女子より全然可愛いので!」
「………………そうですか」
しかも、まさかの追撃まで入れてくる、丁寧な仕事っぷり。
満身創痍って言葉は、今の僕の精神のためにあるのかな。あはは……。
軽く打ちひしがれていると、ダンジョンの奥側から足音が聞こえた。
それが人ではなく、ピティのものであることもすぐに判る。更に言えば、聞こえてくる足音は明らかに複数だった。
「ギルド職員のお姉さん、後ろから――」
「はい。教えてくださり、ありがとうございます」
掃討者ギルドで職員として働く人の多くは、現役の掃討者でもある。そんな話をネットではよく見かけるけれど。
多分それは本当のことなんだろう。どうやらお姉さんは僕が教えるまでもなく、魔物の存在に気づいていたみたいで。後ろを振り返ると同時に、背中に背負っていた何かを取り外し、慣れた手つきで魔物に向けてそれを構えてみせた。
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□ピティ
作者の小説によく登場する最弱の魔物。
今回は『ジャンプ攻撃を避けられると自傷ダメージで勝手に死ぬ』という属性が付加されたため、たぶん過去作の中でもぶっちぎりで最弱。
イメージとしては荒巻スカルチノフ的な『ビターン!』。