21. この世界一可愛い子が、ユウキくんです♡
*
「………………」
「あ、あの、なにか言ってください……」
アルナさんの手によって、完全に女の子の格好をさせられた僕。
まだ鏡は見ていないけれど。着せられる前に見たから、どういう服をいま身につけているのかは僕にも判る。
そんな僕の姿を目の当たりにして――シオリさんは、完全に停止してみせた。
身体も、表情も、まったく動かなくなって。なのに目線だけが、僕の身体全体をつぶさに観察しようと、忙しなく動いている。
「――アルナ!」
「ええ、シオリ!」
急に動いたかと思うと、シオリさんはアルナさんのほうに向き直って。
パァン! と、二人で手のひらをぶつけあって、気持ちの良い音を奏でた。
その行動の意味が判らなくて、思わず僕は目が点になる。
「最高の仕事です、アルナ!」
「ええ、そうでしょー! でも、私の服に負けないこの子が凄いの!」
なんだか2人で、とても盛り上がっているけれど。
一方で僕は、苦笑することしかできない。
「あの。今の僕って、どんな格好になってるんですか?」
「あ、ごめんなさい。店の試着室と違って鏡が無かったから判らなかったよねー。ちょっと待ってて」
そう告げて、アルナさんは一旦場を離れる。
1分も経たないうちに戻ってきたアルナさんは、両手で大きな鏡を抱えていた。
どうやら全身を映せる姿見のようだ。
「どうかな?」
僕の正面に姿見を置いたアルナさんが、そう問いかける。
鏡に映る自分の姿を見て。僕もシオリさんのように、思わず停止してしまった。
なんというか――あまりに、自分の格好が『完璧』だと思えたからだ。
「こ、これが、僕、なんですか……?」
「ええ、そうですよ。この世界一可愛い子が、ユウキくんです♡」
アルナさんが着ているクラシカルロリータと、同系統でありながら真逆の装い。
ピンクを主体にパステルカラーで纏められた優しい印象のドレスは、一目見るだけで女の子の可愛さを最大限に主張するためのものだと判る。
そんな衣服なのに――それが、自分でも否定できないぐらい似合っていた。
まるで自分のために作られた服なんじゃないかと、そう思えるぐらいに。
「やっぱり甘ロリは正義ですね」
「うんうん! 絶対似合うと思ったんだよー♡」
「どうせならヘッドドレスも付けませんか?」
「んふー、いい趣味してるぅ♡ 大きなリボン付きのカチューシャもどう?」
「どっちもやってください。金は幾らでも出します」
鏡の前でぼーっと見入っていると、いつの間にか頭にも何かを付けられた。
フリルやレースが沢山あしらわれた、帯状の飾り。カチューシャに似ているけれど、髪をしっかり固定する役割は無いみたいだ。
その飾りが――また絶妙に似合っていて。思わず溜息が零れ出た。
自分に自分で恋してしまいそうな、そんな錯覚さえちょっとあったりする。
なんとなく鏡の前で、軽く回ってみたりする。
膝下丈のスカートがふわりと舞い上がった。
女の子の格好をしている自分を見ていると、不思議と胸が高鳴ってくる。
恥ずかしくはあるけれど――決して不快じゃない。そんな気がした。
「可愛い格好は女の子だけの特権じゃありません。男の子がやったって、もちろん誰にも咎められることは無いんですよ」
「そ、そうなんでしょうか……?」
「ええ。街中でも、学校でも、ハンバーガーショップでも、ゲームセンターでも、映画館でも、遊園地でも、美術館でも。どんな場所にいたって――可愛い格好をすることは許されますし、絶対の正義なんです。
もちろん服が似合っていたほうが好ましいのは、言うまでもありませんけれど。それは男の子でも女の子でも、同じことですからね」
「そう……なん、ですね……」
シオリさんの言葉に、背中を押されたような気がして。
こういう格好をしている自分が――僕は多分、嫌いじゃない。
そのことを心の中で、ゆっくり認めることができた気がした。
「それじゃ、お化粧もしちゃいましょー♡」
「け、化粧ですか⁉」
驚きから出てしまった声。
その僕の声色に、抵抗感が顕れていたからだろうか。アルナさんはちょっとだけ慌てた様子になって、すぐに釈明をしてみせた。
「ほら! い、今はメンズコスメとかも珍しくない時代だし! 普通だよ普通!」
「あ、なるほど。じゃあ僕に使うのも男性向けの化粧品なんですよね?」
「………………」
「なぜ、そこで黙るんでしょうか……」
僕の説得が難しいと踏んだのか、アルナさんは僕のすぐ隣へと視線を送る。
そこには、グッとサムズアップしたシオリさんの姿。
……うん。シオリさんが是とするなら、僕に否はない。ないんだ……。
幾つもの化粧品を使い分けて、アルナさんが僕の顔に作業を施していく。
化粧をするって、こんなに何種類もの液体や粉、道具などを使うものなんだね。僕はそんなことさえ、初めて知ったよ……。
「素材が良いとメイクが楽ちんだー♡」
「そうですね、これは凄い……。ああ、でもユウキくんは性格の優しさが目元にまで出ていますから、アイライナーは加えたほうが見栄えするかもしれません」
「うーん、でもこの優しさもユウキくんの味だし。ナチュラル程度に抑えとく?」
「良いと思います。輪郭を補正するだけでも違うでしょう」
鏡に映る僕の顔を見ながら、アルナさんとシオリさんが色々と意見を交わす。
2人の表情があまりに真剣なので、僕はもう何も言えなくなった。
(化粧って、凄いんだな……)
自分の顔に『加工』が施されるのを眺めながら、僕はしみじみとそう思う。
ひとつひとつの工程だけを取れば、顔に加わる変化はしっかり違和感が生じそうなものだったりするのに。
幾つもの工程を経てから顔全体を見ると、意外なほどに纏まったものになっているから驚きだ。
こういうのって、作業を始める前から完成図が見えているものなんだろうか?
少なくとも――僕は、自分の顔がこんな風に変化していった後の姿なんて、想像もできなかったけれど……。
「じゃ、最後にリップ塗るねー」
「あ、はい」
僕は唇がひび割れやすいので、薬用のリップは持ち歩くことが多い。
なのでリップを塗られるのは、どちらかといえばまだ抵抗が小さい作業だった。
アルナさんが手に取った商品が結構キツめの赤色をしていたので、今からこんなに濃い色を唇に塗るのかと、ちょっとびっくりしてしまったけれど。
実際に塗ってみると――さほど僕の唇の色は、濃くなったように見えなかった。
ただ、なんだか凄く唇にツヤが出ていて。その変化だけで、不思議と顔の全体に華が生まれたような、そんな印象を受けた。
「これが、僕……」
化粧を終えたあとの自分の顔を見て、僕は再び見入ってしまう。
祝福のレベルアップを経た後に、童顔がより顕著になった時と同じように。自分の顔を見確かめている筈なのに、まるで他人の顔を見ているような錯覚を覚える。
それぐらい――いま自分の目の前に映っている可愛すぎる相手が、自分自身だとは全く思えないと、心が葛藤を訴えてきていた。
「どうですか、気に入りましたか?」
「………………」
この完璧な顔を見て『気に入らない』とは、とてもじゃないけれど言えない。
だけど、素直に『はい』と答えるのは恥ずかしいから……。僕は何も言わずに、ただコクンと頷くことで答えた。
「そうですか、気に入って頂けたなら私も嬉しいです。服を何着かと、あと簡単なメイク道具も一式をプレゼントしますから、今後は自分でもやってみると良いですよ。やり方はネットで検索すれば、幾らでも出てきますからね」
シオリさんの言葉に、心がグラグラと揺れた。
『こんなに恥ずかしいことは今日限りにしないといけない』と思う心と、『またいつでもこの僕になれるんだ』と思う心――。
理性と欲望が、心臓の近くで葛藤して熱くなる。
「今日はこれから、私と1日デートをしましょう」
「で、でで、デートですか⁉」
「はい。まずは一緒にスイーツビュッフェとかどうですか?」
「それは……男の僕には、入りにくいお店では?」
「普段ならそうかもしれませんね。ですが、鏡を見てください」
シオリさんに促されて、僕は自分の正面にある鏡を見る。
そこには――完全に『女の子』になった僕。
「今のユウキくんを見て、一体誰がスイーツビュッフェに行くことに違和感を覚えるでしょうか。どこからどう見ても、完璧な女の子ですよ?」
「はぅ……」
シオリさんにそう言われれば、僕はもう完全屈服するしかなかった。
「ね、ね、ユウキくん。ウチの専属モデルやらない?」
「へっ? も、モデル、ですか?」
「うん、ブランドのモデルだね。新作の秋物とか着て、写真取らせてくれない? それで商品を紹介するカタログを作ったり、Webサイトに載せたいなー♡」
「あら。モデルなんて募集すれば幾らでも来てくれるんだから、専属モデルなんかウチにはいらない――って、過去にそう言ってた社長はどこにいったのかしら?」
「募集で来てくれるモデルに、ユウキくんレベルの子がいると思う?」
「ふふっ、いるわけないじゃない」
なんだか楽しそうにアルナさんとシオリさんは笑い合っているけれど。
さ、流石に、モデルっていうのは……写真を撮られるのは、ちょっと……。
「ウチは結構売れてるから、充分なお給料を出すよー。やってくれない?」
「い、いえ……お金には困ってませんし……」
「そう? でも生活費って、お金に困ってから稼いでちゃ間に合わないものだし、今のうちに働いて少し蓄えておくのはどうかな?」
「……う、うーん」
言われてみれば――今は両親から生活費が毎月振り込まれているわけだけれど。これだっていつ打ち切られるか、判ったものじゃないんだよなあ……。
お世辞にも良い親ではないわけだし、高校卒業と同時に打ち切られる可能性なんかも充分有り得るわけで。
卒業後に大学に進むかはどうかは、まだ自分にも判らないけれど。その時に入学費その他で親の財布が頼れるかどうかも判らない。
一応、中学生の頃から倹約には務めているから、生活費の余剰を蓄えている貯金がそろそろ100万円には達しそうだけれど。
もし大学に進むとなれば、そんな金額では全然足りないだろう。
それを思うと……。
アルナさんの言う通り、今のうちに蓄えておくのはアリな気がしてきた。
「もしユウキくんがウチの専属を引き受けてくれたら、今後はもうちょっと中性的なラインナップも増やして、よりお客さんに手広く商品を届けられる気がするし。ね、どうかな? 引き受けてくれると、凄く助かるんだけどなー」
「わ、判りました。素人の僕なんかでも良ければ、是非」
「ありがとー♡ これでユウキくんは私の身内だね♡」
「――ふぁわあ⁉」
不意にアルナさんから抱きつかれて、思わず僕はびくりとしてしまう。
笑顔が可愛らしいアルナさんは、なんだか微かに甘い香りがした。
「というわけでシオリ、お金はいーよー。身内からお金は取らないし」
「いえ、お金は出しますよ。代わりにアルナからも何着かユウキくんにプレゼントしてあげるというのはどうですか? 春物がもう1セットと、あとは夏物もセットで幾らか用意してあげると、今後着回しがしやすいと思うのですが」
「いいねー♡ じゃあユウキくんを着せ替えしちゃおー♡」
「お、お手柔らかに……」
店を出る頃には、大きな紙袋に2つ分もの服を貰うことになってしまった。
自宅のクローゼットに全部入るかな……。そのことだけが、ちょっと不安だ。
その後のシオリさんとのデートでは、まず予定通りスイーツビュッフェのお店を堪能して、それから映画も一緒に見に行った。
派手で格好いいアクションが沢山あって、見ごたえのある内容だったと思う。
見終わった後に「あれぐらいの動きなら私にもできますね」と、シオリさんがあっさり言っていたのにはちょっとびっくりしたけれど。
シオリさんは熟練の掃討者だから……。本当に出来ちゃうのかもしれない。




