経験を積む難しさ
陸上部だった。中高と合わせて6年。
いちばんきつかったのは中学一年生の時。ウォーミングアップという名の走り込みというか、準備運動でヤバいんだけど。肺が痛い。
そんな時、クラブに属していない帰宅する生徒達はそこかしこにたむろしていて、不思議そうに私たちを見ているものだ。
で、笑うのだ。
見て!なんであんな必死に走ってんのー!とゲラゲラと。
顔を歪めながら必死に先輩達の背中を追いかける姿を笑うのだ。
大人から見ればその光景は若さそのもので微笑ましいだろう。
でもね、走ってる本人はものすごく恥ずかしいし、情けないし、悔しい。
考えられないぐらいの怨嗟の言葉を心に浮かべている。そして笑った奴らを忘れない。
わかってる。彼らに悪気がない事は。
でも彼らは笑う。
顔を真っ赤に表情を歪める姿を、必死さを笑うのだ。
スマートでない事を笑うのだ。
かっこいい事が正義の学生時代にとって、ひたすら走る私たちはきっと理解が出来ないのであろう。
その気持ちがわかるから恥ずかしいのだ。
でも私たちは走る。ただひたすらに。
周回遅れになっても。
私は足は速くない。人に残念な表情をされたり、笑われたり。その経験を中高6年もした。
本当、これでもかと挫折を繰り返した。
スポーツはルールがあるものが多い。ただ走る。その競技は幼稚に思われるのかもしれない。
仲間と指挿して笑ってる中には野球部やサッカー部、バスケ部の人もチラホラ居た。
一生懸命な姿を笑う人間が嫌いだ。
陸上部の走り込みを狙ってサッカーボールを当てる酷いゲームをしてるひとたちにサッカーボールを当てられたりした。
私は顔面にボールを当てられた。いちおう女生徒だったので、親御さん連れて我が家に謝り来たっけ。
当たるとは思わなかったそうだ。
私は心底軽蔑した。そこじゃないのよ当たるとか当たらないとか。
一生懸命走る人に何かちょっかいするというその根性が気に入らないのだ。
必死に練習しても伸び悩む人、必死に勉強しても理解が遅い人、必死で就活し、必死で稼ぎ、必死に家族を守り、必死に生きてる人を、みっともないとか小馬鹿にする人が嫌いだ。
必死に考えて出した選択を馬鹿にする人も嫌いだ。
人の気持ちを大切にするって、たくさんの恥ずかしいや悔しいや挫折の経験が大切なんだと私は思う。
出来れば若いうちに乗り越えた方がいい。
大人になってからそれを経験しようとすると傷が深くなりすぎるのよ。