最終章 3
ミンチは、車に乗り込んだ人物を確認して、その後をつけた。
前を走る車は、尾行されているなんて、考えもしないだろう。運転手は、お金で雇われただけの人間だ。タクシーではないのは、乗り込む人が、それだと不便だからだろう。
前の車は、とある屋敷の前で停まった。そして、運転手が出てきて、女の降車の手伝いをした。女が帰る時の為に、運転手は駐車場で待ち続けている。屋敷の駐車場は個人の物にしては広く、まだ数台分空いている。ミンチは女が屋敷に入るのを見て、つけていた車の隣に駐車した。運転手と目が合ったが、会釈だけした。
ミンチはレンタカーから降りて、屋敷を見る。この屋敷に、ここまで接近したのは初めてだ。
この屋敷は、美月が一日だけ出て行った日、彼女の捜索の為に、水道管の点検に訪れた屋敷を張っていた時、中から出てきた黒い高級車が向かった先と同じだった。あの日、あの場所で張っていても、意味が無いと判断して、出てきた車をつけていた。目的地は、目の前の屋敷で、伊藤に依頼した住所もここのものだ。
伊藤の報告では、可能性は高いと言っていた。ただ、さっき、つけていた女が、この場所を目指したことで、確信に変わった。ここに、目当ての男はいるのだろう。
ミンチは堂々と正面玄関から入った。玄関の鍵は開いていた。
玄関から見える廊下に、車椅子に座った浅田里子の姿があった。そして、その後ろに男が立って、車椅子をサポートしている。二人は、こちらを見た。
「すみません。お話があって来ました」ミンチはにこやかに言った。
「今は忙しいです。帰って貰えますか?」男はジェントルな声で答えた。だが、男が一瞬だけ見せた鋭い眼光を、ミンチは見逃さなかった。感情を一瞬でコントロールしたのだろう。
「少しなら、待っています。治療の件でお話しがあります」ミンチはにこやかな態度を崩さない。
「……そちらの部屋が応接間です。そこで待っていて下さい」男は右手の部屋を指さした。
「ありがとうございます」ミンチは靴を脱いで、指示された部屋に入った。向かい合う様にソファが並び、その間にローテーブルがある。キャビネットには、骨董品の品々。センスは合わないが、一級品である事は確かだ。つまり、欲しくは無いが、お金にはなる。
ミンチはその部屋で、一時間弱待たされた。その位は予想していた。玄関で話し声が聞こえた。さっきの男と、浅田の声だ。浅田は声が弾み、何度もお礼を言っていた。そして、玄関のドアが開く音がした。
応接間の扉がノックされ、男が入って来た。
三十代に見える。髪は黒の長髪で、一度でも洗濯したなら、半分以下のサイズになりそうな黒のシャツを着ている。皺のないズボンにスリッパを履いている。体格がいいわけではないが、華奢でもない。なにかを考えていそうで、ミステリアスな雰囲気を纏っている。全身を眺めて、武器を携帯していないかを確かめた。持っていても、キャンプで使う、折り畳み式のナイフ程度だろう。
この男が赤井だ。
「お茶も出さずに失礼しました」赤井は言った。「ここには私一人しかいません。なので、急な来客への対応が間に合わないのです」
「おかまいなく」ミンチは答える。皮肉だったのだろう。
「それで、何の用ですか?」赤井は対面に座り、ジェントルな発音で言った。
「数日前に起きた殺人事件について、なにか知っていますか?」
「どの殺人事件ですか?」彼は恍けた。
「山内隆と御堂筋力也が殺害された事件です」
「彼らが殺された事は知っています」
「彼らはあなたの部下ですよね?」
「いいえ。違います」彼は直ぐに否定した。「知人ではあります。でも、部下ではありません」
「御堂筋の職場から、あなたとの関係を表すものが出てきたと聞いていますが」
「嘘ですね」彼は見透かした様な余裕のある笑みで微笑む。「彼らは、そうですね。簡単に儲ける方法を私に訊きに来ました。私は物事の本質を指南したのですが、彼らは間違った解釈を行った。結果的に、彼らの幾人かは、詐欺罪で捕まりました。これは許されない事をした罰です」
「先ほどの女性とは、どんな関係ですか?」
「ある程度はご存じなのではありませんか?」彼は微笑んだ。「だから、非常識にも彼女の後をつけて、ここまで来た」
「負のオーラや呪いの治療を行っていると聞きました。それも立派な詐欺じゃありませんか?」
「解釈の問題です。日本のみならず、世界中で宗教が許されています。宗教には、死後の世界や生まれ変わりなど、科学的にあり得ない事を、堂々と明記されています。それらは詐欺と変わりませんが、信仰した結果、本人が救われるのなら許容すべきとされています。日本でも、死者が出た際、無意味なお経を読むだけで大金を巻き上げる者がいます。テレビや書籍は、占いを、隠すことなく個人のお金儲けの為に利用しています。ですが、本人が被害を受けたと思わないなら、それは詐欺ではありません。彼らが捕まったのは、被害者がいたからです。ですが、私の行いに被害者は一人もいません」
「殆どの宗教では、経典に従った結果、社会的には善良な人となります。統治する上では、善良な市民の方が扱いやすかったからです。宗教間のトラブルはありますが、その教えに従っていれば、善良な市民となり、幸福にもなります。あなたの、治療にもそれがありますか?相談相手のいないお金持ちを狙い、騙して金銭を巻き上げている様に見えますが」
赤井は、微笑んだまま鼻から息を漏らした。話し方や態度は紳士的で、知性が伺える。
「彼女の病気の事はきいていますか?」彼は言った。
「はい。彼女からききました。仕事を辞めた事や、親を亡くした事など」
「わかりました」彼は頷いた。「確かに、傍から見れば騙している様に見えるでしょう。それは仕方のない事です。ですが、現代医療が匙を投げた病気に対して、誰が何を出来ますか?彼女は一人だった。彼女のお父様の葬式に出向いた時に見た彼女は、それは、弱っていました。彼女はこれからの人生を、たった一人で生きていかなくてはなりません。彼女の周りの全ての人がそれを知りながら、やったことは慰めの言葉を掛けるだけです。それで、彼女は救われますか?彼女の病気が、ある日突然、春になり雪が解ける様に治る事もありません。彼女は誇りだった仕事を失い、家族を失い、一人で生きていかなくてはなりません。ですが、それが出来る程、当時の彼女は健康な精神状態ではありませんでした。ですから、私は、彼女が人を呪った事によって出来た負のオーラのせいにしたのです。そのオーラが無くなれば、彼女は今まで通りの自分を取り戻すと伝えたのです。人を救うのは、正論だけではありません。慰めの言葉でもありません。不幸の中にいる原因を見つけ、それを取り除かなければいけません。彼女の場合は、病気になったことが一番の原因です。ですが、その病気は誰にも治せない。だから、別の原因を創り、その治療を行いました。彼女はある日、病気のせいでハンデを負いました。そんな彼女が、周りを妬まずに過ごすのは、難しいでしょう。ですが、その感情は何も生産しません。彼女の周りの人間も、彼女自身も不幸にします。ですから、彼女が前を向いて生きていける様に手助けをしただけです。現在の彼女の精神状態は、治療のお陰で安定しています」
「大金を巻き上げてですか?」ミンチは指摘した。
「そうです」彼は全く動じない。「治療にはお金が必要です。それは、私が欲しいからではありません。彼女自身に必要なのです。もし、私が慈善事業で彼女の治療を行ったなら、彼女は私を疑ったでしょう。彼女は聡明な方です。見返りもなく、奉仕する人間は、胡散臭く感じてしまいます。もし、そう思わなくても、彼女は私に遠慮して、治療に通うのを控えるかもしれません。すると、彼女は日頃の悩みや将来への不安を誰にも相談出来ずに、元の悪循環に陥る可能性があります。治療にはお金が必要です。それも、少し高額な治療費が。その金額が、治療への疑いを無くします。有名な高級ブランドが、千円のバックを売り出しても、そのユーザは購入しないでしょう。彼らは、大金を払う事で、商品の価値以外にも安心感も買っていたからです」
「あなたがいなくても、カウンセラなどの治療方法もあったと思います」
「ですが、カウンセラは悩んでいる人を見つけ出す事はしません。訪問してきた人の話をきくだけです。当時の彼女には、誰一人として、手を差し伸べなかった」
「彼女はもう、元気に見えます。治療は必要ないのでは?」
「ありません」彼はきっぱりと答えた。「ですが、彼女が望むならそれを拒む事もしません。私の望みは、彼女が一人で生きていく事ですが、今はまだ、手助けを必要としているようです」
そういう関係にしたのは、誰なのか?一目瞭然だ。
「治療とはどんな事をしているのですか?」ミンチはきいた。
「具体的な事は言えません。ですが、本質は簡単です。直せない病気に掛かり、何もかも上手くいかない。それを自分のせいだと思ってしまう。病気のせいだと、他人のせいだと思ってしまう。その矛先を変える事です。今回で言えば、負のオーラでした。上手くいかない全ての原因を、負のオーラのせいにしました。『あなたの病気は一生治らない。勝手に一人で生きて下さい』では、辛すぎます。自分以外のものに矛先を変え、それを取り除く事で、好転する事を望みました」
「好転しない可能性もあったのでは?」
「ありました。ですが、現状を受け入れ、許して、生きていけば、少しずつ良くなります。考え方を変えるだけで、日々の生活は変わるからです」
「そうですか。そんな事を、僕に言って良かったのですか?」ミンチは赤井を見据える。
彼は余裕を持って微笑んでいる。
「問題ありません。あなたは、美月とヒカリと一緒に生活していたようですね。美月が御堂筋力也を殺した現場にもいた。自分がもっと上手くやれていれば、美月の殺人を止められたかもしれないと、考えている」
「いえ。考えていません」ミンチは否定した。
「美月はあなたに気付かれない様に計画を立てました。仕方がない事です。私が全ての黒幕で、全ては私の計画通りだったと、あなたは信じたいのかもしれない。それを暴く事で、自分を許したいのかもしれない。それを美月への、いや、自分への贖罪にしたいのかもしれない。ですが、自分を許す方法は、そんな事ではありません。それに、私はあの事件とは、何の関係もありません」
「話を変えましょう」ミンチは少し早口になった。「信者から巻き上げたお金は、どう使っていますか?」ミンチは自分が苛立っている事を自覚する。
「それは私の自由ではありませんか?」彼は微笑む。
「ですが、好奇心で無駄な時間を使いたくないので」ミンチは微笑んでやった。
「そうですね。まず、信者ではありません。そして、実は、私の手元には殆ど残っていません。とある人に渡しています」
「誰ですか?」
「魔女です」彼は声に出して笑った。「私は魔女の為に働いている召使いです。結果的に、それが世界の為になると信じているからです。あなたの好奇心をくすぐらない為に言いますが、魔女もこの事件とは無関係です」
「美月とヒカリが私の元にいた事を、あなたは知っていたのですか?」
「知っていました。美月が殺人を計画している事も知っていました。彼女は私を疑っていました。疑っている相手を、救う事は出来ません。残念な事です。私もあなたも、殺人を止められなかった者同士です。ここできいた話も、私の居場所も秘密でお願いします。お互いに損をする無駄な関係性にはなりたくないからです」彼の笑みから、初めていやらしさを感じた。
赤井の言った事が全て真実ではないだろう。
赤井は、御堂筋や他のグループから、売上の何割かを貰っているはずだ。彼らが詐欺で人を騙している事を知っていながら、それを黙認し、さらに、甘い蜜まで吸っている。
善人ではない。それは見ただけでわかる。
ミステリアスな雰囲気に包まれていたが、彼の最後の笑みから感じたのは、人間らしさだった。
「喉が渇いたので、帰る事にします」ミンチは立ち上がった。
「次に来た時は、お茶が出せると良いのですが」彼は腕で出口を示した。




