依頼がこない十六日目 1
「浅田里子は、四十五歳。独身。大学卒業後、大手メーカに就職。三十代後半で病気を患い、会社を退職後、闘病生活を続けていた。筋肉が固まるとかの病気で、同じ症状の患者が少ないこともあり、完治には至らず。車椅子がないと歩くのも不自由になってしまった。実は、浅田の親は、有名な資産家で、彼女は両親が亡くなった後、莫大な遺産を相続した。姉妹はおらず、親戚との付き合いも疎い孤独な環境と、その金に目を付けた赤井が、彼女に近づいたわけだ」伊藤は車を運転しながら説明した。
助手席のミンチは風景をぼんやりと眺めながら、聴いていた。赤井の被害者と会いたいと言ったのは、昨日のこと。次の日には、会う約束を取り付けてくるのだから、有能なのだろう。
「よく会ってくれる事になったな」ミンチは言った。
「一応、記者だからな」伊藤は答える。
「アシスタント役をすればいいか?」
「ああ。ただ、基本的には口を挟まないでくれ。受け答えは俺がする」
「わかってる」
「赤井の居場所を探りたいのはわかるが、たぶん、期待出来ない。それどころか、向こうに怪しまれて、今後の取材に影響してくるから、探る発言も控えてくれ」
「わかってるって。浅田は、赤井の信者なのか?」ミンチは話を変えた。
「そうなる」
「赤井が、現代医療でも治せない病気の治療を施しているのか?」
「頼むから、本人の前でそんな発言をするなよ」
「わかってる。詐欺師がどうやって儲けているのかに、興味が沸いただけだ。病気が治らないなら、患者が怒って訴えるリスクだってあるはずなのに」
「だから、患者じゃなくて、信者なんだろ?」
「…ああ。そうか」
住宅街を走っている車は、とある一軒家の庭に駐車した。造りは古いが、立派な住宅だ。表札には浅田とある。二階建ての住宅だが、車椅子で生活しているなら、私生活が不便だろう。
二人は車から降りて、伊藤がインターフォンを押した。当然、玄関までの道は、バリアフリーとなっていた。家とは違い、バリアフリーの工事をしたのは、数年の内らしく、コンクリートは綺麗な白っぽいグレィだ。家の基礎部分との劣化の違いが明白だった。
「どうぞ」中から声がした。「鍵は開いています」
伊藤が玄関のドアをスライドさせて開けた。ドアの開閉は、摩擦が少なく楽そうだ。
広い玄関から一段上がった所に、車椅子に座った女性がいた。髪や服装は年相応だが、綺麗に整えられていた。伊藤に続いて、ミンチも挨拶をした。二人が中に入り、ドアを閉めると、鍵が自動で閉まった。浅田の手元には、携帯端末があり、それで操作したようだ。
玄関も改装されたらしく、玄関先の一段上がったところまで、坂になっているので、一人でも出入り出来るのだろう。
ミンチは、伊藤が、本日の取材がどうのこうの言っているのを、ぼんやりと聞いていた。奥で話す事になり、彼女に続いて、二人は歩いた。元々、立派な家なので、車椅子でも余裕をもって移動出来るみたいだ。もう少し、悲壮感に溢れている、というか、暗いイメージを抱いていたので、浅田を見た時に、印象が違った。ニコニコしていて、話し方も柔らかく、上品な口調で落ち着いている。詐欺被害にあって、落胆している人には見えない。
リビングに通されて、向かい合って話す事になった。当然だが、地面に物が少なく、スペースに余裕がある家具の配置だ。
伊藤の質問に、浅田が答える。初めは、当たり障りのない質問が多く、次第に病気の話となった。彼女のキャリアについても質問もあった。彼女は仕事に誇りを持っていたが、病気の為、続けることが困難になったそうだ。病気になって一番の後悔は、仕事を辞めた事だと、彼女は語った。
病気の症状の話になると、僅かにだが改善してきていると、彼女は言った。餌に食いついた魚を逃さない様に、伊藤がその理由をきいた。彼女は、今、とある治療を行っていると言った。具体的な話を尋ねた伊藤に、彼女は、スピリチュアルな話を始めた。現在、負のオーラが自身を覆っているらしい。それを少しずつ取り除く治療を行っていると。
「私には、仕事しかありませんでした。同学年の友人たちは、結婚に出産と、社会が認める幸せらしいものを、行っていましたが、私には興味がありませんでした。それよりも、勤め先でのキャリアも上がり、部下を従えて大きなプロジェクトに携わり会社に貢献する事に、やりがいを感じていました。ですが、この病気に掛かりました。勤め先からは、ポストを外され、事実上、不要と言われ辞める事にしました。それからの私は、自分の体を呪い、周りの人間を呪い、それどころか、これだけ貢献してきたのに、車椅子になった途端ポストを外した会社も呪いました。そして、病気を治せない医者を呪い、人生に絶望して、全てを呪いました。私が周り全てを呪った事により、私自身に負のオーラを纏ってしまい、その結果、闘病を続けていた父親も亡くなってしまいました。私を慰めてくれた父に対して、亡くなる前に、酷い事も言ってしまいました。唯一の家族も失い、絶望していた私に、ある人が救いの手を差し伸べてくれました。その方は、父の葬儀の日に、私の負のオーラを見て、声を掛けて下さいました。私が周りを呪っている事により、負のオーラに包まれ、更に悪循環に陥っているのだと。私は今も、その方の元で、治療を受けています。負のオーラは、完全には無くなりませんが、少しずつ小さくなっていると。その結果、私は、以前よりも笑う事が多くなり、こうして、人とお話しをする事も出来るようになりました。今では、治療により、病気による痛みも殆ど無くなり、更に、以前よりも、僅かに体が動く様になりました」
現在は、医師の元に通っているのかと、伊藤がきいて、彼女は「はい」と答えた。医者の元に通う事を、その方は、否定しなかったらしい。ただ、それだけで、負のオーラが無くなるわけではないから、自分の元にも通い続ける必要があるとのことだ。
現在も通っているのかとの確認に、彼女は「はい」と答えた。それからも、話は続いたが、興味のある話題ではなかった。そして最後に、伊藤は仕事の今後の打ち合わせを行い、浅田の元を二人で去った。
車に乗り、途中でコンビニに寄り、コーヒーを買った。どうやら、伊藤は、浅田と知り合いだったそうだ。
「正確には、彼女の父親と知人だった」伊藤は言った。
「負のオーラね」ミンチは助手席でコーヒーを飲んだ後、呟いた。
「上手いやり方だな」伊藤は運転しながら答える。「他人を羨んだり、妬んだりするのは、当たり前のことだ。自分が上手くいっていないなら尚更だ。それが完全に無くなっていない事は、本人が一番知っている。だから、赤井の元に通い続けるし、大金を払う事になる」
「お金を失えば、幸福から遠ざかるだろうけど、彼女の場合は、大金を持っていても、それに近づける精神状態じゃなかっただろう。だから、治療といえば、治療だ。外から見れば、詐欺にしか見えないけど」
「賢いやつだな」伊藤は運転中にチラッとこちらを見た。
「ああ」
「赤井をどうするつもりだ?」
「今は考えていない。話がきけて良かった」
「興味深い内容だったな」
「うん。収穫があった」




