依頼がこない十五日目 5
矢島の帰りが遅いのが気になった。
尾行があっさりと撒けたから、直ぐに帰ったミンチだったが、それから、矢島が帰って来る音が一向にしない。もしかして、自分よりも早く帰っていたのだろうか?ミンチが帰宅してから、一時間は経つ。
ミンチは、玄関から外に出て、隣の部屋のインターフォンを押した。しばらく待って、もう一度。ドアもノックした。矢島の気配がない。まだ帰っていないのだろう。
ミンチは、外に様子を見る事にした。矢島と別れてから、アパートまでの道のりは、幾つかに絞られる。一時間も掛かるはずはない。矢島に別の用事があって、遅くなっているだけかもしれないが、それならそれでいい。巻き込んでしまった負い目もある。
ミンチはただ歩くだけでなく、左右のひっそりとした隠れられる場所を、注意深く観察しながら探した。二十分程歩いて、もう帰ろうかと考えていた時に、駐車場の奥に何かを見つけた。念の為、そちらに近づく。なにかわからなかったそれは、近付くにつれ、把握出来た。
人が蹲っている。
矢島の着ていた服を思い出せないので、ハッキリとはしないが、彼の体格と似ている。少し小走りで、近寄った。
倒れていたのは、やはり、矢島だった。
「大丈夫か?」ミンチは駆け寄って、矢島を注意深く観察した。
矢島は、小さな呻き声をあげて、こちらを振り返った。その顔は、殴られて青黒い箇所があり、口元は切れて血が出ていた。髪や服は乱れ、地面に手をついた時に出来たのか、肘や腕には、擦り傷が幾つも出来ていた。
暴力を受けて、こうなった事は、一目でわかる。ここの位置は、矢島と別れてから、五分程度歩いた所だ。
「救急車を呼びましょうか?」ミンチはきいた。
「大丈夫でござる」矢島は、蹲ったまま顔だけこちらに向けて、無理やり笑おうとした。「痛てて」そして、彼は、顔を顰めた。口元が切れているから、表情を変えるだけで痛みが走るのだろう。
「現金か何か盗られたりはしてませんか?」
「それは無事でござるよ。でも、面目ないでござる」
「相手の顔は?」
「金髪の男に殴られたでござる。その横には、目の横に傷がある短髪の男もいたでござる」
先日、ワゴンに無理やり乗せられた、藤井と岩谷だろう。だとしたら、目的は、美月とヒカリの居場所を吐かせる為だろう。目的を達成した二人は、今頃、彼女たちの元に向かっているかもしれない。走っても間に合わないだろう。
最悪だ。もう少し、家にいれば良かった。それなら、どうにか対応出来たかもしれない。二人だけで、ベランダの移動が出来ただろうか?それを願うしかない。
矢島をここに置いて、二人の元に駆けつけるか?でも、怪我をした男を手当てもせずに立ち去るわけにはいかない。それに、矢島がこうなったのは、自分が巻き込んだからだ。
「救急車を呼びます。ここにいて下さい。遅いかもしれませんが、二人の安否を確認したいので、今から向かいます。すみません」ミンチは言った。
「救急車は不要でござる。卿は、二人の安否を第一に考えるでござるよ」矢島は、地べたに座って言った。
「すみません」そう言ってから、ミンチは思い出した。
ミンチは、美月に電話を掛ける。連絡先を聴いていたのだ。
呼び出し音が鳴る。
まだ出ない。
まだ。
ジッとしていられず、その場を歩いていた。
「なに?」美月の声。
「今、無事?」ミンチはきいた。
「ブジってなに?」
「異変はない?」
「ああ。無事か。ない」
「そっちに、藤井や岩谷が向かっている。隣のベランダにヒカリと一緒に隠れて。あと、携帯端末を肌身離さずに持っていたら、居場所が特定出来るから、それも」
「わかった。そっちは無事?」
「とは言えない」
「そう」
「玄関の鍵も確認して、服や荷物も一緒に、隣に運んで」
「わかってる。じゃ」
電話が切れた。
「今は無事みたいです」ミンチは矢島を見た。矢島はこちらを見ていたが、片目は満足に開いていなかった。
「救急車はいらないって、骨は折れてませんか?」ミンチはきいた。
「殴られて地面に押さえつけられただけでござるから、骨は無事でござる。家までも一人で歩いて帰れるでござるよ」
そうだとしても、痛々しい姿だ。
「それより、某が気になったのは、敵は匿っている二人の居場所を、もう知っているのでござるか?」矢島は言った。
「襲われた二人からは、何かきかれませんでしたか?」
「そう。居場所を吐く様に、殴られたでござる」
「だったら、今頃、向かっていると思います」
「いや、敵は、二人の居場所を知らないから、某を殴ったのでござるよな?だったら、二人の居場所を知っているのは、おかしいでござる」
「えっ?もしかして…」ミンチは驚いた。
「二人の居場所は、吐いてないでござるよ」矢島は、傷が痛むはずなのに、無理やり笑おうとした。
「ホントに?」
「勿論でござる」
「どうして?」
「某と卿は、同盟を結んだ間柄。卿の不利になる情報を、某が漏らすわけがないでござる」
「こんなに殴られて?」
「知らんと、言い続けたでござるよ。敵は、諦めて帰ったでござる」
「……そっか」
これまでの人生で、裏切られてきた事は、何度もある。その度に、諦めていた。それは、人間関係だったり、信頼だったり、相手への期待みたいなものだ。つまり、相手に期待せず、怒らず、諦める事で、処理していた。
でも、こんな裏切りもあるのか。
虚言癖のある、他人に干渉したがる、信用出来ないやつだと思っていた。でも、一方的に殴られて、脅されても、直接自分が不利になるわけでもない情報を、漏らさないなんて思わなかった。二人の居場所を吐くのは、殴られるよりも、ずっと楽なのに。
ベランダを改造する了承を得ただけの仲だ。でも、矢島にとっては、それだけじゃなかったのかもしれない。他人に干渉したがるやつは、薄っぺらく、秘密も自慢したがるやつだと、思っていた。
「ごめん」ミンチは手を貸した。
「当然の事をしたまででござるよ」矢島が手を握る。
「なんで、吐かなかったんだ?」
「他言しないと、約束したでござる。それに、二人は追われている身。某が居場所を吐けば、あんな小さな女の子が、もっとひどい目に合う可能性だってあるでござるよ」
「立てるか?」
「かたじけない」矢島は立ち上がったが、ふらついた。肩を貸して支える。
「ごめん」ミンチは、もう一度謝った。矢島に対する誤解と、自分の愚かさに、自然と口から出た。
「これから、どうするでござるか?」矢島がきいた。
「放っておいても、警察が捕まえると思ってた。でも、ここまでしてくるなら、考え直してもいいかな」
「卿の眼つきが変わったでござるな」矢島は感心したように、こちらを見ていた。




