依頼がこない十日目 1
ミンチはコーヒーを飲みながら、二人がコーンフレークを食べているのを、ぼんやりと眺めていた。歳が離れているせいか、あまり似ていない二人だ。妹のヒカリは、くっきりとした目元をしている。一方、姉が美月は、少し鋭く力強い眼差しだ。姉妹の仲は良好らしい。ヒカリが美月に話しかけて、美月がそれに答えている。
インターフォンが鳴った。ミンチはその前から反応していた。隣の部屋のドアが開いた音と、インターフォンが鳴った間隔から、ドアの外にいるのが、隣人の矢島だとわかった。
この部屋に自分以外の誰かがいる事は、既にバレているだろう。ただ、会話の内容までは聞かれていないはず。矢島の部屋にはテレビがあり、彼はそれを相当な音量で見ている。その時、ノイズは壁を越えてきているが、その内容まではわからない。余程の大声で話さない限り、内容までは隣には伝わらない。矢島のくしゃみは、いつも聞こえてくるが。
ミンチは覗き穴から確認して、矢島の姿を見た。矢島に隠し通すのは無理だろうと思って、靴を隠さずに、そのままドアを開けた。
「どうしましたか?」ミンチは言った。
「おはようございます」矢島はにやけた顔で言った。
「最近、変わった事はござらんか?」矢島はドアの隙間から中を覗きこもうとした。こういった仕草が、無礼で品がない。田舎の隣人みたいで、友人にはなりたくないタイプだ。
「いえ。特に」ミンチは素っ気なく返す。
「いや、某も盗み聞きをしているわけではござらんが、なにやら、話し声が漏れてきておるので」彼はそこで笑った。
「そうですか。それは、ご迷惑をお掛けしました。すみません」ミンチは謝る。
「いやいや。某は迷惑などと思ってござらんよ。ただ、どうしても気になってしまう質でして。スカートがあれば中を覗きたい。そんな当たり前の好奇心でござるよ」
「そんな当たり前の好奇心は、自制した方が良いと思いますよ。捕まりますから」
「あ痛たたた」彼はわざとらしく額に右手を当てて、両目を閉じた。「いや、某もスカートの中は、自制しておりますが、例えば、なにか犯罪の可能性もあるわけでして、そうなると、それを見て見ぬ振りをするのは、某の正義に反する事になるでござるよ」彼の眼つきはいやらしく鋭くなった。品定めをされている気分だ。
「親戚の子どもを、少し預かっているだけです。話し声がうるさければ、注意しておきます。ずっといるわけではないので、ご安心下さい。ただ、しばらくは、預かる事になるので、ご迷惑をお掛けする事もあるかと思います。すみません」
「そうでござったか。いやいや。迷惑なんて、とんでもないでござる。若い人の声が聞こえるのは、良い事でござるよ。某の事は気にしないで下され。世は情けでござるよ。なにか手伝える事があれば、某を頼って下され」
「ありがとうございます」ミンチは社交辞令でお礼を言った。
でも、そのすぐ後に、ある事を思いついた。隣人に協力者がいる事は大変ありがたい。この部屋に誰かが来る度に、浴室に隠すわけにもいかないだろう。
目の前の隣人のにやけた面を見る。矢島を信用出来るかどうか?
虚言壁があり、他人の生活に積極的に干渉してくるやつ。でも、ギリギリ安全なのではないか?矢島の部屋にあった人形を思い出す。あれが趣味なら、小さい女の子は………。
「もしかしたら、頼る事があるかもしれません」ミンチは言った。
「そうでござったか。なんでも頼って下され」矢島は上機嫌に笑った。
「ありがとうございます」ミンチはお礼を言って、ドアを閉めようとした。
「見せては貰えぬか?」矢島は好奇心に満ちた顔で言った。
それは、非常識な発言だろう、とミンチは思った。こういった発言で、信用を落とすと考えないのだろうか?
「それはちょっと。朝食を食べていますので」ミンチは答える。
背後で足音がした。ミンチは振り返ると、ヒカリが食べ終えた食器を流しに下げていた。
「コラッ」美月が小声で叱って、キッチンからヒカリを引っ張って戻した。視線を感じてドアの外を見ると、鼻の下を伸ばした矢島が、背伸びをして、無理やり中を覗きこんでいた。
「いつでも頼って下され」目的が達成されたらしい矢島は、ニタッといやらしく笑い、自分の部屋に戻って行った。
自分が、他人と積極的に関わる性格なら、矢島の行動に怒っていただろう。でも、諦めに近い感情しか湧かなかった。




