依頼がこない九日目 2
待ち合わせ場所のカフェの前で伊藤と会った。
向こうは笑い、こっちは無言で会釈をした。二人でカフェに入る。店内は空いていたので、奥の角を曲がった席に座った。店員や他の客には、話し声が届きにくい場所だ。伊藤は手前側に座り、ミンチは対面に座った。店内にはビートルズの曲が流れている。落ち着いた雰囲気のカフェだ。
ミンチは昨日、伊藤に電話を掛けて、会う約束をした。このカフェを指定したのは、伊藤だ。女子大生らしい子が水を持ってきた。でも、グラスは一つしかない。そのグラスを当然の様に、ミンチの前に置いた。一人だと勘違いしたのだろう。
「メニューがお決まりでしたら、お呼びください」店員は平静のまま言った。
「コーヒーを…」ミンチは伊藤を見た。伊藤は首を左右に振る。「一つ下さい」
「ホットとアイスがありますが」店員はミンチを見て言った。
「ホットで」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」そう言って、店員は戻って行った。
「頼まないのか?」ミンチは伊藤を見た。
「ああ」伊藤は真剣な表情で答える。
「でも、マナー違反じゃないか?」
「俺の場合は違う」
「ここでバイトしてるのか?」
伊藤はフッと鼻から息を漏らした。ミンチは水を一口飲んだ。店員が伊藤の分の水を運んでくるだろうと思ったが、次に現れた時は、同じ店員でコーヒーをミンチの前に置いた。そして、伝票をテーブルの上に伏せておいた。
さっきから、違和感がある。水を持ってこないのも、伊藤に注文の確認を取らないのもそうだが、店員が伊藤の姿を見ようとしない。
まるで、そこに誰もいないかの様に振る舞っている。
自分が一人でカフェに来て、コーヒーを注文した時と、同じ反応だろう。注文をしないやつは客じゃないと思っているのだろうか?でも、店員は一度だって、伊藤の方を見ていない。
「ここにはよく来るのか?」ミンチは伊藤にきいた。
「前はよく来ていた」
「なにか問題を起こしたとか?」
「まさか?だったら、出禁になるだろう」彼は短く笑う。
「何も頼まないやつだと認知されているのか?」
「そんなやつも出禁になるだろ」
ミンチはコーヒーを飲んだ。とびっきりとはいかないが、普通に美味しいコーヒーだ。
「それで話があるって?」伊藤が言った。
「…そう。電話でも話したけど、赤井についてだ」ミンチは小声で言った。
伊藤は鋭い眼差しでこっちを見据えたまま、深く息を吐いた。
「どうして、急に赤井について知りたくなったんだ?」
「ちょっとした、バイトの関係で」ミンチは答える。
「関わらない方がいい」
「同感だ。……でも、そうもいかなくなった」
「なんでだ?」
「娘がいるのを知ってるか?」
「確か、一人いたような」伊藤は思い出そうと眉を寄せる。
「二人いる」
「そうだったか?」
「年の離れた姉妹だ」
「それで?」
「その二人が家出をした。まだ、未成年だ。そんな子どもが飛び出す程の悪事をやっているのか気になって」
「やっている。どころじゃない。そんな事しかやっていない。詐欺、マルチ、悪徳商法、宗教にも手を出している」
「警察が動かない理由は?」
「赤井の手下の何人かは捕まっている。ただ、赤井自身との直接の繋がりを見つけられていない。その辺を上手くやっているやつだ。信者の女との間に子どもが出来たとは聞いたが、二人もいたのか」
「赤井が関わっている証拠はあるのか?」
「あるなら捕まっている。憶測だ。ただ、金の流れを見れば、誰だってわかる」
「どこにいるかわかるか?」
「県内にはいる。ただ、拠点がいくつもあって、全てを把握出来ていない」
「結構詳しく知ってるんだな。記者なら常識なのか?」
「噂なら知ってるだろうが、ここまでは知らない。昔、金になると思って調べた事がある。ただ、結果を見ればわかる通り、こうして手を引いてるよ」伊藤は皮肉っぽく笑った。
「赤井が捕まると思うか?」ミンチはきいた。
「さぁな。ただ、簡単に捕まるやつなら、十年以上前に捕まっている。あいつは儲ける方法を知っている。その方法を人に伝えて、その利益の何割かを貰っているらしい。捕まるのは、それを実行したやつらと、その偽りのトップに立たされていたやつらだ」
「そうか」ミンチはコーヒーを飲んだ。「赤井の関係者は、そこら中にいると考えていいのか?」
「関係者と言えば関係者だが、下っ端は、赤井の存在自体知らない。赤井と直接関係があるのは、幹部クラスの数人だろう。その幹部が悪徳業者やらの経営を任されている」
「わかった。もし、幹部やその業者やらを知りたいと言ったら、調べる事は出来るか?」
伊藤は難しい顔をした。そして、長い沈黙。ミンチはコーヒーをもう一度飲む。
「出来る限りの事はする。ただ、諸費用等、それなりの金が必要になるのと、時間も掛かる」
「わかった」ミンチは頷く。
「調べるか?」
「今すぐはいい。必要になったら連絡する」
「そうか」
「悪いな」
「いや、こうやって人と話すのも久しぶりだから、こっちこそ楽しかった」
「休んでいたのか?」
「まぁ、それもあるが、ここ最近で話したのは、妹とお前だけだ」
「妹?いたっけ?」
「ああ。こっちに住んでる」
「そう」
その後、ミンチは、他愛もない話をしながら、コーヒーを飲み干した。最後まで、伊藤の水が運ばれる事はなかったし、注文をききに来る事もなかった。ミンチは、伝票を持って支払いをする間、伊藤はミンチの斜め後方で待っていた。その時も、店員は伊藤を見る事はなかった。そして、ミンチはドアを開けて、伊藤と一緒に外に出た。
「カフェで何も頼まないやつを初めて見た」ミンチは言った。
「まぁ、仕方がない」
「なにが?」
「見えないやつには、水も出せん」
「誰が見えないって?」
「俺」
ミンチは奇妙なものを見る様に、伊藤を注意深く眺めた。右手を出して触れてみようかと思ったが、馬鹿らしくて止めた。




