依頼はきていない七日目の朝
ミンチは目が覚めた。
脳が覚醒する前から、違和感に気付いていたが、それを認識してはいなかった。
温かくて、甘い匂い?
強制的に脳を起こして、体も起こして、状況を把握した。
ミンチのベッドに誰かがいた。
子どもで、女の子で、眠っている。小さい。小学校低学年か、それよりも下くらい。黒髪でショートヘア。Tシャツに短パン。知り合いではない。こんな小さな知り合いなど、初めからいない。
ミンチはベッドからおりて、キッチンで水を飲んだ。本当だったら、ゆっくりコーヒーでも淹れるつもりだったが、それどころではないようだ。ベッドの傍の床に少女の持ち物らしい、ピンクの鞄があった。玄関を確認すると、丁寧に靴を揃えて脱いでいる。夜中の内に鍵を掛けていない玄関から、入って来たのだろうか?規則正しい寝息をたてている。時間は朝の十時。
本日は便利屋以外の仕事がある。先日のカフェでの依頼で、宝石だか美術品だかを受け取り、それを保管しておく。一定の期間後に、それを返すだけの簡単な仕事だ。
『レッドライト』という品らしい。金庫や正規のサービスに預けない理由は、足が付くからだろう。その受け取りを終えれば、今日の仕事は終わりだ。
急ぐわけじゃないが、この異物をなんとかしないといけない。親戚でもない子どもを家に招くのは、犯罪だったはずだ。少女の肩を優しく揺すった。起きる様子がないので、もう少し大きく揺する。
少女は起きて、目を細めたままこっちを見る。
「どうやってここに来たの?」ミンチは言った。少女は目を擦りながら、こっちを見る。
「君の親はどうしたの?」
「おはようございます」少女は横になったまま言った。そして、ベッドに腰かける様に座った。
「おはよう。君の親は?」ミンチは椅子に座った。相手と視線の高さを合わそうとした結果だ。
「わかんない」
「どうやって来たの?」
「歩いて」
「どうしてここに?」
「ここに来る様に言われたから」
「誰に?」
「お姉ちゃんに」
「お姉ちゃんはどこにいるの?」
「わかんない」
「僕が誰だか知っているの?」
「まだ、名前はきいてないけど」
「家はどこ?」
「わかんない」
「学校は?」
「来年から」
「ちょっと出掛けようか。荷物はそれだけ?」
「うん。どこに行くの?」
「警察」
「ダメ」少女は強く言った。
「なにが?」
「ここにいれば安全だってお姉ちゃんが」
「警察の方が安全だよ」
「警察からは逃げないといけないから」
「どうして?」
少女は下を向いてしまった。ミンチは溜息を吐く。受け答えはしっかりしている。頭が良いのだろう。中学生でも、大人と話す時は、もっと反応が遅れるはずだ。
「お姉ちゃんと僕は知り合いなの?」ミンチはきいた。
「わかんない」
「名前は?」
「赤井ヒカリ」
「えっ?赤い光?」レッドライト。もしかして…。
「えっと、お姉ちゃんの他に、知り合いはいない?」ミンチはきいた。
「ジョウコウさん」
……やっぱり。城向はカフェで会った依頼者だ。もしかして、レッドライトを預かれって、この少女を預かれという事なのか?確認する必要はある。今すぐ突き返すわけにもいかなくなった。
「水でも飲む?」ミンチは言った。
「牛乳がいい」ヒカリは言った。
「ない。えっと、なにかあったかな」ミンチは立ち上がり、冷蔵庫の中を開けた。水かコーヒーしか飲まないミンチだが、ナナ氏やQちゃんが出入りするようになり、彼らが自分で飲む分を買ってくることがあるからだ。エナジィドリンクと飲みかけのコーラがあった。
「コーラならあるけど」ミンチは言った。「もしくは、コーヒー」
「コーヒー」ヒカリは答えた。
「飲めるの?」
「うん」
ミンチは電子ケトルでお湯を沸かして、コーヒーの豆から作った。朝のルーチンだ。一人分も二人分も変わらない。テーブルにカップを置いて、二人分注いだ。
「どうぞ」ミンチはヒカリに差し出した。ヒカリは対面に移動した。カップの中を見て少し驚いている様だ。恐る恐る口に運んでいる。
「熱いよ」ミンチは言った。
「見たらわかる」
「そう」
ヒカリは一口飲んで、目を瞑って顔を顰めた。
「ミルクは?」ヒカリは言った。
「だから、無いって」ミンチは言った。「水か、コーヒーならあるけど」
「大丈夫」ヒカリはコーヒーに口を付けて、また、顔を顰めた。いつもは、コーヒー牛乳を飲んでいるのだろう。ミンチは立ち上がって洗ってあるグラスに水道水を注いだ。それをヒカリの前に出す。ヒカリはカップを置いて、水が入ったグラスを全部、飲み干した。彼女は大きく息を吐いて、それと連動して、肩も落ちた。
「これから、どうするつもりなの?」ミンチはきいた。
「わかんない」ヒカリは答える。
インターフォンが鳴った。
「静かに」ミンチは小声で言った。足音を立てない様に玄関まで移動して、覗き穴から確認した。そこには、ナナ氏とQちゃんが立っていた。
…どうしたものか。どう説明すればいいのか、自分でもわからない。今の状況を全く把握出来ていない。
「ちょっと、隠れて貰ってもいい?」ミンチは部屋に戻り小声で言った。
「うん」ヒカリは頷く。
隠れる場所は、ベランダと浴室しかない。ベランダは、外を覗こうとして、落下する可能性がある。
「こっちに来て」ミンチは手招きした。そして、少女を浴室に入れてから、グラスとカップを下げて、彼女の靴と鞄を袋に入れて、それも、浴室に置いた。
「かくれんぼだと思って静かにしてて」ミンチは小声で言う。
「うん」少女は頷いた。
どこからどう見ても、犯罪に見える。見つかった時の言い訳を考えた方がいいだろうが、思いつく自信がなかった。




