依頼はきていない四日目
ミンチは朝の八時にゴミ出しの為、外に出た。
ゴミ捨て場はアパートの敷地内にあるので、部屋着にサンダルを履いただけだ。カラス避けのネットを持ち上げて、ゴミを捨てた。
「おはようございます」どこか笑いが混じっている声で挨拶をされた。
「どうも」ミンチは挨拶を返した。
挨拶をしてきた相手は、隣人の矢島だ。最近、隣の部屋から、大きな物音を何度も聞いているが、そういった事で文句を言った事は無い。挨拶をする程度の関係に収めたいと思っているが、向こうは話すのが好きらしい。
「最近、可愛い子が出入りしてますね。どこのお店ですか?」にやけた顔で、矢島は言った。矢島の特徴を挙げるなら、表情や声がどこかセクハラめいている。矢島が女性に挨拶をしたなら、かならず警戒されるだろう。あとは、鼻息が五月蠅い。髭を綺麗に沿っている所を見た事もない。常ににやけている事もあり、目は『へ』の字に曲がっている。存在自体がやかましいやつだ。
「ただの知り合いです」ミンチは言った。
「いやね。某も興味がありまして、つい聞いてみた次第でございます」矢島は自分で言って、不気味に笑った。
矢島はゴミを持っていたので、偶然、鉢合わせたのだろうか。それとも、自分がゴミを捨てに行くのを待っていたのだろうか?このアパートは家賃が安いので、防音を最初から意識していない造りだ。玄関を開けた音は、二つ隣の部屋でも聞こえる。
だから、話し声も隣に聞こえるだろうが、可愛いかどうかは顔を見ないとわからない。顔をわざわざ確認したのだろうか?
「そういえば、お話ししたい事がございましてね。ちょっと、よろしいですか?」矢島は言った。
「少しなら」ミンチは頷く。騒音の文句だろうか?こちらに非があるので謝る準備をしていた。
「では、参りましょう」
「どこに?」
「某の部屋でござる」
「いや、この場でききますよ」
「ここでは人の目に付きます」
「何の話ですか?時間があまりなくて」
「承知してます。少しはあるのですよね?」
ミンチは溜息をついた。
「一分くらいなら」ミンチは先に牽制をしておいた。
アパートの二階に上がり、直ぐの201号室がミンチの部屋、その隣の202号室が矢島の部屋だ。矢島はドアを開けたまま、ミンチを中へ入る様に示した。ミンチは矢島の部屋に入る。玄関のすぐ傍に、キッチンがあり、隣にはトイレと浴室、奥には一部屋だけある。一般的な1Kタイプのアパートだ。
「ささ。中へ」矢島は靴を脱いだ。部屋の中に入るのは初めてだった。奥の部屋に入ると、目の前の物に絶句してしまった。
人形がいた。それも、マネキンの様な等身大の人形だ。マネキンとの違いは、顔や髪が鮮明に作られている。その人形は服を着て椅子に座っていた。人の趣味なのだから、別に何の問題もない。ただ、その人形の着ている服が、近所の高校の制服だった。部屋は広くないので良く見える。生地や質感がどうやら本物らしい。
「マリンちゃんの事は気にしないで下され。あんまり見られると、マリンちゃんも照れるでしょうから」矢島は人形を見て言った。
「それで話は?」要件を早く済ませたかった。
「ああ。そのことですな。実は、某、空を飛ぶことが出来るのです」矢島は笑った。
「…そうですか」
「信じてござらんな?」
「はい。…あ、いえ、どっちでもないです。話はそれで終わりですか?」
「待って下され。卿を信用して、某が話したのですよ」
「それはあなたの問題です」
「殺生な。信じる心を失ったのですか?」
「…えっと、空が飛べるのですか?」
「そうです。正確には、浮く事が出来ます」
「なら、やってみて下さい」
「それは出来ん相談です」矢島は笑った。
「どうしてですか?」
「人が見ていると、この能力は使えないのです」
「なら、カメラで撮影したのがあるのですね」ミンチは、相手の答えがわかった。つまり、動画編集をして、空を飛んでいる様に加工したのだろ。それを今から見せるはずだ。ネットにでもアップする前に、反応を知りたかったのかもしれない。
「いいや、それもござらん」矢島は言った。
「どうしてですか?」
「カメラで撮影すると、この能力は使えないのです」
「それは撮影する人がいるからですか?」
「そうではござらん。人やカメラの目に映ると空を飛べないのです」
「つまり、あなたが飛んでいる所を、確認する術はないという事ですね?」
「現状はそうでござる」
「でしたら、一人で楽しめば良いと思います。羨ましい能力です。では、時間が無いのでこれで」
ミンチは一度も座る事なく、玄関に向かった。
「信じてくれと言うのも無理な話。しかし、一カ月前、赤い光を見たのです。卿も見たのではござらんか?」矢島は玄関まで来て言った。
「失礼します」ミンチは玄関の扉を開けて、一度も振り返らずに閉めた。
最近、こんなのが続いている気がする。流行っているのだろうか?
ミンチは自宅のキッチンの流しで手を洗った。これは、自分のゴミを触ったのと、ゴミを覆っていたネットにも触れたからだ。
洗っている最中に、ある言葉を思い出した。
『赤い光』
ミンチの脳内で、とある言葉と結びついたが、この時は、直接的な関係があるとは、思いもしなかった。




