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便利屋に依頼がこない  作者: ニシロ ハチ
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開業初日

 便利屋は椅子に深くもたれ掛かりゆっくりと息を吐いた。


 これで今日から便利屋になった。といっても、Twitterのアカウントを作っただけだ。それも、相当怪しい。自分が客なら、こんな胡散臭い便利屋には依頼しないだろう。事実、事務所も無く、実績も無く、信用も無い。それだけでなく、能力ややる気も殆ど無いとプロフィールに書いてある。依頼料は三千円と交通費、あとは掛かった分だけの諸経費などが必要となる。三千円でどの程度の依頼が可能なのかは、書いていない。書いてしまうと断りづらくなるからだ。ただ、最初の内は、殆どの内容を受け入れるつもりだ。


 問題があるとすれば、自分に出来る事が少ない事だろう。清掃の依頼が来ても、ホームセンタに売られている洗剤の違いも知らないし、排水溝の掃除なんて、汚くて触りたくない。だから、そういった事はしないつもりだ。つまり、便利屋に依頼をしても、便利屋自身は掃除をしない。依頼者が掃除する様子を眺める程度の事しかしない。それで三千円はぼったくりだろうけど、無料にすると生活に困るし、依頼者自身も怖くなるだろう。無料でサービスをするよりも、お金のやり取りがあった方が、両者共にあと腐れなく円滑に進む事を経験から知っている。こういった事は、安くてもお金を移動させる必要がある。親切だけを貰うのは、後味が悪い。親切の理由をお金に置き換えるだけで、依頼者の心配事がさっぱりとなくなる。そういった素敵な社会になった。素晴らしい事だろう。


 今回、便利屋として働く事になったが、本当は探偵の方が良かった。昔、読んでいた本には、便利屋よりも探偵の方が頻繁に姿を現したからだ。でも、現実で探偵をするとなると、浮気調査や素行調査などになるだろう。もっとも、殺人現場に遭遇したいと思った事は一度もない。それに、犯人がわからないからといって、探偵が警察の捜査に協力する事などないだろう。浮気調査や素行調査をするには、何日にもわたり調査を続ける必要があるし、人手もそれなりに必要になるだろう。ターゲットの近くのアパートの一室を借りて、そこから監視を続ける場面もよく見る。でも、そんな為にアパートの一室を借りる手続きをするのは、面倒だ。そういった方面に興味が無い。それに、そういった調査が頻繁にくるとも思えない。そういう数秒の思考の末、便利屋として開業する運びとなった。


 ただ、便利屋への依頼としては、一般的な便利屋へのイメージよりも、もっと簡単なものを期待している。例えば、近所のラーメン屋が気になっているが、昼間なのに店内は暗いし、人気がある様にも見えない。でも、もしかしたら、美味いのかもしれない。こういった店が美味しいのを知っていると、行列の出来る有名店を知っているよりも、自分だけが知っている優越感にも浸れて、少しだけ誇らしげになる。でも、一人では入る勇気が無い。店に入ると、怖い面構えの店主が鉈みたいな包丁を持ち、豚一頭丸ごと捌いている所に遭遇するかもしれない。返り血を浴びた店主を一人で見てしまったら、一生のトラウマになる。友人を誘うにも、ラーメン屋の店構えを見ただけで、断られてしまう。そういった時に、便利屋に依頼すればいい。

 一人で入りづらい場所など、気兼ねなく誘える人が必要な場面は、それなりにあるだろうと、想像している。もちろん、その他の依頼も受け付けている。


 でも、まず、何よりも先にやる事があるだろう。それは、名前だ。人が認識出来る全てに名前が付いている。新種の昆虫や何百光年離れた肉眼では見えない星にだって、丁寧に名前を付ける徹底ぶりだ。逆にいえば、名前の付いていない生物や物質には、愛着が湧かないのだろう。


 昔、ヤドカリを飼っていた時期がある。そのヤドカリには、「イチロー」「タロウ」「ハナコ」という名前があった。自分で付けた名前ではないし、気に入った名前でもない。ヤドカリが可愛いと思った事もない。でも、それなりに、眺めている時間があった。別の時期に、カブトムシを飼育していた時あった。そのカブトムシには、名前が無かった。いつの間にか死んでいて、観賞用のケースごと消えていた。どちらも、自分の意思で飼っていたわけではない。偶然、自分の生活の近くで、それらを飼う人がいたのだ。それを近くで眺める機会があった。ヤドカリとカブトムシへの興味は、同じくらいだ。特別、ヤドカリが好きだったわけではない。あれは、名前があったから、無意識下で、興味を持っていたのだろうと想像する。


 だから、便利屋にも、名前が必要だろう。それによって、親しみを覚えてくれる人がいると、世界平和みたいに願うしかない。


 …………………。

 …………………。

 どうしたものか。

 こういったものは、悩んでもいい事は無い。さっさとインスピレーションで決めてしまった方がいい。後から変えても、支障はないのだから。


「ヤドカリムシ便利屋」

 あとは、自分の名前だ。それが決まらないと、ぼんやりとぼやけてしまう。

 ………。

 でも、思いつかないし、明日にするか。

 便利屋は、背もたれに体重を預けて、伸びをした。


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