第53話:家に戻りなさい
「ち、父上! それに母上! どうしてここが……」
「私たちはずっとお前の行方を探していたのだ。そのせいでずいぶん辺境まで来てしまった」
「家を飛び出したと思ったら、こんなところで何をやっているの?」
男性はグレーの髪をサッパリとまとめ、右手にステッキを持っている。
女性は腰くらいまである薄茶色の髪に、同じく茶色の大きな瞳が印象的だった。
どちらも背が高く、立っているだけで威厳を感じる佇まいだ。
見るからにただ者ではない。
ギルドの中をピリピリとした緊張感が包む。
「フレッシュ! 何があったんだい!?」
アグリカルさんが大慌てでやってきた。
ちらりと背の高い男女を見ると、すぐ張りつめた表情になった。
「どうも、愚息がお世話になったようで」
「今すぐ引き取っていきますからご安心くださいね」
彼らはにこりともしない。
それどころか、私たちを冷ややかに見定めているようだった。
いつの間にか、ネイルスちゃんはラフさんの後ろに隠れている。
ラフさんは守るようにギュッと抱きしめた。
「お兄ちゃん……あの人たち怖い」
「大丈夫だ、そこでじっとしていろ」
「あんたたちは誰なんだい。まずは名乗るのが礼儀ってもんじゃないのかね」
アグリカルさんは毅然と二人に問いただす。
しかし、男女は口を閉じたままだった。
「……アグリカルさん、僕から紹介します。こちらは父のルーズレスと母のシビリアです」
「あ、あんたの両親だって!?」
フレッシュさんが紹介すると、ようやく二人は軽く会釈した。
(本当にフレッシュさんのご両親だったんだ)
親御さんが来たと聞いて、ギルドの中はさらに騒然となった。
みんな小声で話し合っている。
「申し遅れましたな。私たちはラントバウ王国のグーデンユクラ大公爵という者だ」
「「ラ、ラントバウ王国!? しかも大公爵!?」」
ラントバウ王国は世界でも有数の農業大国として有名だ。
私でも聞いたことがある。
ラフさんがこっそり聞いてきた。
「ウェーザ、大公爵ってすごいのか?」
「ええ、それはもう。大公爵なんて言ったら、権力も地位も王族とほとんど同じ扱いです」
「なるほど……フレッシュさんはそんなに偉い貴族の息子だったのか」
それなのにロファンティに来るなんて、きっと複雑な事情があるのだろう。
二人はさらにフレッシュさんへ詰め寄る。
「フレッシュ、お前はまだ農業をやる気でいるのか」
「あなたには他にやるべきことがあるでしょう?」
「父上たちだって農業の大切さは知っているじゃありませんか。僕たちの国が栄えたのだって、農業が発展したからでしょう」
フレッシュさんも威圧感に負けじと伝える。
「もちろん、そんなことは知っている。農業はラントバウ王国の基盤だ。だが、お前はグーデンユクラ大公爵家の跡取りなのだ。そのことをもっと自覚しろ」
「農業は使用人に任せておけばいいの。グーデンユクラ家としての仕事はあなたにしかできないのよ。領地管理や貴族たちとの外交、領内の問題解決……言い出したらキリがないわ」
「ですが、僕はどうしても自分で農業をしたいのです。子どもの時から伝えているはずなのに……なぜわかっていただけないのですか」
彼らの話を聞いて、少しずつ状況がわかってきた。
フレッシュさんは自分で畑を耕したり作物を育てたいけど、ご両親が許可してくれないのだ。
それで耐えかねて家を出てしまったのだろう。
「お前こそ何もわかっていない。私たちの仕事が滞ったら、それこそどうなる。使用人たちの給金は? 生活は? 我ら貴族は使用人たちの人生を背負っているのだぞ」
「グーデンユクラ家は王族との繋がりが深いことも知っているでしょう。国王陛下に政治の助言をすることだってあるのよ。そのときに適切な提案ができなかったら王国はどうなるの?」
ルーズレスさんたちは淡々と、しかし容赦なくフレッシュさんを追い詰める。
傍らのラフさんにそっと話しかけた。
「とても厳しい性格のご両親みたいですね」
「ああ、そうだな。あいつから父母の話は聞いたことがなかったが、なかなか厄介そうな人物だ」
できることなら今すぐ飛び出して、フレッシュさんの素晴らしさを伝えたい。
だけど、彼らを取り巻く雰囲気がそうさせてはくれなかった。
無関係の者は入り込めないような圧迫感だ。
フレッシュさんは固く口を閉じていたけど、静かに話を続ける。
「僕は農業のことを、自分の一生をかけるほど価値がある仕事だと思っています」
「お前は普通の生まれではないと言っている。グーデンユクラ家の生まれなのだ。農業より優先すべきことがある」
「農業をできる人はたくさんいるわ。でも、あなたはあなたしかいないの。フレッシュも本当はわかっているはずよ」
大公爵と言ったら、領地も相当広大なのだろう。
全てを管理していたら農業に取り組む時間などなさそうだ。
でも、フレッシュさんは農業をやりたい。
大変に難しい問題だった。
「僕はたしかに大公爵家の生まれですが、自分の気持ちにウソは吐きたくありません」
「では言わせてもらうが、お前こそ勝手に家を出てどうなんだ。残された者の迷惑を考えたりはしなかったのか?」
「みんな、あなたの行方を本当に心配しているのよ。その苦労は想像できなかったのかしら?」
「そ、それは……」
フレッシュさんはうなだれている。
いつもの爽やかで元気いっぱいのナンバー2とはまるで違った。
「言いたいことはそれだけか? わがままを言うな、フレッシュ。さあ家に帰るぞ」
「これ以上家を開けられるとグーデンユクラ家としての面目が保てないわ。早く馬車に乗りなさい」
「い、いやです! 僕は帰りたくありません! このギルドをもっと大きくして、色んな人に農業の素晴らしさを教えたいのです!」
フレッシュさんは決して家に帰るなどと言わない。
それほどまでに農業が大事なんだろう。
「くだらないこと言ってないで、さっさとこっちに来なさい」
「帰ったらすぐに仕事を与える。今までの遅れを取り戻せ」
ご両親はフレッシュさんをきつく睨みつける。
小さな動物くらいなら視線だけで殺してしまいそうだった。
それでも、フレッシュさんは首を縦に振らない。
ギルドの中を重い空気が支配する。
気のせいか、息をするのも苦しい気がした。
「くだらないことって言っていたけど、フレッシュのおかげでロファンティの食糧問題はだいぶ改善したんだよ。農場を見てほしいくらいさね」
重い空気を切り裂くように、アグリカルさんのはつらつとした声が響いた。
フレッシュさんが振り向くと同時に、ギルドメンバーたちも賛同する。
「そうだよ! あんたらはフレッシュの努力を知らないからそんなことが言えるんだ! 一度農場を見てから出直して来な!」
「フレッシュが育てた作物の評判はすごいんだぞ! ラントバウ王国にも負けないね!」
「ウソだと思うなら一度食べてみろ! その美味さに驚くなよ!」
ギルドの中はフレッシュさんをかばう声でいっぱいになった。
「み、みんな……」
フレッシュさんの瞳はうるっとしている。
だけど、ルーズレスさんたちはまったく動じない。
こんな状況でも眉一つ動かさなかった。
(私もフレッシュさんの素晴らしさを伝えなきゃ!)
思わず身を乗り出したとき、ラフさんに止められた。
「ラフさん、一緒にフレッシュさんの味方をしましょう」
「待つんだ、ウェーザ。どうやら、勢いだけでは帰ってくれないようだ」
どういうことだろう? と思ったら、ルーズレスさんたちが静かに切り出した。
「後ろに広がっている農場はすでに見た。だが、私たちは失望するだけだったぞ。まさか、あの程度で農業をやりたいなどと抜かすのではあるまいな?」
「どの作物も貧相でしかたないじゃない。本当に育てているの?」




