第36話:第二王子
「あっ、フレッシュさん。<さすらいコマクサ>の調子はどうですか?」
農場で作業していると、遠くからフレッシュさんが歩いてきた。
久しぶりに見た気がする。
あれからずっと、フレッシュさんはアグリカルさんと<さすらいコマクサ>の栽培準備をしていたのだ。
「上手くいっているよ。だいぶ畑も大きくなってきてね。整備もあらかた終わったから見においで。ちょうど、ラフとウェーザさんを呼びに来たんだ」
「私も畑の様子を見たいです……あっ、ラフさーん。<さすらいコマクサ>の準備ができたみたいですよー」
少し離れたところにラフさんが見える。
手を振っていると急いで走ってきた。
「おっ、できたのか。俺にも見せてくれ」
奥の方に案内されると、一面ピンクの花畑が出てきた。
フレッシュさんが嬉しそうに手を広げる。
「ここが"重農の鋤"の新しい畑……<さすらいコマクサ>の花畑さ!」
ザリアブド山で見つけた貴重な花々が、そよ風にユラユラと揺れている。
「うわぁ……もうこんなに増えたんですか! 畑が見れるのをずっと楽しみにしていたんです!」
あの大変な登山を思い出すと感慨深かった。
思わず少し泣きそうになってしまう。
(私でさえこんなに感動しているんだ。たぶん、ラフさんの方がもっと嬉しいだろうな)
チラッと見ると、その鋭い目がわずかにうるうるしていた。
特別な気持ちで花畑を眺めていると、アグリカルさんがやってきた。
「やあ、ウェーザ、ラフ。どうだい、なかなか立派なもんだろう? 栽培自体は思ったより簡単だったさね。けど予定が少しズレて、見せるのが遅くなっちまったんだ」
いつも通り、快活にカラッと笑っている。
「私……感動しちゃいました」
「お前らには大きな借りができたな。これだけあればネイルスの薬もできるだろうよ」
ラフさんの無骨な顔には喜びがあふれ出ていた。
それを見る二人も嬉しそうだ。
「まさか、ラフのこんな表情が見られるなんてね」
「アタシらも喜ばしいよ」
二人に言われると、ラフさんは慌てた様子で真顔に戻った。
「と、ところで、周りに柵があるな。<さすらいコマクサ>が逃げ出さないためか?」
畑はぐるりと頑丈そうな柵で囲まれている。
そこだけ、他の作物を育てている畑と違った。
「ああ、そうさね。アタシお手製さ」
「これがまたすごい性能なんだよ」
「え? この柵もアグリカルさんが作ったんですか?」
農工具だけじゃなくて、金属だったら何でも作れるのかもしれない。
どんな柵なのか丁寧に教えてくれた。
「デリケートな準備が必要で、完成するまで誰も入れられなくてね。アタシの弱い魔力が込められているから触ると少しピリッとするよ。あの<さすらいコマクサ>を見ていてごらん」
ちょうど、ウロチョロしている花があった。
眺めていると柵の方に近づいている。
急がないと畑の外に出てしまいそうだ。
「あっ、逃げちゃいますよ。アグリカルさん、早く捕まえに行った方が……」
「大丈夫さね」
花が柵に当たるとパチッと小さい音がした。
<さすらいコマクサ>はびっくりしたみたいで、また畑の中に戻っていく。
「あれなら逃げだす心配もないですね。こんな柵を作るのは大変そうです」
とても自分には作れない。
感心しきりだった。
「ここまで魔力の繊細な微調整ができるのはアグリカルさんくらいだろうね」
「なに、アタシにとっては簡単なことなのさ」
アグリカルさんはあっけらかんとしている。
ラフさんも畑を嬉しそうに見ていた。
「ここまで来るのは長かったな……これもウェーザのおかげだ」
ネイルスちゃんが昼間外へ出られるようになるのも、そう遠くないかもしれない。
「いえ、私は何もしてませんよ。天気予報しかできませんから」
「謙遜するな。褒められてるときは素直に喜べばいいんだ」
ラフさんは微笑みながら言ってくれた。
いつの間にか、無骨な雰囲気も丸くなってきたような気がする。
「それはそうと、ラフって少し変わったよね。前はもっとぶっきらぼうだったのに、今はそんなこともないし。ウェーザさんに出会ってからかな?」
「フレッシュ、アンタもそう思うかい? アタシもそう思ってたところだよ。ずいぶんとラフは変わっちまったもんだね」
二人がニヤニヤしながらラフさんを見た。
「お、おい、お前ら、いい加減なことを言うんじゃないって!」
「「またまたぁ~」」
ただからかっているだけなのに、ラフさんはやけに慌てている。
(なにもそこまで慌てなくても……)
鈍い私にはどうしてなのか良く分からなかった。
『おい、ウェーザ! こんなところでサボってたのか! 俺様のプロムナードの時間だぞ!』
ぼんやりしているとバーシルさんがやってきた。
ぐいぐい背中を押してくる。
待ちきれないようだった。
「すみません、もうそんな時間でしたか。行きましょう」
『よし、今日はまた別の話を聞かせてやる。あれは俺様がここに来てから数日後のことで……』
その日はバーシルさんとお散歩したり農作業をして過ごした。
のどかで安らかな日々がまた始まるのだ。
ザリアブド山から帰ってきて、数週間が経った。
「さて、そろそろ今日の作業はお終いにするかな」
「そうですね。もう日が暮れてしまいました。この時間になるとそれほど暑くないですね」
そういえば、初めてここに来たときは夕方でもまだ暑かった。
今はだいぶ涼しくなってきたような気がする。
(季節も変わりつつあるのね。私が"重農の鋤"に来てどれくらい経ったのかしら)
「大変だよ、ウェーザさん! ちょっと来て!」
「どこにいるんだい、ウェーザ!? いないんならいないって返事をしておくれ!」
片付けをしていたら、フレッシュさんとアグリカルさんが走ってきた。
見たことないくらいあたふたとしている。
「どうしたんでしょう、ラフさん」
「わからんがかなり慌てているようだ」
農作業を中断して大きく手を振った。
「フレッシュさーん、アグリカルさーん! 私はここにいますよ! こっちです!」
手を振っていたら、すぐに二人も気づいたようだ。
「よかった! 見つかりましたよ、アグリカルさん!」
「ウェーザ、大事な話があるんだよ!」
二人ともゼイゼイハアハアと荒い息をしている。
ここまでずっと走りっぱなしだったらしい。
ギルドにいる人たちは、みんな心配そうな顔で私を見ていた。
「大丈夫ですか? そんなに慌てていったいどうしたんですか?」
フレッシュさんもアグリカルさんも必死に息を整えている。
「ウェーザさん、落ち着いて聞いてね。とてつもなく大事な話なんだ」
「倒れるんじゃないよ!」
明らかに様子がおかしかった。思わず身構えるほどだ。
(ど、どうしたんだろう。何かあったのかしら。モンスターが攻めてくるとか?)
不安に駆られつつ色んな想像をする。
二人は顔を見合わせると一息に言った。
「ルークスリッチ王国のディセント王子がウェーザさんに会いに来てるよ!」
「ウェーザをずっと探していたんだってさ! 早くギルドに戻ってきておくれよ!」




