第25話:ムーンボウの日
私が倒れてから少しして、いよいよ満月の日を迎えた。
今日は朝から小雨が降っている。
「フレッシュさん、<月ヨルガオ>の様子はどうですか?」
「うん、みんな元気に育っているよ。これだけあれば薬もたくさんできるはずさ」
畑の<月ヨルガオ>は今が旬といった感じだ。
茎も真っ直ぐで力強い。
早く薬ができて、苦しんでいる子どもたちが救われてほしい。
「よお、ウェーザ」
「あっ、ラフさん、おはようございます」
ラフさんにもらったヘアバンドは絶賛愛用中だ。
下を向いたときに髪が落ちてくることもない。
おかげで農作業がグッとやりやすくなった。
「今夜、ムーンボウが出てくれると良いですね」
すがるような気持ちで空を見上げる。
ゆっくりと月が昇りつつあった。
「僕たちにできることは精一杯やってきたから、後は願うしかないだろうね」
「そうだな、俺も祈っておく」
私たちは空に向かって静かに祈りを捧げた。
そして、とうとう夜を迎えた。
今はラフさんの部屋でネイルスちゃんたちと休んでいる。
予報通り雨は止んだけど、緊張感は消えなかった。
「月が出てるか見て見ようか、ネイルスちゃん」
「うん」
ネイルスちゃんと一緒に窓を開ける。
「キ、キレイ……」
不安な気持ちで空を見ると、思わず感嘆の声が出てしまった。
「うわぁ……すごいよ、ウェーザお姉ちゃん!」
「これは見事だな」
空にはまん丸の満月が昇っている。
薄い雲が月にかかっていてとても幻想的な眺めだった。
(ムーンボウは出てきてくれるかな……)
もうここまで来たら祈るしかないだろう。
フレッシュさんとアグリカルさんが農場の方からやってきた。
「もう少ししたら<月ヨルガオ>の収穫準備をするからねー!」
「そろそろ下りておいで。アタシらは先に始めてるよー!」
私たちも大きな声で返事する。
「はい、わかりました!」
「俺たちもすぐ行く!」
さて、とラフさんはネイルスちゃんの隣に座る。
「それでネイルスはどうする?」
「う、うん」
ネイルスちゃんはちょっと心配そうだ。
外を眺めるようにはなれたけど、まだそこまでだった。
「別に無理しなくていいんだぞ」
「今日はやめて、また今度にする?」
無理やり外に連れ出しても意味がない。
それどころか、心の傷をさらに悪化させてしまう危険だってある。
「……いや、私がんばるよ! 私だって外に出たいんだもん!」
一呼吸置いた後、ネイルスちゃんは心を決めたように手を握りしめる。
「そうか……偉いな、お前は」
「怖くなったらすぐに言ってね」
部屋を出てギルドの玄関まで来た。
後はドアを開けるだけで外に出られる。
「ドアは私に開けさせて」
ネイルスちゃんは緊張した面持ちで扉の前に立った。
気持ちを落ち着けるように深呼吸を繰り返している。
「い、いくよ!」
小さな両手で力いっぱい扉を押した。
そのまま、勢いよく農場まで走っていく。
(やった! 外に出られた!)
嬉しくて心の中でバンザイした。
走っていたかと思うとネイルスちゃんは途中で止まった。
しばらくしても、立ち止まったまま動かない。
だんだん私たちは不安になってきた。
「ど、どうした、ネイルス」
「ネイルスちゃん……?」
もしかして、身体の具合が悪くなってしまったのだろうか。
心がざわついてくる。
そのときだった。
「やった! 外に出られたよ、お兄ちゃん、ウェーザお姉ちゃん!」
ネイルスちゃんが満面の笑みで振り向いた。
月明かりに照らされて眩しいほどだ。
ぴょんぴょん跳ねながら勢い良く手を振っている。
「良かったな! よく頑張ったぞ!」
「おめでとう、ネイルスちゃん!」
私たちも急いで駆け寄る。
その小さな体を二人でギュッと抱きしめた。
こんなに嬉しいことはない。
ネイルスちゃんは無事外に出られたのだ。
「いたっ……苦しいよ、お兄ちゃん、ウェーザお姉ちゃん。ねぇ、みんなビックリするかな?」
もみくちゃにされながらも、ネイルスちゃんはニコニコと笑っている。
「そりゃもうあいつらは驚くだろうよ」
「みんなの喜ぶ顔が楽しみね」
<月ヨルガオ>の畑まで歩いていくと、まずフレッシュさんが気がついた。
「え? ……ネイルスちゃん!?」
フレッシュさんの叫ぶような声を聞いて、作業をしている全員が振り向いた。
目を見開いてネイルスちゃんを見ている。
彼らがこんなに驚いているのは初めて見る。
アグリカルさんが真っ先に飛びついた。
その幼い体が縮んでしまいそうなくらい強く抱きしめる。
「良かったねぇ……良かったねぇ、ネイルス!」
続いてバーシルさんも猛スピードでのしかかった。
しっぽをブンブン振り回している。
『ネイルス! とうとう外に出られたんだな! 俺様も嬉しいぞ!』
「だ、だから、痛いって」
それを皮切りに、みんながいっせいにネイルスちゃんを取り囲む。
「外に出られるようになったんだね!」
「よっしゃー! おい、向こうにいるヤツらも呼んで来い!」
「今日は最高にめでたい日だな! 祭りだ祭りだー!」
畑の中は歓声であふれていた。
「ありがとう、みんな! ウェーザお姉ちゃんのおかげなんだよ!」
ギルドの人たちは、ネイルスちゃんの手を取ってワイワイと踊り出した。
ラフさんは少し離れたところから優しい表情で見つめている。
そんな中、アグリカルさんとフレッシュさんが空を見ながらポツリと呟いた。
「後はムーンボウが出てくれば言うことないんだけどねぇ」
「なかなか出てきそうにありませんね」
虹はまだ見えない。
キレイな満月だし空気中の水分もたくさんある。
条件は整っているはずだった。
(お願い……! ムーンボウ、出てきて!)
目をつぶって必死に願う。
しかし、いつまで経っても白い虹は現れない。
空には美しい満月が昇っているだけだった。
「すみません、みなさん……私の力不足です」
役に立てず、自分の無力さがふがいなかった。
「いや、ウェーザさんのせいじゃないよ」
「虹なんてものは偶然だからね。しょうがないさ。身体が冷えるとまずいから一度ギルドに戻ろうか」
みんなは本当に優しく慰めてくれる。
それでも、やっぱり残念な気持ちは消せなかった。
「はい……」
諦めてトボトボ歩き始めたときだった。
「あっ! あれ見て、ウェーザお姉ちゃん!」
ネイルスちゃんが興奮した様子で空を指している。
(ウ、ウソ……!?)
空には……ぼんやりと白っぽい虹がかかっている。
フレッシュさんも弾けそうな笑顔で見ていた。
「ウェーザさん、あれじゃないの!? ムーンボウ!」
「はい……間違いありません!」
空から地上にかけて見事な白いアーチがかかっている。
紛れもないムーンボウだった。
「「よく見つけたね、ネイルス! 大手柄だよ!」」
「ふふ~ん!」
みんなに褒められ、ネイルスちゃんは得意げに反り返っている。
「見事に白い虹なんだね。こんなの僕は初めて見たよ。すごいキレイだ」
「アタシも今まで見たことがないね。なんて美しいんだい」
ムーンボウは目を奪われるほど素晴らしかった。
いつの間にか、ラフさんも近くで空を見ている。
「きっと、ウェーザの願いが届いたんだろうな」
夜に虹が見られるなんてほとんど奇跡に近いのかもしれない。
私たちはしばらくムーンボウに見とれてしまった。
傍らのネイルスちゃんも、うっとりと空を眺めている。
(ムーンボウが出てくれて本当に良かった……ありがとう、空の神様)
心の中で神様に感謝した。
「あっ、そうだ! 急いで<月ヨルガオ>の種を回収しないと!」
フレッシュさんが思い出したように言った。
「そうだよ! ボーっとしてちゃダメだ! 忘れてたよ! アタシとしたことが!」
みんなして大慌てで<月ヨルガオ>の種を集めていく。
もちろん、ネイルスちゃんも楽しそうに参加していた。
「種を集めるのって楽しいねぇ、お兄ちゃん」
「ああ、そうだな」
ネイルスちゃんはウキウキしながら種を採っている。
そのうち、ラフさんがこっそり近づいてきた。
「ウェーザ、本当にありがとう。ネイルスが外に出られたのもお前のおかげだよ」
他の誰にも聞こえないくらいの小声でお礼を言ってくれた。
「いえ、私は自分にできることをしただけですから」
「謙遜するなよ。お前はいつも俺たちのために頑張ってくれてるだろ。……じゃあ、俺は少し向こう側の種を採ってくるから」
ラフさんはみんなから離れていく。
誰も気づいていなかったけど、ラフさんの頬を一筋の雫が伝っていた。
私も気づかなかったふりをして種集めを再開した。




